『やさしさの夢療法~夢のワークと心の癒し』1994年版:第4・5・6章

原田広美

 本書は刊行後、書店でフリーライター様や雑誌編集者の目にとまり、『健康現代』『モア』『ノンノ』『とらば~ゆ』『名前のない新聞』などから直接の取材を私自身が受け、各々の誌・紙面で、私と本の写真入りで紹介されました。

*以前のこのweb媒体(フェニックス)への投稿では、本書の「はじめに」の部分と、2022年に電子書籍化された際に書き下ろした「あとがき」の部分を掲載しています。

*今回は、この春に周囲のご希望者様にもPDFとしてお配りしていた、「第4・5・6章」を掲載させていただきます。

*特に「第4章」は、ゲシュタルト療法の夢ワークの方法を順番に記したもので、分析者がクライアントの夢を解くのではなくクライアントさん自身の感性を開きながら夢解きをする新しい時代の夢解きの決定版とも言えましょう

*また「第4章」の終わりには、2006年に創元社から刊行された『「夢」を知るための116冊』に見開き2ページにわたって掲載された書評をおつけしました。上記の本の中でも、フロイト、ユングよりも新しい時代の夢解きとしてご紹介を受けております。

*ゲシュタルト療法の創始者のF・パールズは、フロイト派の精神分析医として出発しつつも、前世紀前半のドイツ表現主義による身体アウェアネスの時代の洗礼を受け、妻のローラと共に新たに戦後のアメリカでゲシュタルト療法を創始・発展させました。
 
 フロイトも心身一如を唱えましたが、ここで言っている身体アフェアネスというのは、それよりもさらに先の時代のもので、おおまかに言えばムンクの『叫び』の時代の身体一如です。

 さらに戦後の渡米後(戦中は南アフリカに在住)には、当時すでにアメリカに広く知られていた日本の「禅」の影響も受けています。また情動的な部分をも的確に扱うゲシュタルト療法は、その後のアメリカで生まれたNLP、POP、表現アートセラピー、マインドフルネスなどの源泉的な療法です。

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第 4 章🌸……夢のワークの実際 / 第 5 章🌸……夢のワークの舞台裏
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第 6 章🌸……Oさんへのインタヴュー~夢のワークと自己解放のプロセス
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第 4 章🌸……夢のワークの実際
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これまでは夢のワークの概要について述べてきましたが、次に具体的な夢のワークの実際的なやり方について紹介していきましょう。あなたが自分の夢をワークしてみようと思うならば、まず夢日記をつけることをぜひvお勧めします。では、その夢日記のつけ方から始めます。

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●1ー『夢日記のつけ方』●
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あなたは夢をよく覚えている方ですか?人は一晩に四種類ほどの夢を見ているといわれていますが、私は夢日記をつけ始める前は、たいていは朝までの間に忘れていました。ごくたまに印象的な夢を覚えている、という程度でした。「ぐっすり眠れば夢なんて見ないものだ」と思っている人は、この状態にあるのだと思います。ふだんは夢に関心を持たずにいて、悪夢を見た時などだけはうなされて目覚めるので夢を覚えている、などという人もいるかもしれません。

しかし、夢に関心を持ち夢日記をつけ始めると、ずっと夢を思い出しやすくなります。夢日記をつけるという行為そのものが、夢に関心を抱いているという行為ですので、意識が夢に向くようになり思い出しやすくなるようです。初めのうちは夢を思い出せない人も多いかもしれませんが、気にせずにまずは覚えていた日だけ、夢を書くようにしてください。

朝目覚めた時に書きとめた夢を後から見て、「あれっ、こうだったっけ」と、びっくりすることもあります。つまり、細かいところなどは書いておかないと、どんどん記憶は薄らいでしまいます。ですから、とにかく書きとめることが大切です。気に入ったノートを一冊用意します。枕もとにペンと一緒に置きます。スタンドや懐中電灯なども手の届く所に置きます。夜中や朝、目覚めた時に、周りが暗くても、すぐに書きとめることができるからです。起き上がって電気をつけたり、ノートを取りに行ったりする間に、ふと夢を忘れてしまうことは多いものです。

私の場合はノートの見開きの片側のページだけを使って夢日記をつけています。残っている片側の方は、とりあえずは空欄にしておきます。後から、ワークをして分かったこと、気づいたことなどを書き込んだり、ノートをパラパラと見直して、その時々によく表われてくるテーマを見つけ出して記録したりするために使います。日記代わりの簡単なメモを書いたり、夢と関連の深そうな日常の出来事を後でそこに記録しておくのも役立ちます。

