私の舞踊史 13

柴﨑政夫

前回末尾で、その後の経歴を述べた。

そこまでの心理と決意に至った自分なりの精神放浪過程を説明しよう。

人生開拓面での気弱さ・後悔を抱え続けている今の子なら聞いてくれそうだから。

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周囲を見つめ直すことが大切

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我が国の芸能界には無言のしきたりが存在する。人生をあの世とこの世とに分け、芸能に資する人物は決意表明をしてから、芸の道を邁進する覚悟が必要とされる。加えて、芸とには隣接する他の芸道説くわけがなされており、勝手に行き来はできない状況となっている。

その点、新興勢力による芸については、境目が不明確なため、時として、相互乗り入れ、共同制作等が臨時的試みとして行われる場合もある。

伝統芸の場合、後継者育成のための施策要望が実を結び、継承・後継者育成のための努力を続ける場合、優れた人材を国が認定する制度がある。いわゆる「人間国宝」。

しかし、それでは後継者以外の「芸の裾野を開拓する」活動において、活発化は期待できない。公演助成金申請も一つの方法であるが、既に名声を得ている団体かとか、これまでの経歴等含めて精査される。

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古典芸術から、私小説的描写の当代芸術が流布するまでの変化について

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日本の場合、檜舞台というしつらえが最上級であり、床というものがない歌舞音曲等が付帯する芸術との一線を画す上の存在として、舞台芸術は認知されてきた。従って、野外ロケを併せ持つ映画・演劇と歌舞伎とでははっきりと区分され、双方に出演可能な道は閉ざされていた。後継者づくりにおいても、幼児期から俗世と縁を切り、生涯をできる限り芸道に捧げる覚悟が求められた。

後継者と芸道が繁栄期であるならば何ら問題なく歴史は続くことであっただろう。しかし、第二次世界大戦の傷跡が散見せられた時代、早期に指名を行って、後継者育成を図る方策が取られた。同時に、国公立の養成機関設立や親しむ企画などが試みられた。

となると、新作づくりや従来にない視点からの作品作りが求められる。

海外文化の影響から、戦後の現実を描く→貧困に焦点を当て、立ち直る人々を描く→今を生きる新しい女性像(出稼ぎ→新価値観で行動する)

こうした動きから、監督のカメラと女優がそのまま世の中で体験する課題を描く、新しい芸術が生まれてくる。いわゆる新しい世代の女性たちと翻弄される男たち、という映画が生まれ他。カンヌ映画祭はその代表となる。はじめは、新しい奇抜な服装・考え方で魅了するが、すぐに飽きられ、敬遠される。となると、気になる女・悩みを抱え相談したがる女、そこをつけ狙う男たち。中年お金持ち、ハンサムだが悪いチンピラ。こうした役柄を経てスタ-が生まれていった時代、多くがレッテルを貼られてスタ-トした時代だった。それ故、その後のイメ-ジチェンジに苦しんだ。

その結果、時代を先取りしうまく成功するかと思えば、読みが甘く、挫折する者も出る。

それが現実で、個人の不安感は拭いきず、生涯つきまとう。

芸の道を歩む者は振幅が大きい故に、親子家族の離散、配偶者との家庭崩壊、ひいては休職から無職へと突き進んでしまう。いわば難民出現状態となり、その再雇用への工夫が経営者に求められる。

その先は、一時的な暴動、扇動、そして、逮捕劇にまで至る被害者役や犯罪者役としての再雇用。

もっとも、表現者にもタイプがある、進んで体験しようとする先取り型。他者の芸を横目で盗みながら、要領よく効果的に使い者。

こうして道に迷った人たちはこれまで生きてきた文明の価値を再び見直すことの大切さに気づき始める。

それが古典芸術への回帰である。

当時、新しいタイプの女性像が求められてはいたが、中心軸はそうであっても、周囲は従来通りの型の者たち。ここに仕事が残っていた。

細々と仕事する内に、過去の芸として脇役人生を続けながらも、半分の稼ぎを宝補うやり方である。

当時、能楽堂が作られ始めていた。学校や各地に出向いての公演を繰り返して、観衆の注目を集めようとする試みは、古典芸や舞踊に関しては可能だった。

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様々な工夫や挑戦の後、起こった新展開

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古典芸術は後継者育成可能なものを探し求め、身近なものを幼児期から育てようとしていた。

映画界は、劇場芸術から離れ、微細な表現と映像、それも大自然や戦場といった中に、個人の心象風景を描き出す手法を採り始めていた、

ドキュメンタリ-やニュ-ス扱いの中に、主演者と監督だけプロで、他は素人という組み合わせ。それがネオリアリズモ・ニュ-シネマとしてカンヌ映画祭で脚光を浴び、大衆の中の違った意見発表の場を確保していった。

