歴史

柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅴ

柴﨑政夫  不本意入学ながら、大学生活が始まった。学徒援護会で間借りを探した。ここの交差点対面側には警察の駐在所があって、ある漫画家が署員の個性や性格を拡大して書くこともあった。地下鉄を利用すれば早稲田から神楽坂・飯田橋まで...
柴﨑政夫

憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」

柴﨑政夫  幸か不幸か父から書道の手ほどきは受けていた。  小学校5年生からは臨書に取りかかり、虞世南、欧陽詢らの書風にふれながら、千字文を習っていた。  これは強制だったため、弟妹はすぐに離脱。後々これがなぜか...
柴﨑政夫

昭和の時代も懐かしい「私の舞踊史Ⅲ」

柴﨑政夫  昭和20~26年の間、アメリカ進駐軍指導の下、日本は再生してきた。  華族制度の廃止、マサチュ-セッツ州制度を基本とした義務教育の整備。外国語の推奨。しかし、直ぐ実現できるわけもなく、努力する体制で教育推進...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅱ

舞踊教育法研究家 柴﨑政夫 続いて、私の所属する寺院檀家も紹介します。  秩父札所16番 無量山 西光寺~四国八十八箇所霊場の本尊模刻の回廊堂が建つ。  …この回廊を巡ると、四国八十八箇所を巡るのと同等の功徳が得...
柴﨑政夫

私の舞踊史Ⅰ

舞踊教育法研究家柴﨑政夫 まもなく71才となる私ですが、舞踊歴に至るまでの紆余曲折を少し長くなりますが、述べます。理由は、日本における舞踊発展の歴史上、今日の大学院卒業者や舞踊評論家は数名を除き、私以後の世代となりますから、...