ホーム
【書き手】
浅野卓
とある会社員から見た「心理」の話(1)
とある会社員から見た「心理」の話(2)
とある会社員から見た「心理」の話(3)
とある会社員から見た「心理」の話(4)
AI甲子園を目指す高校生に伝えたいこと
飯島章嘉
詩)旅の途中で
詩「生き物ソネット」四篇
詩二篇『家族譜』より「書かれた
―
母」「書かれた
―
父」
意外な自分を知る時間~アートセラピーのワークショップに参加して
詩二篇『家族譜』より「書かれた―姉」「書かれた―兄」
書かれた―叔母 「家族譜」より
書かれた―祖母 「家族譜」より
書かれた―祖父 「家族譜」より
書かれた―家族
詩とイラスト「その都市」
三つのソネット
いとう あきこ
初投稿エッセイ*名前がない白猫
『自分が生きることの無駄』(散文)
「幽体離脱できます」(散文)
『絶対と相対とバランス』
「いるだけで傷つく人がいることに、気づく」
糸数七重
東洋医学とは何か——あるいは文化の壁について
梅野泉
詩とダンス【狂うことが許される愛を】
大輪茂男
[特別寄稿]舞踏小説『鹿のヴァイオリン』
求道鞠
小説的断章『絶歌』
小説的断章『イヴの煙』
短編小説『コールドウォーター・ルール』
短編小説『泡沫(うたかた)の日々』コールドウォーター・ルール2
クリュエワ みか
なぜ日本に移住したいの?と聞かれたら…
ゴーレム佐藤
夢日記『クリシュナ』
夢日記『真っ白な闇』
夢日記『バカンス』
夢日記『それは極上の天気の日だった』
夢日記『番号』
夢日記『闇の左手』
夢日記『目覚めよと呼ぶ声あり』
夢日記『銀髪』
夢日記『瞼の絵』
夢日記『ぐるぐる』
小森俊明
音楽家が文章を書き、発表するということー自身の経験を振り返ってー
芸術家と政治
新著『現代音楽とメディア・アートの空観無為』のご紹介
三浦一壮氏の舞踏との出会いと共演
「教授」(坂本龍一)を悼む
瀧口忠男氏を悼む
独創的な作曲家、木村雅信氏のこと
柴﨑政夫
私の舞踊史Ⅰ
私の舞踊史Ⅱ
昭和の時代も懐かしい「私の舞踊史Ⅲ」
憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」
私の舞踊史Ⅴ
私の舞踊史Ⅵ
私の舞踊史Ⅶ
私の舞踊史Ⅷ
私の舞踊史Ⅸ
歴史的エッセイ「春また巡り来て、山河あり」
私の舞踊史Ⅹ(10)
私の舞踊史11
柴沼敦子
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜(2)
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜(3)
田高孝
『トーテムとタブー』 付 フロイトの思想形成の謎
思い出:随想「アンチやくざ者ブルース」
怪奇心理小説『愛紅始め』『駒込白馬堂』
田高孝のスモールギャラリー
ニューヨーク黒人社会の移住
虚構かリアルか『森田の環境』
ブランショとの出会い
キャバクラ研、その後
魔物テレビ
肝炎ストーリー
怪奇心理小説『西ヶ原クロス・ロード』
小説『回帰 或いは、テレ・オフ』
マリファナ対アロエ=手の甲と手のひら―野生の思考を使う。
接待備忘録—上野フォルマ
ヨーロッパ生成 5層としてのヨーロッパ⽣成
田中聡
反抗期とテクノポップについての覚え書き(1)ー「型に嵌ること」をめぐってー
反抗期とテクノポップについての覚え書き(2)—「型に嵌ること」をめぐって—
『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『ギリヤークさんと大拙』試論(二)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『ギリヤークさんと大拙』試論(三)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(一)
『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(ニ)
ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(一)
ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(二)
田中義之
連載ユーモア小説『シン・コンペイ島綺譚』
歌集『恋歌へ』
詩画集『夏の楽譜』
ユーモア小説:シン・コンペイ島綺譚 (2)
短詩「花花は」
ある小説に関する思い出
『猫画集』
画集『音楽図譜』
アート・セラピーに参加して
画集『いい漢字』
短歌集『収容所群島』
短歌集『奇跡~懐かしい日々』
イラスト集『顔、顔、顔』
フェニックス六首
長岡ゆり
舞踏の即興、振り付け、作品について思うこと
西之森涼子
初投稿エッセイ*変わりゆく故郷~紫陽花の坂道にて
思い出エッセイ『梅香る里の夏』
思い出エッセイ「祖母と着物」
思い出エッセイ「川辺のビキニ」
野原広子
オバ記者流、借金と生き方講座
わがアルバイト人生すごろく〜1
わがアルバイト人生すごろく〜2
泥沼人生にも限界が来る。私がパリで決別したこと。
怖くて愛しい沖縄、座間味島
猫とピアニスト
原田成志
F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(前半)
