『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-

田中聡

左がギリヤーク尼ヶ崎さん、右が筆者

【序章】

〈0〉導入

 


 2020年10月11日、横浜港は横浜大桟橋国際客船ターミナルの屋上で、午後2時からの1時間余り、大道芸人・舞踊家のギリヤーク尼ヶ崎さん(当時90歳)(以下、ギリさんと略す)が、新型コロナウイルスのクラスターの発生した巨大客船・ダイヤモンド・プリンセス号が数ヶ月前に停泊していた海の付近をバックに踊り、同号でのクラスターで亡くなった方々への鎮魂をするらしい。
 私は同10月の初頭にその事を自分のFacebookに書き、東日本大震災直後の大船渡港の座礁した「船」の前でのギリさんの舞踊を取り上げる投稿をしましたが、そうした舞踊は、「鎮魂と再生」という、同大震災後から複数の方が唱えたキーワードに重なる部分があると私は考えます。

 それはどのような重なりなのか。
  上述の横浜港公演(以下、「Y」と略す)と、ギリさんが昔からずっと抱えてきた「矛盾」(の主に二形態のそれ)を踏まえて、鈴木大拙(以下、大拙と略す)のテクストを参照しつつ、以下で少し考察してみましょう。

(横浜港公演の映像については、本文の下に3種類のリンクで載せました。)

 

 そして、その考察を滑走路として、今後少しずつ「ギリヤーク尼ヶ崎と鈴木大拙との関係性」というテーマの考察を進める試運転をしてみましょう。
 おいおい述べていきますが、ギリさんの表現と大拙の考え方は、思いの他密接な関係性があるのです。それなのにこれまで、日本国内外を問わず、そういう観点からギリさんの表現を突っ込んで考察したテキストは、私の知る限りではほぼ皆無であり、私はそれをとても残念に思ってきました。
 ギリさんはかつて私に、大拙や大拙の生涯の友であった西田幾多郎について、しばしば熱弁を振るってくださいました。その弁舌の奥には、生き生きと興味深い世界が広がっているようでした。

 

 今回はそうした事への考察の序章というわけです。

(以下の2枚の写真は、上述の2020年のギリヤーク尼ヶ崎さんの横浜港公演の模様。1番目の写真は『じょんがら一代』、2番目の写真は、『果たし合い』を演じておられます。)

 

〈1〉開かれた回路と日本人の誇り

 

 もし身体が動かなくなってきたら、目だけで踊る、と以前ギリさんは仰っていました。そして今から数年前には、明らかに目の表情が違う、とギリさんの公演を観て思える事もありました。
(ちなみに2020年1月のギリヤーク尼ヶ崎公式Facebookでは、「僕に目の玉ひとつで踊れって言ったのは、土方巽さんなんだよね・・・」とのギリさんのご発言が紹介されていました。)

 

 しかし「Y」では目もさることながら、目の周りの顔全体の筋肉、口のあたりも含めた部分も、大きく動き、踊るようにしておられるように見えた。
 そしてそれは、2019年10月の新宿公演の続編のようでもありました。
 即ち、その新宿公演は、ギリさんご自身の体調も天候も最悪で、公演前半は、思うように動けない面だけが目立っていたけれど、後半は、その状況をむしろ前向きに捉えて、顔全体で目の踊りを支えるかの如き表情を、ギリさんは見せてくれるようになった。
 その「後半の変化」が、「Y」では、始まった途端に現れていた。私は、ああ、昨年の続きだ、続編だと内心叫んでいました。
 しかもその「顔全体での目踊り」を、昨年よりはずっと良い体調と天候の中で、生き生きと飄々と行われた感じだ。
 かつて喩えられた鬼の踊りとは異なる、祈りの踊りの峻厳さ。しかし前年の新宿公演後半からのギリさんは、それから更に変容した、明朗さをも加えられた、とも言えるかもしれない。

 

 もう一つ印象的だったのは、公演の最後の方のトークで、「日本人としての誇り」「日本人の心」をギリさんが称揚されていた事だろうか?
即ち以下のような発言(産経ニュースの画面テロップを参照しました。なお、その産経ニュース映像を、横浜港公演の映像の1つとして下に貼り付けました。以下の発言の該当部分は動画の5分34秒〜6分37秒付近)。

 

「どうぞみなさんも日本人の誇りを持って、そして毎日を元気に暮らしてください。」
「私はこれからも できればまた外国にも行って踊っていきたいです。『日本人の心』を踊っていきたいです。」

 

 思い起こせば「Y」を前に、港は世界につながっている、という発言をギリさんはなさっていた(かつてニューヨークやパリに踊りに行ったギリさんらしい発言とも言える)。
 そうした「世界」への、更には「宇宙」への(開かれた)回路と、以上の発言に内含されているかもしれない「日本」人としてのソリッドな誇り、「心」は、どこで折り合いをつけるのだろう?と私は思う。そこに「矛盾」が生じることはないのだろうか?

