柴﨑政夫 歴史的エッセイ「春また巡り来て、山河あり」 柴﨑政夫 現代は、あのスタ-リンとモロトフ外務相の時代を彷彿とさせます ノ-メンクラ-ツと呼ばれた新興富裕層が出現した都市部に対し、 農村部の貧困は深まりました。 その反省が自然とある映画にあふれ出てしまい、大人気を博しました。 5カ年計画... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 私の舞踊史Ⅹ(10) 柴﨑政夫 たまたまだが、高専卒→テレビ局勤務から、大卒資格取得→大卒後NHKへ転職希望という人物と知り合った。(理系専門知識はOKで一般知識が鍵) 話をすると、制作側では、番組責任の判断は視聴率。継続企画かどうかは周囲の判断。 となると、低... 柴﨑政夫歴史
エッセイ 私の舞踊史Ⅸ 柴﨑政夫 当時、私の所属する所と劇団四季だけが創作子どもミュ-ジカルに意欲的に挑戦。互い違いに、夏休み番組として放映された。 その企画代表が私の師Tであり、イ-ゴリ・モイセエフ・バレエを手ほどきした人。 「パルチザン」は老若男女が心なら... エッセイ柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 私の舞踊史Ⅷ 柴﨑政夫 後になって気づいたことだが、半年ごとの養成所のカリキュラム計画と発表については、後になって、娘がロシア留学した際に出題されたものと極似する内容だった。 歌唱発表、抜粋場面の演技発表、肉体表現、論文発表。そして最後に総合作品とし... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 私の舞踊史Ⅶ 柴﨑政夫 俳優生活も新年度に入った。突然「柴﨑君、君の声は遠くまで通る。すぐに使えるよ。」と言われた。続けて「一つチャンス逃したけどね。」→「何のことですか。」→「いや終わったことだからいいんだ。」 これが我が師Tとの出会い。直木賞作家... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 私の舞踊史Ⅵ 柴﨑政夫 私が所属した俳優協同組合付属養成所では、様々な先生の指導を受けることができました。ここは日本を代表する声優達が有名。声の技法に関してトップレベル。だから売れる売れないに関係なく、その技法を学ぼうとしました。 特に、勝田久先生に... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 私の舞踊史Ⅴ 柴﨑政夫 不本意入学ながら、大学生活が始まった。学徒援護会で間借りを探した。ここの交差点対面側には警察の駐在所があって、ある漫画家が署員の個性や性格を拡大して書くこともあった。地下鉄を利用すれば早稲田から神楽坂・飯田橋まで一直線。 騒動... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」 柴﨑政夫 幸か不幸か父から書道の手ほどきは受けていた。 小学校5年生からは臨書に取りかかり、虞世南、欧陽詢らの書風にふれながら、千字文を習っていた。 これは強制だったため、弟妹はすぐに離脱。後々これがなぜか、学校掲示の看板書きに役立っ... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 昭和の時代も懐かしい「私の舞踊史Ⅲ」 柴﨑政夫 昭和20~26年の間、アメリカ進駐軍指導の下、日本は再生してきた。 華族制度の廃止、マサチュ-セッツ州制度を基本とした義務教育の整備。外国語の推奨。しかし、直ぐ実現できるわけもなく、努力する体制で教育推進が図られた。 男女平... 柴﨑政夫歴史
柴﨑政夫 私の舞踊史Ⅱ 舞踊教育法研究家 柴﨑政夫 続いて、私の所属する寺院檀家も紹介します。 秩父札所16番 無量山 西光寺~四国八十八箇所霊場の本尊模刻の回廊堂が建つ。 …この回廊を巡ると、四国八十八箇所を巡るのと同等の功徳が得られ、観音様の功徳と共に弘法... 柴﨑政夫歴史