F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(後半)
原田広美
*【フェニックス】~創刊にあたっての随想
*原田広美の『ハムレット/オフィーリア』、そしてグリム童話『蛙の王様、あるいは鉄のハインリッヒ』
*夢解きの始め方~『やさしさの夢療法』まえがき
幸せになるためのアファメーション・ノート(その1)
どうしてセラピーを??そしてゲシュタルト療法とは?? ~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(前半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その2)
癌再発から100才まで生きたハルプリン、精神分析とセラピー~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(後半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その3)
『漱石の〈夢とトラウマ〉』はじめに(前半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その4)
『漱石の〈夢とトラウマ〉』はじめに(後半)
『夢十夜』で漱石を癒す(2)
『夢十夜』で漱石を癒す(3)
平塚由香
ワークショップをやり始めて
ワークショップについて「揺蕩うわたし」
デザインの力って
藤井雅実
初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り
北條立記
詩題)愛と希望と生きること
今の人にとって、本は生きているか
短編小説『憐れに憐れな、そして憐れよ!!』
舞踏映像「昼下がりのバッカス」を振り返って
芸術的欲求を遂げるには—3つのライトスケッチ—
短編小説『赤子の皺』
愛を阻害する日常品
観劇の感激を呼ぶ作法—音楽と裏方の「体験」があるダンス公演—
インクルーシブとは?〜舞台フェスティバル「りれいしょん(Relation)」の開催に寄せて〜
言葉とは、思考と感覚を永く残すものである
考え抜くという仕事
インクルーシブフェスティバル「りれいしょん」の反省と考察
小説風エッセイ『心象の中の少女』
洋梨の上に喜んで
保延薫
初登場エッセイ『猫はネコ(寝こ)ろびヒト育て』
ネコは「寝こ」ろびヒト育て Ⅱ
ネコは「寝こ」ろびヒト育て Ⅲ
猫はネコろびヒト育て Ⅳ
ネコは寝ころびヒト育てⅤ
桝田武宗
[特別寄稿] 蕪村の発句に於ける時間の考察(一)―江戸時代に於ける時間の認識―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(二)—子規と自然主義—
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(三)―俳句とモンタージュ―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(四)―不可逆という時間―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(五) —経過という時間—
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(六)―作為の時間-
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(七)最終回―永遠の時間-
松岡祐貴
まどか研究所「アートセラピスト養成講座」で学んだこと
アートセラピスト養成講座後に学びたいこと
まどろむ海月(西武 晶)
詩画集『夏の楽譜』
詩画集『春の頂 から』
詩画集『春の頂から』ー 君のいる風景Ⅱ
詩画集『春の頂から』ー 君のいる風景Ⅲ
詩画集『春の頂から』ー君のいる風景 Ⅳ
詩と写真『ユーモアの森から』
詩と写真「星空の出来事」Ⅰ~Ⅵ
南清璽
連載小説『天女』
連載小説『天女』第二回
連載小説『天女』第三回
連載小説『天女』第四回
連載小説『天女』第五回
連載小説『天女』第六回
連載小説『天女』第七回
連載小説『天女』第八回
夢日記『風景』
MIRIE
即興について
松原容⼦
初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り
矢崎秀行
内藤多仲―東京タワーリバイバル “無骨な鉄塔”から「記憶の再生装置」へ
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(一)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(二)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(三)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(四)
【特別寄稿】エドワード・ホッパー『二人のコメディアン』1965年について
【特別寄稿】向井潤吉の戦争画について
【特別寄稿】コラム①藤牧義夫 モダン都市東京に江戸は蘇ったのか!!
