原田広美

◎幸せになるための条件なんてありません、幸せになるための考え方があるだけなのです。(バカボンのパパのように..)
自分を責めない、惨めな思いにさせない、
そうなる発想があれば手放す。
好きなことをさせてあげる、ワクワクすることをさせてあげる。
罪悪感を手放す、
罪悪感を持つと、人からコントロールされます。
コントロールしようとする人が、罪悪感を植えつけます。
不必要なコントロールを手放す、
喜べることをする、
喜べるようにする。
よくできた、
よくやっていると褒めてあげる、ご褒美をあげる。
自分のことも、人のことも。
自分の価値を感じる、私は価値のある存在です。
人の価値も感じる、誰もが価値のある存在です。
私も人も、まず「いるだけでいいんです」。
いつもいろんなことが足りている、と幸せ感や満足感を持つ。
逆に、やりたいことをさせてあげる、夢を持たせてあげる。
私は、私を愛している、と毎日唱える。
そうでない声が出たら、原田さんに送ってみる。
まとめて送ってもよい、その項目別のよいところを探す。
(例)
大学中退、
そういう人の気持ちや状況が分かる。
決められていたが、あまり乗り気ではなかったレールを外れて走り出した!
人に対してインパクトが持てた、それなりに目立つ経歴も、何かの役に立つこともある。
やりたくないことを卒業できた。
(うちの旦那の成志も中退です、それなりに大変ですけどね。
でも、その純心というか、純真さが、
おざなりになりがちな日本文化を飛び越えて、
欧米や、アジア、ラテンアメリカのゲシュタルト療法の人達にも通用して、
日本で有能な奴と言えば成志ということになり、
ニューヨークゲシュタルト研究所の会員になっているんです!✨)
と、うちの話題になってしまった😵💧。

(元は、カフカの姪の家で、カフカが宿泊して何かを執筆したこともあるらしいと、言う)
ちょっと失敗したかな、という人も、
私は、勇気があったために、
または、たまたまそのような巡り合わせで、
人とは違う貴重な体験をした。
そこで他の人が知らない沢山のことを知った、学んだ、体験できた。
まだ、どういう思いがけない何があるか分からない、と自分に期待を寄せる。
お洒落をして自分をカッコよく、あるいは可愛くしてあげる。
自分にやさしく声かけをする。
私はよくやっている、私はいつも私の味方です。
私は、私の親友です。
どんな気持ちも受け入れて聴いてあげるから、安心してね、と言う。
自分を悪く思う必要も、罪悪感を持つ必要もありません。
(時に、反省は必要でも)
私は、私を応援します。
私は、私の善き理解者です。
私は、私を愛します。私は、私が大好きです。
私は、私を輝かせるにふさわしい人間です、
誰もが輝くにふさわしい人間です。
思いやりを与えれば、思いやりが私にも戻って来る。
(情けは、人のためならず)
私が、私を思いやれば、人も私を思いやる。
(どちらが正しいとか、正当かなのではない)
自分の痛みにやさしくなれれば、
人の痛みにもやさしくなれる。
私は、注目に値する人間です。
誰もが注目されるべき人間です。
自分や人のよいところをとことん探す。
などなど、やってみてくださいな!☺️
話す時に緊張する、
「正しく話さなければ」と思う人は、
子供の時、
親の顔色を見ながら話す必要があったのかもしれません。
それで自分で自分を抑える「癖」ができたのですね。
自分を抑える「余分なエネルギー」を節約して、
思いのままに話させてみよう。
自分を責めたり、過去を悔いたり、
心配し過ぎて、不安の中にいるよりも、
そのエネルギーを前向きに、
今と未来に向けて使って行こう。
それでも落ち込んだ時には、悲しい曲を聴こう。
それから少しずつ、楽しくして行こう。
あるいはクレヨンで何かを描いてみよう、
一つ二つと描いてゆこう。
あるいは悲しい絵、悔しい絵、怒りの絵が描けたら、
それを360°少しずつ回転させてみよう。
まったく別の気分に見える角度がある場合もある。
腹が立った時には、
洗濯物を思い切り絞ってみよう、
腹と脚にも力を入れて。
般若の顔を思い切りしてから、
筋肉を解放しよう、緩めよう。
曲げた腕、拳、曲げた脚、顎に、
思い切り力を入れてから、
筋肉を一瞬に解放して脱力しよう。
怒りも悲しみも、
次のあなたを作るための鉱脈です。
その言い分をよく聴いてあげよう。
そして、「何らか」の判断をしよう。
新しい方策や工夫を考えよう。

最後に
―ゲシュタルトの祈り―
(フレデリック・パールズによる)
私は、私のために生きる。
あなたは、あなたのために生きる。
私は、あなたの「期待に応える」ために生きるのではない。
あなたも、私の「期待に応える」ために生きるのではない。
私は私、あなたはあなた。
それでも偶然が私たちを出会わせるなら、それは素晴らしいこと。
たとえ出会えなかったとしても、それは仕方がないこと。
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