 

 そしてその開かれた回路、あるいは見開かれた目の踊りが顔全体から開いていくことと、そのソリディティとは、どう寄り添っていくのだろう?

 

 しかし考えてみれば、もともとギリさんは、その舞踊表現において、或る種の「矛盾」を自覚的に抱えつつ踊っておられる、と私は考えています。その事について、以下で多少の試論をしてみましょう。

 

 

〈2〉石ころに見てもらってもしょうがないけれど

 

 ここで想起されるのは、私が今から数年前に、ギリさんと某所で交わした印象的な対話。

 まずギリさんのお話は、
「生き物も何にもないところで生きられる?」
という問いで始まり、無限の宇宙の、有機物がない、「空」の世界で、たった一人、一人称で踊る事を捉えようとされるイメージが語られた。
 それは宮本武蔵が、そういう一人称の「個」というか、孤独にあった事への共感も、武蔵を愛するお気持ちと共に語られたと思います。
( ちなみにその時の公演でも演じられた「果たし合い」は、そうした一人称の個の闘いを表現していると思われます。
「Y」での「果たし合い」は、今まで私が見た中で一番良い出来でした。港に停泊する「船」が、宮本武蔵が巌流島へと乗りつけた「船」にイメージ的に重なってくる偶然も効いていた。元々この演目は、武蔵の小次郎との果たし合いにインスピレーションを得ていたはずと思います。
 そして縄を振り回しつつ闘いを表現するあたり、正に大道芸と舞踊が合体したものである事がはっきりと伝わってきました。)

 

 そして、そうした「空」の境地で、(無心で)踊る一方で、やっぱり人間という「生き物」、一つ一つの個体としては有限の命の時間を所有する生命に観てもらえて、更に「良かった」と言ってもらえると、こちら(ギリさん本人)も嬉しかったりする。そういう意味の事を仰いました。
「石ころに見てもらっても」しょうがないけれど、生き物、生命あるものに見られたり、触れ合うと嬉しい、という気持ちもやっぱり自分の中にはある。

 

 これはなんなんだろう?

 

 そんな問いがギリさんの中にはある感じでした。

 

 つまり、ギリさんの中で、仏教的な「空」において踊るという事が、生き物、生命が「無」いところで生き、踊る事(何らかの表現をする事)のイメージに繋がり、そういった中で、無心に踊る事におそらくは意義を見出す側面もあると共に、しかしそれでも人間等の生き物から見て喜ばれることも嬉しい、とも思われる側面がある。
 そういった或る種の「矛盾」に晒されつつも踊る中で、(有限の?)命の時間を生きる「生き物」「生命」が、この無限の宇宙で存在する意義というか価値を捉えようとする。舞踊において立ち現わそうとされる。
 そういう感じのお話を、大拙の禅仏教観への愛着と探求と共に語られました。
 ここには、限りがない、無限の時空で命を存続することと、限りがある、有限の命の時間を(個体として?)生きること、これらが矛盾しているようで、矛盾しないという事態を、ギリさんが率直に、真摯に受け止めようとしていることが現れているといえると、私は考えます。

 

 してみればギリさんは、約7年半前に出されたご自身の写真集『鬼の踊りから祈りの踊りへ』(北海道新聞社、2016年)の56ページで、
「ぼくの踊りの半分は『虚無』がバックボーンになっているのです。でも完全に虚無の世界に行ってしまったら救いがない。あるのは自殺だけ。だから、ぼく、朝日が昇ったら『よしっ、やるぞっ』て気合を入れるんです。」
と語っておられます。
 こうした「虚無」へのスタンスの更に根底には、ギリさんが私に語って下さった「空」や「無」へと深く関わりつつも、しかしそれで終わらずに、そこからもう一度他者、他なる生命との絆を問い直す。
 そういう「曲折」、そこに内含される「矛盾」を経た上での方法論が横たわっている、そうも私は確信するのです。
「ギリヤークさん」との愛称で呼ばれ、ただ観客にウケを狙い、終演後に気さくに観客の方とお話するギリさんがいるだけではなく、そこには一度他人が一切いない空間、そこでの虚無感を一度通り抜けた上で、尚且つ他人と握手するギリさんが、間違いなく存在することを忘れてはならないと、私は思います。

 

 

ギリヤーク尼ヶ崎さんの横浜港公演の映像

産経ニュース(7分4秒)

https://youtu.be/sYgF3WuZWFE


ギリヤーク尼ヶ崎さんのドキュメンタリー映像 (2019年4月7日にTBS系列で放送された『88/50 ギリヤーク尼ヶ崎の自問自答』{JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス})

https://youtu.be/MqpXa1sXW2g

ギリヤーク尼ヶ崎さんのFacebook

https://www.facebook.com/Gilyakamagasaki

ギリヤーク尼ヶ崎さんのWikipedia 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%B0%BC%E3%83%B6%E5%B4%8E