【特別寄稿】筑豊炭鉱の「記憶画」、野見山曉治(1920~2023)の「遠賀川」
矢野マミ
~ご挨拶~
小説『思い出』
マミのA4一枚、こころのデトックス (1)
ファイルを消す人
ダマヌール・サーキットにて
マミのA4一枚、こころのデトックス (2)
マミのA4一枚、こころのデトックス (3)
マミのA4一枚、こころのデトックス (4)
マミのA4一枚、こころのデトックス(5)
マミのA4一枚、こころのデトックス(6)
短編小説『悦っちゃん』
マミのA4一枚、こころのデトックス(7)
マミの A4一枚、こころのデトックス(8)
マミのA4一枚、こころのデトックス(9)
山家誠一
笠井叡新作ダンス公演「『櫻の樹の下には』カルミナ・ブラーナを踊る」の笠井休演を巡って考えた事。
舞台覚え書き『ストーリーを消滅させた身体の強度』
山田佳代
自分の中にうまれた感覚を大切に~ZOOM「アートセラピー実験工房」最終回の感想!!!
山田 浩貴
「最後の花火」——フジファブリック『若者のすべて』にきこえる自己予言
芸術体験とアジールに関する試論
「音楽はずるいよ。心に直球で来るから」――発車メロディーの作曲者に語られた言葉
イサム・ノグチと「芸術家が役に立つ」ということ
山本幸生
東洋「哲学」について(1)
東洋「哲学」について(2)
東洋「哲学」について(3)
東洋「哲学」について(4)
新連載「西洋」について(1)
「西洋」について(2)
「西洋」について(3)(フランスに関して)
「西洋」について(4)(フランスに関して) 補足
「西洋」について」(5) (英国に関して)
【「西洋」について】(6) (ドイツ・ロシアに関して)
若月小百合
「多喜二を訪ねる 当時をそのままに」
I write「約束の代わりに」
和田能卓
【初登場】カイエ・福永武彦『忘却の河』―〈妣ははの国〉をめぐって―
onetree
実体験を踏まえた共生社会における現存在の本来性について
ヤスパース哲学と精神疾患〜現実的な実在の受容へ〜
【カテゴリー】
〈エッセイ〉
〈文学〉
〈批評・論考〉
〈歴史〉
〈絵画〉
執筆要綱
ホーム
【書き手】
浅野卓
とある会社員から見た「心理」の話(1)
とある会社員から見た「心理」の話(2)
とある会社員から見た「心理」の話(3)
とある会社員から見た「心理」の話(4)
AI甲子園を目指す高校生に伝えたいこと
飯島章嘉
詩)旅の途中で
詩「生き物ソネット」四篇
詩二篇『家族譜』より「書かれた
―
母」「書かれた
―
父」
意外な自分を知る時間~アートセラピーのワークショップに参加して
詩二篇『家族譜』より「書かれた―姉」「書かれた―兄」
書かれた―叔母 「家族譜」より
書かれた―祖母 「家族譜」より
書かれた―祖父 「家族譜」より
書かれた―家族
詩とイラスト「その都市」
三つのソネット
いとう あきこ
初投稿エッセイ*名前がない白猫
『自分が生きることの無駄』(散文)
「幽体離脱できます」(散文)
『絶対と相対とバランス』
「いるだけで傷つく人がいることに、気づく」
糸数七重
東洋医学とは何か——あるいは文化の壁について
梅野泉
詩とダンス【狂うことが許される愛を】
大輪茂男
[特別寄稿]舞踏小説『鹿のヴァイオリン』
求道鞠
小説的断章『絶歌』
小説的断章『イヴの煙』
短編小説『コールドウォーター・ルール』
短編小説『泡沫(うたかた)の日々』コールドウォーター・ルール2
クリュエワ みか
なぜ日本に移住したいの?と聞かれたら…
ゴーレム佐藤
夢日記『クリシュナ』
夢日記『真っ白な闇』
夢日記『バカンス』
夢日記『それは極上の天気の日だった』
夢日記『番号』
夢日記『闇の左手』
夢日記『目覚めよと呼ぶ声あり』
夢日記『銀髪』
夢日記『瞼の絵』
夢日記『ぐるぐる』
小森俊明
音楽家が文章を書き、発表するということー自身の経験を振り返ってー
芸術家と政治
新著『現代音楽とメディア・アートの空観無為』のご紹介
三浦一壮氏の舞踏との出会いと共演
「教授」(坂本龍一)を悼む
瀧口忠男氏を悼む
独創的な作曲家、木村雅信氏のこと
柴﨑政夫
私の舞踊史Ⅰ
私の舞踊史Ⅱ
昭和の時代も懐かしい「私の舞踊史Ⅲ」
憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」
私の舞踊史Ⅴ
私の舞踊史Ⅵ
私の舞踊史Ⅶ
私の舞踊史Ⅷ
私の舞踊史Ⅸ
歴史的エッセイ「春また巡り来て、山河あり」
私の舞踊史Ⅹ(10)
私の舞踊史11
柴沼敦子
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜(2)
