矢崎秀行

エッセイ

【特別寄稿】筑豊炭鉱の「記憶画」、野見山曉治(1920~2023)の「遠賀川」

矢崎秀行  現代日本の洋画界の長老・野見山曉治(ぎょうじ)氏は今年6月22日に亡くなった。  102歳の天寿を全うされた。  福岡の炭鉱町に生まれた彼にとって「炭鉱」は絵画のモチーフというよりも、故郷そのものだった。  福岡県嘉穂郡穂波村(...
批評・論考

【特別寄稿】コラム①藤牧義夫 モダン都市東京に江戸は蘇ったのか!!

矢崎秀行  藤牧義夫(1911~35年9月2日失踪)『ENOKEN之図』1934年 「ENOKEN之図」は謎めいた作品として以前から研究者の議論を呼んでいたという。 この図は1934年9月27日、浅草松竹座での新版画集団展覧会にちなみ、当時...
批評・論考

【特別寄稿】向井潤吉の戦争画について

矢崎秀行 向井潤吉(1901~95)『影(中国・蘇州上空にて)』1938年福富太郎コレクション蔵  今までもっていた漠然としたイメージが変容を迫られ、認識を新たにすることがある。  向井潤吉のこの絵は、日中戦争が始まった翌年1938年に、陸...
批評・論考

【特別寄稿】エドワード・ホッパー『二人のコメディアン』1965年について

矢崎秀行  絵描きは、その最後に「この世への惜別の絵画」を描くことがある。 ホッパー(1882〜1967)のこの絵は、まさにそうした絵画だと言われている。男性はホッパーで、女性は生涯の伴侶だった妻・ジョセフィーン。 これが定説だが、私も同意...
批評・論考

[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(四)

矢崎秀行  スサノヲと中上健次⑦ つい連想してしまうのだが、それはあたかも奄美沖縄の《おなり神信仰》を私たちに想起させる。《おなり神》は兄弟を守護するとされる姉妹の霊威のことである。沖縄学の父・伊波普猷(1876~1947)が見出し、民俗学...
批評・論考

[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(三)

矢崎秀行 新宮の熊野灘に面した海岸に座る中上健次 スサノヲと中上健次⑤  けれども、ジャマイカのトレンチタウンと新宮の路地には大きな違いがあった。負を負った被差別地域であることは共通するものの、トレンチタウンは今なお続く被差別の貧民街だが、...
批評・論考

[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(二)

矢崎秀行 新宮の熊野灘に面した海岸に座る中上健次 スサノヲと中上健次③ ボブ・マーリー、本名ロバート・ネスタ・マーリーは1945年2月、ジャマイカのセント・アン教区ナインマイルズに生まれた。中上より一つ歳上である。父親は英国生まれの白人、母...
批評・論考

[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(一) 

矢崎秀行 新宮の熊野灘に面した海岸に座る中上健次 スサノヲと中上健次①  1998年8月、吉増剛造は小説家の中上健次(1946~92)の和歌山県新宮市でいとなまれた七回忌に出席して、心のこもった追悼の詩を朗読した。以下の通りである。(わかり...
批評・論考

内藤多仲―東京タワーリバイバル “無骨な鉄塔”から「記憶の再生装置」へ

矢崎秀行  改めて述べるまでもないが、構造建築家・内藤多仲(たちゅう)(1886~1970)は戦後日本を代表する建築家で、東京タワーの設計者である。  彼は明治19年山梨県中巨摩郡榊村(現南アルプス市曲輪田)に生まれた。旧制甲府中学、第一高...