夢を記録する側のページには、日付と共に夢を書きます。朝目覚めたら、枕もとで書きます。眠りに入っているうちは夢を覚えていても、目覚めた瞬間に忘れ去りそうになることもよくあります。夢に出てきたモチーフだけを単語を書きとめていて、ふと夢を丸ごと思い出したりすることもあれば、長い夢の中の覚えている部分だけを書くこともあります。長い夢のこともあれば短い夢、一場面だけの夢もあります。いくつも夢を覚えている日もあれば、何も思い出せない日もあるでしょう。それにはこだわらずに書きとめます。

日常や朝が慌ただしい時は、夢を覚えている確率が下がるようです。外の世界に忙し過ぎて、自分の「内面」に気を配る余裕がなくなるからだと思います。それも、自分の生活の一つのバロメーターだと思えばよいのです。外の世界に対する関心と内面の世界に対する関心、大切なのは両者のバランスだと思います。覚えている夢、印象に残る夢からワークしていけばよいのです。

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●2―夢のワークの公式●
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I.〈夢カウンセリング形式の場合>
さあ、では実際にあなたの夢をワークしてみましょう。一人の時はこれらの項目に沿って順番にやっていきましょう。初めのうちはなかなかスムーズに進まないかもしれませんが、どうしても思い当たらないところは飛ばしておきましょう。

できれば気心の知れた人と対話形式でやってみることをお勧めします。私の体験的では、一人よりも二人の方が、また口に出して話した方が集中しやすく、夢が解けていきやすいように思われます。二人で行なう時は、相手が項目順に読み上げながら質問し、夢をワークする本人は、それに答えるような形で進めていきましょう。

① 夢の内容を話して下さい。
(話しながら、夢をよく思い出していきます。聞き手は分かりにくい点があれば質問をしながら、内容を理解するようにします。)

② 夢の内容を、今、目の前で起きていることのように、現在形でもう一度話して下さい。

(「今、~が見えます。私はそれを~と感じています。すると~さんが~しています。それで私は~」という具合です。現在形で話すことによって、さらにリアルに夢の世界を甦らせていくのが目的です。面倒がらずにやってみて下さい。)

③ 夢に登場した人物、物、動物など、すべてのモチーフの中から、印象的なものをまず一つ選んで下さい。はじめは、物から扱うと、上手くゆきやすいです。

④ 選んだ人や物がどんなものなのか、それを全く知らない人にでもよく分かるように心がけて、思いつくままに詳しく話して下さい。

(たとえば椅子だったら、夢に出てきた椅子はどのような椅子なのか。色、形、タイプは? その種類の椅子は、どのような性質や雰囲気を持っているのか?

 また、宇宙人のように、椅子というものをまるで知らないかもしれない人に説明するとしたら、どのように話せばいいのか?

 これらを相手に話す時に、自分がどういう言葉や表現を用いて話しているのかに注意して下さい。その話し方の中に、自分にとっての「椅子」の意味づけが浮上してくるのです。聞き手も、そこに注意して聞くようにします。)

⑤ 「私は~です」と、夢に出てきたそのモチーフに自分がなったつもりで感じながら、一人称で話してみて下さい。そしてその一人称のままで―椅子なら、椅子のつもりで―思いつくままに自分のことや自分の気持ちを話してみて下さい。

(この時にも、自分の話す言葉に注意していて下さい。夢の中に登場してくるものは、大きな意味においては皆、自分の一部です。今自分が一人称のロールプレーでなったつもりになっているものが、どのように自分に関係しているのかが、さらに深く感じられるようにしましょう。)

⑥ 「④~⑤」をやりながら、夢に登場したそのモチーフ(人や物)が日常生活の中の何か―最近の、もしくは過去の印象的な何か―を表現しているのではないか、と思い当たることはありませんでしたか?

(どうしても話しにくい内容の時は、「何かが分かった」ということだけを相手に伝えます。)

⑦ 夢の中に登場する他のものについても順番に取り上げ、「③~⑥」を行ないます。

(この時、夢の中の場所、部屋、音などについても取り上げてみて下さい。おもしろい発見があるかもしれません。)

⑧ 夢の中で避けていることがあったとすると何でしょうか? また、なぜ避けたのだと思いますか?