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜(3)
田高孝
『トーテムとタブー』 付 フロイトの思想形成の謎
思い出:随想「アンチやくざ者ブルース」
怪奇心理小説『愛紅始め』『駒込白馬堂』
田高孝のスモールギャラリー
ニューヨーク黒人社会の移住
虚構かリアルか『森田の環境』
ブランショとの出会い
キャバクラ研、その後
魔物テレビ
肝炎ストーリー
怪奇心理小説『西ヶ原クロス・ロード』
小説『回帰 或いは、テレ・オフ』
マリファナ対アロエ=手の甲と手のひら―野生の思考を使う。
接待備忘録—上野フォルマ
ヨーロッパ生成 5層としてのヨーロッパ⽣成
田中聡
反抗期とテクノポップについての覚え書き(1)ー「型に嵌ること」をめぐってー
反抗期とテクノポップについての覚え書き(2)—「型に嵌ること」をめぐって—
『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『ギリヤークさんと大拙』試論(二)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『ギリヤークさんと大拙』試論(三)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(一)
『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(ニ)
ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(一)
ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(二)
田中義之
連載ユーモア小説『シン・コンペイ島綺譚』
歌集『恋歌へ』
詩画集『夏の楽譜』
ユーモア小説:シン・コンペイ島綺譚 (2)
短詩「花花は」
ある小説に関する思い出
『猫画集』
画集『音楽図譜』
アート・セラピーに参加して
画集『いい漢字』
短歌集『収容所群島』
短歌集『奇跡~懐かしい日々』
イラスト集『顔、顔、顔』
フェニックス六首
長岡ゆり
舞踏の即興、振り付け、作品について思うこと
西之森涼子
初投稿エッセイ*変わりゆく故郷~紫陽花の坂道にて
思い出エッセイ『梅香る里の夏』
思い出エッセイ「祖母と着物」
思い出エッセイ「川辺のビキニ」
野原広子
オバ記者流、借金と生き方講座
わがアルバイト人生すごろく〜1
わがアルバイト人生すごろく〜2
泥沼人生にも限界が来る。私がパリで決別したこと。
怖くて愛しい沖縄、座間味島
猫とピアニスト
原田成志
F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(前半)
F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(後半)
原田広美
*【フェニックス】~創刊にあたっての随想
*原田広美の『ハムレット/オフィーリア』、そしてグリム童話『蛙の王様、あるいは鉄のハインリッヒ』
*夢解きの始め方~『やさしさの夢療法』まえがき
幸せになるためのアファメーション・ノート(その1)
どうしてセラピーを??そしてゲシュタルト療法とは?? ~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(前半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その2)
癌再発から100才まで生きたハルプリン、精神分析とセラピー~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(後半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その3)
『漱石の〈夢とトラウマ〉』はじめに(前半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その4)
『漱石の〈夢とトラウマ〉』はじめに(後半)
『夢十夜』で漱石を癒す(2)
『夢十夜』で漱石を癒す(3)
平塚由香
ワークショップをやり始めて
ワークショップについて「揺蕩うわたし」
デザインの力って
藤井雅実
初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り
北條立記
詩題)愛と希望と生きること
今の人にとって、本は生きているか
短編小説『憐れに憐れな、そして憐れよ!!』
