夢日記『ぐるぐる』

ゴーレム佐藤

 

 壁がね動いてるんです。ウルトラQのオープニングが極彩色になった感じで。逆に動いてないものがないんです。ワタシ以外の全てが渦を巻いて動いてるんです。ワタシは動けないんです。次第にクダから入ってくる酸素の分子までもが動き回ってることを感じるんです。ワタシの喉や肺をくすぐりまくるのですがワタシは何も出来ないんです。ドクドクと流れてゆく膿でさえワタシを嗤うように。

 オトがねうるさいんです。オトも渦を巻いて跳ね返ってワタシの全身をくすぐりまくるのです。ワタシはオトも出せないんです。いくつものキカイのオトが幾重にも重なってワタシに向かって攻めてきます。如何ともしがたい苦痛は、壁の渦とオトの渦が微妙にシンクロしないことだと思います。その違いがトキと言うものなのか。そんなこと思ったりしますが、歯に衣と言いますか、永遠に甘噛みされたまま上目遣いで様子をうかがわれているような、目玉の裏側がむず痒くなるような居心地の悪さは耐えられるものではありません。いっそこのままアッチへ行ってしまおうかとも思いましたが動けないワタシにできることはないんです。溶け出してくる壁の渦に酔いながら、これは全部間違いだったよ、起きて起きて! と呼ぶ声に救われて手を伸ばすのですがなかなか引っ張ってくれないので、おーい、と呼んでみようか、辛抱強く待ってみようか、ここまで来たのだから慌てず騒がず静かに救いの手を待ち続けよう。と言う幻想を一体何度した事だろう、この幻想は壁の渦が一回転する間にきっと一万回は起きているんだ。一万回も夢見てるんだなあ、と一回転毎にこうして思いながら一体一秒に何回転しているのだろうこの壁は、数えていれば今何時かいってわかるかもねそうかもね。これもきっと毎回思っちゃいるけれど一つ前の事など覚えちゃいないのです。あゝこんなにも短いトキの中でこんなにも思索の枝を張り巡らす事が出来るなんて、今までの人生はほぼゴミではないか。半世紀ゴミだったワタシはきっと今この一秒で生まれ変わって死んでまた生まれ変わって死んでまたまた生まれ変わって死んで百勝九十九敗でまだ生き残っている。ワタシと言う直線を切断した両端面は一体どうなっているのか、デデキントはただ数直線の連続性について語ったが、ワタシは人間と言う生き物の連続体の切断の概念を理解したと思う。きっとモホロビチッチ不連続面にも影響を与えているに違いないと確信した。だから地震が絶え間なく起きるのだろう。あざとい概念は全て捨て去って本質だけを引きずり出すのだ。多次元を折り込んだスーパーストリングもその紐の断面を見よ。切断された両端面を見よ。全ては連続なのか不連続なのかが問題なのであって万物を一言で言い換えるなどと言う愚行をしてはいけない。

 連続なのか不連続なのか続けたいか続けたくないのか。いや、続くのか続かないのかだ。そこにワタシの意思などありえない。このワタシ自身が、続くのか続かないのかが問題なのである。しかし問題にしても続かなければ終わりではないか。

 そう。そんなもんだろう真実とは。

 

(夢日記)

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