欧州バス旅

野原広子

 

 もうガマンも限界。この身体の奥底からこみ上げる欲望を、今夜こそ叶えてやる。そんな衝動でしでかすとロクなことにはならない。だけどこれほどの惨劇になるとは‥‥。逃げるか。どこへ?

 

 あれは初めて海外旅行に行ったときだから結婚2年目の秋で私は26歳。夫とモスクワからギリシャに入って、そこからシフノスというエーゲ海の島で遊び、いったんアテネに戻ってからイスタンブールへ。そこで知り合った絨毯屋のH氏と話しているうちに「オレの実家に遊びに行かないか?」ということになったの。

 

 夫は某放送局の外郭団体の職員、というと「堅い勤め人」と思われがちだけれど、実態はかなり投げやりなギャンブラーで、私とスピード結婚したときは退職金を前借りして競馬に突っ込み、にっちもさっちもいかなくなっていた、というのは結婚4年目で離婚の話し合いをした時にわかったこと。

 

 私も私で念願かなってライターになったものの、食うや食わずの貧乏暮らしにほとほと疲れていてね。そんな時に飲み屋で出会ったのが夫。どっちにしてもままならない現実に嫌気がさしていた時にわらをもつかむように結婚したんだわね。 こんなやぶれかぶれの2人が見ず知らずのトルコという国で田舎に行こうと誘われたら、断るという選択はない。ベリーダンスを観に行くつもりが、車中一泊、往復1,000キロのタクシーの旅になったんだけど、今回はそのときの話ではない。

 

 イスタンブールからアテネに戻って夫は帰国予定日を1週間過ぎて帰国。で、私はというと予定通り、アテネからベネツィアへひとりでエーゲ海を北上したのち、イタリア各地の旅に向かったの。

 

 その途中でパスポート置き忘れ事件を起こし、ベネツィアで知り合ったKさんご夫妻とトリノ在住の日本人画家、堀木勝富さんに大迷惑をかけたのだけど、それはともかくよ。

 

 パスポートのことでトリノに2週間、足止めをくっているうちに季節は一日一日、秋から冬に近づいてきた。9月半ばに出国して遅くとも10月半ばには帰国するつもりだったから、夏服とジャンパーしか持ってきていない。幸い1983年のヨーロッパは後から「ワインの当たり年」といわれるくらい暖かかったからジャンパーの上に雨具として持って行ったビニール製のレインコートを羽織ってしのいでいた。けれどトリノの緯度は日本で言えば礼文島。それをガイドブックで読んだら体感温度が一気に下がった。

 

 昼は連日、連絡先にさせてもらった堀木さんのアトリエでワイン。イタリアで成功した現代美術家とおしゃべりは面白いなんてもんじゃないけれど安宿に帰ると不安と寒さでどうにもならなくなる。

 

 成田から出国して1ヶ月半。その間、ちゃんとバストイレつきのホテル泊まったのはアテネの初日とイスタンブールの数日だけ。イタリアに来てからは「PENSIONE(ペンショーネ)」という看板がかかっている駅前民宿だ。一応、個室だけどベッドのスプリングはゆるゆるだし、バストイレは共有。しかもあちらの人がいうバスはシャワーのことなんだよね。

 

 「こんバス?(風呂付き?)」と民泊の女将に聞くと、自信たっぷりに「シーシー」というから間に受けるとジャーン。確かに風呂桶はあるけどお湯を溜めたくても栓がない。トリノからマントバ、シエナ、サンジミニャーノ、フィレンツェ。パスポートを取り戻してルネッサンスゆかりの街を訪ね歩くのは楽しかったけれど、楽しいということは疲れるということ。

 

 それがどうにもならなくなったのがフィレンツェのペンションだったの。ここも栓なしのバスタブの上に固定型のシャワーだけど、試しに排水口に足を当ててシャワーをひねったら、むむむ。お湯が溜まり出したではないの。「いける」。そう思った私は一度部屋に戻ってタオルとビニール袋を手にして再びバスルームへ。夜の8時。イタリアでは夕食の時間でお風呂を使いたい人はいなさそうだ。ビニール袋にタオルの端を詰めて栓にしたら、おおお、少しずつお湯が溜まっていくではないの。

 

 てことは、てことはだよ。しばらく待てば、私の体はお湯の中。「ババンがバンバンバン いい湯だな、っと」。身も心もお湯の中に溶けていく私を想像しながら徒歩10秒の部屋へ湯につかりながら読もうとガイドブックを取りに行って、ついでに買った水も持って戻って見ると‥‥。お湯は10センチも溜まっていなくて日本でいう洗い場がお湯びたし。それだけならともかく、お湯はドアを超えて廊下まで溢れ出しているではないの。 とっさに手製の栓を抜き、シャワーを止めたけれど、下の階まで水漏れをしていないか。そうなったら私は弁償を迫られるかも知れない。

 

 置き忘れたパスポートをミラノの領事館で受け取ったときに、領事は「あなたは今回のことでイタリア政府と日本政府、両国に迷惑をかけたということを自覚してください」と説教された。その上、さらに水漏れ事件まで起こしたら、私はどうなる とにかく証拠隠滅のために急いでタオルで廊下を拭いて、足音を立てずに部屋に戻り、息を潜めた。ドアの前を人が通るたびに身を硬くした。私はただ肩までたっぷりのお湯に浸かりたかっただけなのにと思うと涙が出た。

 

 幸い、私の犯行はバレず、てか、水漏れは取り越し苦労だったのかしら。翌朝、女将は「チャオチャオ。ちべでぃあ〜も(またね)」と、手のひらを日本とは逆向きのニギニギで見送ってくれた。

 

 あれから40年の月日が流れたけれど、あの時のお風呂恋しさは忘れにれるものじゃない。だから、これで懲りてひと並みのホテルに泊まるようになりましたというと私の人生ももう少しいいものになった気がするけど、30代から50代始めまではバリバリのギャンブル依存症だった私。旅の予算はいつもカツカツだからお風呂つきはまず無理なんだわ。

 

 だから湯船はあきらめるけれど、せめて足湯には浸かりたい。それでハワイの安宿では小さめのゴミ箱ふたつ並べてお湯を入れてヒールを履くようにつま先立てて足を突っ込んだ。冬のパリではホテルの近所の荒物やでポリ桶を買って、帰るときに日本人観光客にあげた。

 

 足湯に入る、入らないでどれほど体調に違いが出るか。実は昨年秋に風変わりな旅をしたの。婦人科系の病気で東大病院に11泊12日間逗留したのよ。病室にはシャワーしかないと聞いて見舞いにきた弟に湯おけを持ってきてもらったら、これが大正解。同室の患者仲間に「使ってください」と言ったら、「よく眠れました〜」と喜ばれたっけ。 最近はキャンプブームのおかげか考えられないような安い値段で、両足をふくらはぎまで入れられる携帯用の湯桶が売られているよ。