舞踏映像「昼下がりのバッカス」を振り返って
芸術的欲求を遂げるには—3つのライトスケッチ—
短編小説『赤子の皺』
愛を阻害する日常品
観劇の感激を呼ぶ作法—音楽と裏方の「体験」があるダンス公演—
インクルーシブとは?〜舞台フェスティバル「りれいしょん(Relation)」の開催に寄せて〜
言葉とは、思考と感覚を永く残すものである
考え抜くという仕事
インクルーシブフェスティバル「りれいしょん」の反省と考察
小説風エッセイ『心象の中の少女』
洋梨の上に喜んで
保延薫
初登場エッセイ『猫はネコ(寝こ)ろびヒト育て』
ネコは「寝こ」ろびヒト育て Ⅱ
ネコは「寝こ」ろびヒト育て Ⅲ
猫はネコろびヒト育て Ⅳ
ネコは寝ころびヒト育てⅤ
桝田武宗
[特別寄稿] 蕪村の発句に於ける時間の考察(一)―江戸時代に於ける時間の認識―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(二)—子規と自然主義—
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(三)―俳句とモンタージュ―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(四)―不可逆という時間―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(五) —経過という時間—
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(六)―作為の時間-
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(七)最終回―永遠の時間-
松岡祐貴
まどか研究所「アートセラピスト養成講座」で学んだこと
アートセラピスト養成講座後に学びたいこと
まどろむ海月(西武 晶)
詩画集『夏の楽譜』
詩画集『春の頂 から』
詩画集『春の頂から』ー 君のいる風景Ⅱ
詩画集『春の頂から』ー 君のいる風景Ⅲ
詩画集『春の頂から』ー君のいる風景 Ⅳ
詩と写真『ユーモアの森から』
詩と写真「星空の出来事」Ⅰ~Ⅵ
南清璽
連載小説『天女』
連載小説『天女』第二回
連載小説『天女』第三回
連載小説『天女』第四回
連載小説『天女』第五回
連載小説『天女』第六回
連載小説『天女』第七回
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夢日記『風景』
MIRIE
即興について
松原容⼦
初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り
矢崎秀行
内藤多仲―東京タワーリバイバル “無骨な鉄塔”から「記憶の再生装置」へ
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[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(二)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(三)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(四)
【特別寄稿】エドワード・ホッパー『二人のコメディアン』1965年について
【特別寄稿】向井潤吉の戦争画について
【特別寄稿】コラム①藤牧義夫 モダン都市東京に江戸は蘇ったのか!!
【特別寄稿】筑豊炭鉱の「記憶画」、野見山曉治(1920~2023)の「遠賀川」
矢野マミ
~ご挨拶~
小説『思い出』
マミのA4一枚、こころのデトックス (1)
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ダマヌール・サーキットにて
マミのA4一枚、こころのデトックス (2)
マミのA4一枚、こころのデトックス (3)
マミのA4一枚、こころのデトックス (4)
マミのA4一枚、こころのデトックス(5)
マミのA4一枚、こころのデトックス(6)
短編小説『悦っちゃん』
マミのA4一枚、こころのデトックス(7)
マミの A4一枚、こころのデトックス(8)
マミのA4一枚、こころのデトックス(9)
山家誠一
笠井叡新作ダンス公演「『櫻の樹の下には』カルミナ・ブラーナを踊る」の笠井休演を巡って考えた事。
舞台覚え書き『ストーリーを消滅させた身体の強度』
山田佳代
自分の中にうまれた感覚を大切に~ZOOM「アートセラピー実験工房」最終回の感想!!!
