心理学から見た芸術

MIRIE

 

イギリス大学院の心理学部で芸術や神経美学などについて学んだので、その一部概要と感想を書いてみようと思う。

 

「芸術とは何か」「どのような特徴が芸術作品を構成するのか」については古くから哲学者ほか色々な人々によって、現実の模倣だとか、技術、表現、感情、新しさ、知的な挑戦、など色々と言われてきた。

 

私の学んだ心理学では「芸術が何か」ということよりは「芸術と呼ばれている物事がどのように知覚されるのか」が調べられて来た。それによると、芸術の美や価値は芸術作品に付随するわけではなく、美的な刺激である芸術作品と、鑑賞者の間の相互作用の中に発生する。芸術作品と鑑賞者の組み合わせがうまく作用した場合に、美、興味深さなどの芸術的な価値の評価が鑑賞者の中でおこる。

 

どういった場合にその相互作用がおこるのか。

芸術作品の条件については、刺激のいろいろな次元での好まれやすさと、複雑さのレベルが適切であることが重要だ。例えばシンプルな視覚刺激では、好まれやすい色、図形がある。左右対称の形態が好まれ、背景とのコントラストの強い画像が好まれる傾向がある。視覚的な動きやリズムも重要だ。モザイク壁画のパターンには、同じ形の中に色々な色が一定のパターンで繰り返されるが、複雑すぎても美しくないし、単純すぎてもつまらない。

具象的な絵画では、顔の表情など、形が意味するものや物語も重要になってくる。

 

 

鑑賞者については、「これから芸術を見るぞ」という準備、一種のマインドセットがあるかないかで、見たものに価値を見出すかどうかが随分変わってくる。ありふれた物を美術館の中で見ると、新たな発見をしたり感動したりする。そのような鑑賞の態度を作り出す「芸術」は社会的に構築された概念であるという主張もある。

また、どのような文化圏にその鑑賞者が属すかや、鑑賞者がどういう性格かによっても、刺激に対する感受性が異なる。西洋文化と比べて東洋文化は、写真で背景の占める比率が高い事などがわかっている。文字を右から書くか、左から書くかによって、写真の中で人を並べる時に右下がりを好むか、左下がりを好むかが異なる事もわかっている。この文化についての違いはなかなか面白い。

 

芸術作品と鑑賞者の条件がうまく噛み合うと、鑑賞者の脳内で何が起こるのか。

乱暴に一言で言うと、芸術作品に価値があると判断する時、人間の脳でドーパミンによる報酬系が活動する事がわかっている。ドーパミンは期待と報酬の関係を学習するシステムに使われる伝達物質である。

つまり芸術の喜びの少なくともある部分は、期待と報酬の因果関係を発見、学習する事の喜び、もしくはその学習に最適な、曖昧さや謎を含む刺激を見つけ出した時の喜びらしい。

そして進化論的に見て、その学習能力は、人間が変化する外部の環境に素早く適応しつづけ、生存と生殖の機会を増やすために役立ってきたようだ。

 

この学習の機会を発見する喜びは、社会が発達すればするほど減る気がする。今の世の中は、全てが管理され予測可能でタスクばかりになり「こうすればこうなる」という事が決められている物事だらけで、謎や曖昧さを探すことが難しい。

世界は本当は謎や曖昧さに満ちているけれど、社会生活をおくる場合、それをほとんど意識せずに生活できるようになっている。

だから私は、芸術が世界の謎や曖昧さを暗示する事は、人に喜びを与える1つの重要な仕事だと思う。