【新刊詩集より】バリバリ

冨田民人

わたしは某国 T 市立病院に入院している。
わたしは体中線に繋がれ電気で生かされている。
カラダの動きは劣化したまま維持されている。
観るものが幻であろうが現であろうが
脳の動きは豊かでありたい。
鳩どもが糞尿処理もしないまま楽しんでいる。

停電により、医療機械が一時全面停止した。
わたしはICU(集中治療室)に入っていたが
救命設備である人工呼吸器が停まってしまった。
ふたたび鼻呼吸も口呼吸もしづらくなった。
指に挟まれた酸素濃度計の数値が再び急低下し
寒気がサッとかけ抜けた。

わたしは某国 G 保健省運営 S 病院に転院している。
暑い秋の日、敵国のミサイルが街に落ち
戦車や兵士たちがやってきた。
この世の生を享受していた鳩どもは飛び去った。
普通に診療し、看護し、仕事をしていた病院の人間は
撃たれ、逃げ、動ける患者は付添い職員と逃げ出し
動けぬ患者はそのまま
わたしは取りのこされたのだ。

留まった人間が
普通以上のことを普通以上の思いで
診てまわる。
圧倒的に普通の思いの人が足らない。

毎朝のゴミ処理や床掃除のおじさんやおばさんも来なくなった。
自分で捨てたゴミもあふれてきた。
廊下やナースステーションにも
採血をした注射器や容器
排泄物を溜めたドレーンストップ
水洗トイレも使えず
汚物も悪臭もあふれ
私の身体に病原菌が押しよせてくる。

廊下の壁が愛らしく華やかな上の階の
産科・小児科病棟の悲惨さは。
下痢や嘔吐しても薬がない
消毒薬もない
感染症が広がらないために
普通の医師が
こどもの手足を切断しなければならない
と。

取り囲む兵士は何をしているのだろう。
死体は見えぬのか、叫びは聞こえぬのか、匂わぬか。
上官の命令、民族のため
殺された仕返しに
突き進むのではな何もしないことによって兵士は
均衡を保っているのではないか。

保育器の電源すでになく
乳児用のミルクも在庫切れ
三人の赤ん坊が死に、三二人の乳児が死にそうだと
ナツメヤシの実しか食べていない
かつて笑い合って街を歩いていた看護婦は
青い脳液を出す母親の涙をあらわにし
荒れた廊下を早足で通り過ぎた。
累々と横たわる子どもたちの死体の陰。

わたしの縫合された腸は低酸素によって
留め金がゆるみ外れ空洞がもたらされていた。
口からやってくる食べ物はそこから漏れだすかもしれず
二ヶ月の絶食と大容量栄養剤点滴を強制された。
そのために首から肺にカテーテルを埋め込まれ
これも電力と化学に頼ることで可能なのである。

交代した兵士は粗末な弁当を摂るだろう
普通のうわさ話をし、笑ったりもするだろう。
平和な街を歩けば、気のいい青少年ではないか。
わたしも街で出会ったら、ほほえみ合えるのではないか。

非常用発電機の燃料が遂に切れた。
電気がまったく使えなくなった。
薬も底をつき
大容量栄養剤と抗生剤の点滴も作動しなくなった。
麻酔なしで手術を受けた患者の
絶叫の針が血管を圧迫し
わたしの真っ赤な液は逆流し破裂した。
死はいたるところに転がっていく。

途切れ途切れの意識
不眠の津波で
兵士も殺され傷つき
普通のお父さんや恋人だった兵士

普通の子ども
普通の女性
普通の高齢者
死はいたるところであふれかえっている。

死んだわたしは
自然も人間も瓦礫と化した
土に明けられた窓から観る。
破壊すべき明けない夜
遠くの大地からひびく
圧迫された悲鳴と涙
殺される者と生かされる者
普通の同居する世界

狂わされた普通だった兵士たちと
飛び去った鳩どもはどこへ行ったのか。
わたしはどこへ行ったのか。
わたしはどこを落ちているのか。
わたしはどこで生かされているのか。

⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯編集部より⎯⎯⎯⎯⎯⎯
以上、新刊詩集
冨田民人『病棟ラプソディ・バリバリ』七月堂
(https://bit.ly/3VV7Kqo )より
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