山田 浩貴
「最後の花火」——フジファブリック『若者のすべて』にきこえる自己予言
芸術体験とアジールに関する試論
「音楽はずるいよ。心に直球で来るから」――発車メロディーの作曲者に語られた言葉
イサム・ノグチと「芸術家が役に立つ」ということ
山本幸生
東洋「哲学」について(1)
東洋「哲学」について(2)
東洋「哲学」について(3)
東洋「哲学」について(4)
新連載「西洋」について(1)
「西洋」について(2)
「西洋」について(3)(フランスに関して)
「西洋」について(4)(フランスに関して) 補足
「西洋」について」(5) (英国に関して)
【「西洋」について】(6) (ドイツ・ロシアに関して)
若月小百合
「多喜二を訪ねる 当時をそのままに」
I write「約束の代わりに」
和田能卓
【初登場】カイエ・福永武彦『忘却の河』―〈妣ははの国〉をめぐって―
onetree
実体験を踏まえた共生社会における現存在の本来性について
ヤスパース哲学と精神疾患〜現実的な実在の受容へ〜
【カテゴリー】
〈エッセイ〉
〈文学〉
〈批評・論考〉
〈歴史〉
〈絵画〉
執筆要綱
『猫画集』
田中義之
2023.02.26
田中義之
芸術的欲求を遂げるには—3つのライトスケッチ—
新著『現代音楽とメディア・アートの空観無為』のご紹介
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浅野卓
とある会社員から見た「心理」の話(1)
とある会社員から見た「心理」の話(2)
とある会社員から見た「心理」の話(3)
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AI甲子園を目指す高校生に伝えたいこと
飯島章嘉
詩)旅の途中で
詩「生き物ソネット」四篇
詩二篇『家族譜』より「書かれた
―
母」「書かれた
―
父」
意外な自分を知る時間~アートセラピーのワークショップに参加して
詩二篇『家族譜』より「書かれた―姉」「書かれた―兄」
書かれた―叔母 「家族譜」より
書かれた―祖母 「家族譜」より
書かれた―祖父 「家族譜」より
書かれた―家族
詩とイラスト「その都市」
三つのソネット
いとう あきこ
初投稿エッセイ*名前がない白猫
『自分が生きることの無駄』(散文)
「幽体離脱できます」(散文)
『絶対と相対とバランス』
「いるだけで傷つく人がいることに、気づく」
糸数七重
東洋医学とは何か——あるいは文化の壁について
梅野泉
詩とダンス【狂うことが許される愛を】
大輪茂男
[特別寄稿]舞踏小説『鹿のヴァイオリン』
求道鞠
小説的断章『絶歌』
小説的断章『イヴの煙』
短編小説『コールドウォーター・ルール』
短編小説『泡沫(うたかた)の日々』コールドウォーター・ルール2
クリュエワ みか
なぜ日本に移住したいの?と聞かれたら…
ゴーレム佐藤
夢日記『クリシュナ』
夢日記『真っ白な闇』
夢日記『バカンス』
夢日記『それは極上の天気の日だった』
夢日記『番号』
夢日記『闇の左手』
夢日記『目覚めよと呼ぶ声あり』
夢日記『銀髪』
夢日記『瞼の絵』
夢日記『ぐるぐる』
小森俊明
音楽家が文章を書き、発表するということー自身の経験を振り返ってー
芸術家と政治
新著『現代音楽とメディア・アートの空観無為』のご紹介
三浦一壮氏の舞踏との出会いと共演
「教授」(坂本龍一)を悼む
瀧口忠男氏を悼む
独創的な作曲家、木村雅信氏のこと
柴﨑政夫
私の舞踊史Ⅰ
私の舞踊史Ⅱ
昭和の時代も懐かしい「私の舞踊史Ⅲ」
憂国の士、市ヶ谷事件についても読める「私の舞踊史Ⅳ」
私の舞踊史Ⅴ
私の舞踊史Ⅵ
私の舞踊史Ⅶ
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歴史的エッセイ「春また巡り来て、山河あり」
私の舞踊史Ⅹ(10)
私の舞踊史11
柴沼敦子
花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜
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花と緑の癒し~「園芸療法」のお話〜(3)
田高孝
『トーテムとタブー』 付 フロイトの思想形成の謎
思い出:随想「アンチやくざ者ブルース」
怪奇心理小説『愛紅始め』『駒込白馬堂』
田高孝のスモールギャラリー
ニューヨーク黒人社会の移住
虚構かリアルか『森田の環境』
ブランショとの出会い
キャバクラ研、その後
魔物テレビ
肝炎ストーリー
怪奇心理小説『西ヶ原クロス・ロード』
小説『回帰 或いは、テレ・オフ』