日本では時代劇にその手法が巧みに組み込まれ、荒野の用心棒改作のマカロニウエスタンから、必殺○○人シリ-ズへとつながり、一部の熱狂的なファン獲得→映画界のリストラ方策として存続可能な阿道を作り出した。

正義の味方は消え、いつの間にか「世直し」と称する悪党が、さらに大きな悪役を退治する作品作りで、後々まで生きながらえることになったのである。

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政治経済面での新しい展開

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この期に乗じたのが共産圏の各種芸術。

オペラ・バレエでは豊かな声量・高等技法・壮麗な舞台作りで、海外公演に進出。世界的名声を確保する。

しかし、社会主義リアリズムに習った政策方針は、決まり切った起承転結、派手で月並みな誇大表現。

やがて、飽きられる。

その隙を突いたのが、ポ-ランド。戦時中の出来事として、ヒットラ-側を悪役としながらも、正義のために立ち向かった勝利者(現体制波)は描かず、資本主義陣営を夢見た若きチンピラを主役に据え、ちょい悪ながら、憎めない人物道を堂々と描き出した。→それは、私たちの先祖の中に、こういった類いのものもいた。という描き方で。

これがいわゆる「雪解け期」の芸術。

これが賞賛されることによって、東側の懐の大きさと余裕を示し、西側との共通認識者たちがいたという現実を描き出した。

ソビエトに「モスクワ郊外の夕べ」という曲がヒットすれば、アメリカに「ワシントン広場の夜は更けて」という曲が作られた。バラライカ対バンジョ-という組み合わせ。

このなんとなくアンニュイな雰囲気はしばらく続いたが、現実はそんなに甘くなかった

ベトナム戦争支援がフランス撤退からアメリカへとバトンタッチされたからである。

その後は、泥沼へと突き進む。

このとき、「時代に必要な芸術」というものと「過去の優れた芸術を支える技術確保」という選択を迫られたのが私だった。

映画、舞台等には、出たい奴がいっぱいいた。結果はともかく、熱気がすべての時代だった。

しかし、ちょい役にも2世代目がうろちょろ。「うちの子を使ってくれ」というのが多かった。

それに嫌気がさして、しまった私だった。

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新しい展開と過去との検証を経て、歴史の中に身を委ねる覚悟

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新劇関係の演目は固定数の人気があったが、すでに経験した役者たちが独占化。しかも老化が進んでいたが、その日暮らしが精一杯の状態だった。

ソ連系よりも、中国系への興味関心が高まったじ時代。

ここに、大陸での戦争後、芸術文化を見直そうとする各国と、そこに、仕事が欲しい演劇人の介入意欲が生まれた。

こうしていくつかの「新しい作品」が生まれた。

そのほとんどが戦争被害者を描く、あるいは、日本から大陸へ強制移動させられた女性たちの生涯。というジャンルだった。

これに付随した歌舞音曲、武道といったジャンルの基礎的動きができる役者が必要となった。

政治経済が相互に仲良い状態であれば、この傾向は続く。

やがて、東西の分離は、アメリカ系のミュ-ジカル分野の学習か、中国や大陸の学習か、そして、ソ連系のオペラ・バレエ系学習の必要性を問われる時代へと変貌。

ここに、「自分がどれかを選択する決心」の必要性が問われた。

成功例としては、ハプスプルグ帝国の文化を継承したアメリカ上流家庭が好まれ、モ-ツァルトからサウンド・オブ・ミュ-ジックといった、よりよき家庭作りを目指す作品への学習可能な進路先。

ロンドン下町系の新作ミュ-ジカル。

大陸を統一しようとする過去の名君を描くドラマ。

逆に戦争被害を描く泥間。

男性中心から戦争否定し、女性の活躍を描く苦労・根性ドラマ。

希望を捨てずに生きようとする民衆の間で生まれ・好まれた歌曲。

古典芸術としてのオペラバレエ訓練への本格的学習留学。

これらのジャンルは、いつの時代に合っても必要感満載。

ただし、自分が選択した以上、二度と振り返ってはならない、戻れない選択だった。

自分が挑戦するだけなら自己責任の内だが、家に戻る必要性と、弟・妹を支援する役目を背負わされていた。

自ろの学習が、当代で報われるのではなく、次世代以降の子・孫になってようやく道が開ける選択をしなければならなかった。

親は言った。「この世にあるものの中で、一番悪いのは何か。それは貧困だ。貧すれば鈍する。自分自身さえも変え、間違った選択をしてしまう。」

それが父親が言った人生そのものであった。

それ故、5歳の時スカウトされながら、手元に置きたかった理由であり、本家の男子継承につなぐ唯一の望みだった。

他人事でなく、我が家は、再び、犬神家の一族のごとき展開に戻るのだろうか。

だが、様々な困難のな中、情報収集だけは自由だった。

持って生まれた能力だけは親の範疇を超え、飛び出してゆく。

それに賭け、次の時代を待つしかなかった。