夢日記『真っ白な闇』

ゴーレム佐藤

 目を覚ますと天使が僕の上に浮かんでいる。

 背後の光輪はどこまでも眩しく天使は微動だにしない。動いてはいけないような気がして暫くはそのまま枕に頭を沈めていた。

 だんだん意識がはっきりしてくるといろいろ考えを巡らす僕がいた。それにしても絵に描いたような天使だ。どこから入ってきたんだろう。笑ってるわけではないがわずかにあがった口の端が抗し難い優しさを醸し出している。視線の先は僕のずっと背後を見ているようだ。遠い目。しかし人間と明らかに違うのは顔も身体も微動もしないことだ。張り付いたようなその表情はどこか恐怖を誘う。一体何しにきたのだろう。考えたくはないが、これっていわゆる、お迎え?いつの間にやら僕は死んでしまったのかしらん。

 いつまでたっても天使はその位置から動くこともなく何かを話しかけてくるわけでもなかった。しかしこちらは人間だ。徐々に生理的欲求に耐えられなくなって意を決してトイレへ行くことにした。

 その時天使が動いた。ハッとなって僕は硬直した。なんだ、何かあるのか?何か始まるのか?何か言うのか?お迎えか?

 高鳴る心臓の鼓動を手で押えながら僕はじっと何が起こるのかを待っていた。一分。二分。待てども待てども何事も起こらず何の声も聞こえず相変わらず天使はそのまま動かず僕の眼前にいる。意識はもう完全にはっきりしている。ぼやけた感想などは吹っ飛んでしまい、叫び声をあげたくなる狂気に駆られる。

 耐え切れず僕は一気に布団を跳ね除け廊下のむこうのトイレの方へと向かった。

 天使は…それでもいる。僕の眼前に、視線方向に等距離で同じ角度で、つまり僕が視線を床に落とせば床に寝転がったように、天井を見上げれば天井に張り付いたように、一歩踏み出せば後ろへ、僕が一歩後ずさりすれば前へ。振り払おうとめちゃくちゃに頭を振ってもついてくる。恐ろしいことに目を瞑っても暗闇の中に天使だけが浮かんでいる。

 暫く振り払おうと格闘していたが、とにかく用を足したくてまずはそれからだ、とトイレに駆け込んだ。

 何をしようとトイレに入ろうと僕の視線の先にはずっと天使がいる。わけもわからないまま、天使を睨み返しながら僕はやっと用を足した。追い詰められていたひとつの問題が解決すると、少しは落ち着いてきた。なんせ目を瞑っても顔をどこへ向けても張り付いたように天使がいるのだ。もう一度よく観察してみる。

 羽根が生えている。真っ白なドレス?いや長い布をまとったようなその姿。おそらくは女性。少女のように見える。広げた羽根は、昔見たアボットなんとかというアメリカの画家の天使の絵のようだ。僕はユダヤ教徒でもなければキリスト教徒でもイスラム教徒でもない。なぜコイツは現れた?しかも現れただけで何もしない。ただ僕の眼前に張り付いている…

 僕は目医者の説明を受けていた。

 え?今まで見えなかったんですか?生まれてこのかた?今朝まであなたは天使のいない生活を送っていたとおっしゃるんですか?ははは、そんなバカな。大丈夫ですか?一度精神科へ行ってみたらどうです。わたしの天使はきっとガブリエルだと思うんですよ。大天使ガブリエル。あのマリアに受胎告知をした、ね、いや、わかりませんよ。何かを尋ねても何も答えてくれはしませんから。私の想像です。でも楽しいでしょ。そんな大天使が私についてくれるって想像するだけで。ね。疲れているんですよ。少し休養とったほうがいいですよ。今日は仕事などせず、自宅でテレビを見るなり寝てしまうなりゆっくりしてみてください。あなたの天使はあなたが何をしていたっていつだって見守っていてくれるのですから、安心して。何か質問ありますか?はい、それでは今日のところはこれで。明日また何かあったら来てみてください。窓口で会計してくださいね。一応目薬出しておきます。はい、次の方…。

 釈然としないまま、天使を引き連れて僕は自宅へ戻った。

 誰もが見えている?そんなバカな。あの目医者だけなんじゃないか?いや、あの目医者、精神科へ行けと言ってたな。僕の話に適当にあわせていただけなのかもしれない。友人に電話をして確かめようか、やあキミの天使はどんな顔してる?

 とてもそんな電話してみる気になれなくて僕はもう寝てしまうことにした。気がついてみれば激しく疲労しているのだった。けれども布団にもぐって目を瞑っても天使は消えることはなかったが、極度の疲労の中、うつらうつらと夢の世界へ迷い込んでいくのだった。

 翌日、目を覚ますと二人の天使が僕の上に浮かんでいた。

 頭の中では、メリー・ホプキンの歌う「悲しき天使」がガンガンにかかっていた。この歌の邦題は歌詞の中身と全然関係ない。原題は「Those Were the Days」だ。なのに僕には天使の歌に聞こえた。鳴り止まない歌と二人の天使に視線をさえぎられて何度も転びながら、やっとのおもいで出たベランダの手摺を掴みながら、僕は眼下の街に向かって何か叫んでいた。街中を覆い尽くす天使の群れで視界は一点のシミもなく心だけが荒れ狂っていた。


(夢日記)

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