マリファナ対アロエ=手の甲と手のひら―野生の思考を使う。
接待備忘録—上野フォルマ
ヨーロッパ生成 5層としてのヨーロッパ⽣成
田中聡
反抗期とテクノポップについての覚え書き(1)ー「型に嵌ること」をめぐってー
反抗期とテクノポップについての覚え書き(2)—「型に嵌ること」をめぐって—
『ギリヤークさんと大拙』試論(一)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『ギリヤークさんと大拙』試論(二)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『ギリヤークさんと大拙』試論(三)-2020年・横浜港公演をきっかけにして-
『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(一)
『本当の音?本当の生(LIFE)?本当の時間?』—追悼・坂本龍一—(ニ)
ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(一)
ゴミ収集労働における「相互承認」と「追跡調査可能性」(二)
田中義之
連載ユーモア小説『シン・コンペイ島綺譚』
歌集『恋歌へ』
詩画集『夏の楽譜』
ユーモア小説:シン・コンペイ島綺譚 (2)
短詩「花花は」
ある小説に関する思い出
『猫画集』
画集『音楽図譜』
アート・セラピーに参加して
画集『いい漢字』
短歌集『収容所群島』
短歌集『奇跡~懐かしい日々』
イラスト集『顔、顔、顔』
フェニックス六首
長岡ゆり
舞踏の即興、振り付け、作品について思うこと
西之森涼子
初投稿エッセイ*変わりゆく故郷~紫陽花の坂道にて
思い出エッセイ『梅香る里の夏』
思い出エッセイ「祖母と着物」
思い出エッセイ「川辺のビキニ」
野原広子
オバ記者流、借金と生き方講座
わがアルバイト人生すごろく〜1
わがアルバイト人生すごろく〜2
泥沼人生にも限界が来る。私がパリで決別したこと。
怖くて愛しい沖縄、座間味島
猫とピアニスト
原田成志
F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(前半)
F・パールズ自伝『記憶のゴミ箱』ゲシュタルトセラピー創始者/新曜社/訳者あとがき(後半)
原田広美
*【フェニックス】~創刊にあたっての随想
*原田広美の『ハムレット/オフィーリア』、そしてグリム童話『蛙の王様、あるいは鉄のハインリッヒ』
*夢解きの始め方~『やさしさの夢療法』まえがき
幸せになるためのアファメーション・ノート(その1)
どうしてセラピーを??そしてゲシュタルト療法とは?? ~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(前半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その2)
癌再発から100才まで生きたハルプリン、精神分析とセラピー~電子書籍版『やさしさの夢療法』あとがき(後半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その3)
『漱石の〈夢とトラウマ〉』はじめに(前半)
幸せになるためのアファメーション・ノート(その4)
『漱石の〈夢とトラウマ〉』はじめに(後半)
『夢十夜』で漱石を癒す(2)
『夢十夜』で漱石を癒す(3)
平塚由香
ワークショップをやり始めて
ワークショップについて「揺蕩うわたし」
デザインの力って
藤井雅実
初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り
北條立記
詩題)愛と希望と生きること
今の人にとって、本は生きているか
短編小説『憐れに憐れな、そして憐れよ!!』
舞踏映像「昼下がりのバッカス」を振り返って
芸術的欲求を遂げるには—3つのライトスケッチ—
短編小説『赤子の皺』
愛を阻害する日常品
観劇の感激を呼ぶ作法—音楽と裏方の「体験」があるダンス公演—
インクルーシブとは?〜舞台フェスティバル「りれいしょん(Relation)」の開催に寄せて〜
言葉とは、思考と感覚を永く残すものである
考え抜くという仕事
インクルーシブフェスティバル「りれいしょん」の反省と考察
小説風エッセイ『心象の中の少女』
洋梨の上に喜んで
保延薫
初登場エッセイ『猫はネコ(寝こ)ろびヒト育て』
ネコは「寝こ」ろびヒト育て Ⅱ
ネコは「寝こ」ろびヒト育て Ⅲ
猫はネコろびヒト育て Ⅳ
ネコは寝ころびヒト育てⅤ
桝田武宗
[特別寄稿] 蕪村の発句に於ける時間の考察(一)―江戸時代に於ける時間の認識―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(二)—子規と自然主義—
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(三)―俳句とモンタージュ―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(四)―不可逆という時間―
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(五) —経過という時間—
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(六)―作為の時間-
【特別寄稿】蕪村の発句に於ける時間の考察(七)最終回―永遠の時間-
松岡祐貴
まどか研究所「アートセラピスト養成講座」で学んだこと
アートセラピスト養成講座後に学びたいこと
まどろむ海月(西武 晶)
詩画集『夏の楽譜』
詩画集『春の頂 から』
詩画集『春の頂から』ー 君のいる風景Ⅱ
詩画集『春の頂から』ー 君のいる風景Ⅲ
詩画集『春の頂から』ー君のいる風景 Ⅳ
詩と写真『ユーモアの森から』
詩と写真「星空の出来事」Ⅰ~Ⅵ
南清璽
連載小説『天女』
連載小説『天女』第二回
連載小説『天女』第三回
連載小説『天女』第四回
連載小説『天女』第五回
連載小説『天女』第六回
連載小説『天女』第七回
連載小説『天女』第八回
夢日記『風景』
MIRIE
即興について
松原容⼦
初投稿*「滝野川クロニクル2022」振り返り
矢崎秀行
内藤多仲―東京タワーリバイバル “無骨な鉄塔”から「記憶の再生装置」へ
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(一)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(二)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(三)
[特別寄稿]スサノヲと中上健次 あるいは嘆くボブ・マーリーと哭きいさちる中上健次(四)
【特別寄稿】エドワード・ホッパー『二人のコメディアン』1965年について
【特別寄稿】向井潤吉の戦争画について
【特別寄稿】コラム①藤牧義夫 モダン都市東京に江戸は蘇ったのか!!
【特別寄稿】筑豊炭鉱の「記憶画」、野見山曉治(1920~2023)の「遠賀川」
矢野マミ
~ご挨拶~
小説『思い出』
マミのA4一枚、こころのデトックス (1)
ファイルを消す人
ダマヌール・サーキットにて
マミのA4一枚、こころのデトックス (2)
マミのA4一枚、こころのデトックス (3)
マミのA4一枚、こころのデトックス (4)
マミのA4一枚、こころのデトックス(5)
マミのA4一枚、こころのデトックス(6)
短編小説『悦っちゃん』
マミのA4一枚、こころのデトックス(7)
マミの A4一枚、こころのデトックス(8)
マミのA4一枚、こころのデトックス(9)
山家誠一
笠井叡新作ダンス公演「『櫻の樹の下には』カルミナ・ブラーナを踊る」の笠井休演を巡って考えた事。
舞台覚え書き『ストーリーを消滅させた身体の強度』
山田佳代
自分の中にうまれた感覚を大切に~ZOOM「アートセラピー実験工房」最終回の感想!!!
山田 浩貴
「最後の花火」——フジファブリック『若者のすべて』にきこえる自己予言
芸術体験とアジールに関する試論
「音楽はずるいよ。心に直球で来るから」――発車メロディーの作曲者に語られた言葉
イサム・ノグチと「芸術家が役に立つ」ということ
山本幸生
東洋「哲学」について(1)
東洋「哲学」について(2)
東洋「哲学」について(3)
東洋「哲学」について(4)
新連載「西洋」について(1)
「西洋」について(2)
「西洋」について(3)(フランスに関して)
「西洋」について(4)(フランスに関して) 補足
「西洋」について」(5) (英国に関して)
【「西洋」について】(6) (ドイツ・ロシアに関して)
若月小百合
「多喜二を訪ねる 当時をそのままに」
I write「約束の代わりに」
和田能卓
【初登場】カイエ・福永武彦『忘却の河』―〈妣ははの国〉をめぐって―
onetree
実体験を踏まえた共生社会における現存在の本来性について
ヤスパース哲学と精神疾患〜現実的な実在の受容へ〜
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