(夢の中で避けていることとは、「~になってもよかったのにそうはならなかった」「~しようとしたのにできなかった、やってもよかったのにしなかった」なども含みます。

夢の中で、やろうとして達成されていないもの、未完結の要素は、現実の生活の中でも同様の部分で停滞していることが多いものです。その点については思いあたることがありませんか?)

⑨ 「夢に続きがあるとしたら……」と自由にイメージしてみて下さい。

10.この夢を制作した監督は、この夢を通して、あなたに何を伝えたかったのだと思いますか?(インスピレーションで答えます)

(⑧~⑨では瞑想のようにして、ゆっくりと心の奥から答えを導き出すのも良い方法です。その時に、リラックスできる音楽をかけてもよいでしょう。)

11.印象的な登場人物や物などは、それが自分の体の中にあるとしたら、どこに存在する感じがするか、イメージしてみて下さい。

(無意識の抑圧は、体にあるブロック〈体内に無意識のうちにできている歪み、緊張、とどこおり〉や抑圧と関連が深いので、夢のモチーフを体の中にイメージすることによって、体の中の抑圧がゆるみ、深いリラックスや心地良さを感じられることがあります。

その時また逆に、体の中の抑圧されていた部分を緊張などの形で改めて認識できることもあります。そうした抑圧の認識は、解放への第一歩となります。)

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Ⅱ〈絵やサイコドラマ仕立ての形式を用いた場合>
夢をワークする際には、必ず絵やサイコドラマ仕立てにしなければならないわけではなくて、その時の展開によって自由自在でよいわけですが、だいたいの手順を述べておきます。

① 印象的な場面を選び、画用紙にクレヨンで五分から十分ほどかけて描きます。
(絵の上手、下手はここでは関係ありません。絵にする過程で夢の世界に触れていくことができます。)

② この後、夢カウンセリングの時と同様に夢に登場しているモチーフ(人や物)を選び、それらについて話したり、一人称のロールプレーにして進めていきます。

(絵にすると視覚的要素が入るので、イメージを共有しやすく、描いた本人も改めて夢の内容について気づくことが多いものです。)

③ 夢の絵の中で関連し合っている要素があれば、他の人に手伝ってもらってそれらの役割を振りあてて、対話してみます。そこで新たな発見があるかもしれません。(また、役割を交換して、さまざまに対話をしてみます。)

④ 夢の絵の場面を立居振舞いや動作を伴うサイコドラマ仕立てにして演じたり、さらにロールプレーをしながらワークを進めることもできます。


*無意識への直面
ワークの中では、即興性を重んじる態度が必要です。自分の中に現れてくるものを感じ、自然と出てくるものを受け入れつつ進めることが大切です。

これは、いつもの自分の常識の下にある意識の層に触れていくための作業なのですから、一見、「変だ、恥ずかしい」と思われることが浮かんできても、それを判断・批判せずに感じ、表現していくことでワークは深まります。

不意に出てくるものに、意外な鍵があります。抵抗を感じる奇妙なものが出てきても、その正体に近づき、触れていく時、それらは思いがけない良い形で自分の中に統合されていくものです。

直面するのを嫌がると、いつまでもそのままになってしまいます。切り離されて抑圧されてきたからこそ、それらは少し奇妙な、もしくは逆に自分とはかけ離れた「神々しい姿」などになっているだけなのです。そして、そのような形になっていても本来は自分の一部です。そして自分から切り離されて、今はそうした形になっている理由があるのです。

ですからとにかく、やさしく、それらを愛して接してあげて下さい。初めのうちは少し難しいかもしれません。でも、そのうちに慣れてきます。そして次第に、どんなものが出てきても上手に受け入れられるようになっていきます。

またワークの相手になる時は、ワークをしている人のことについて判断せずにその人を受け入れながら進めて下さい。特に「批判」や「決めつけ」などは、しないように注意します。それはたいていは誤解を含んでいるからです。

批判的な雰囲気のある中では、充分に感じて心を開いていく作業はできません。リラックスしてお互いに安心して、楽しくあたたかい雰囲気の中で進めます。

解釈や考えばかりが出てくる時は、まだ防衛的になっています。夢は右脳的なイメージで私達に語りかけてきているのですから、ふだんの左脳のモードから切り替えて、右脳を働かせるようにします。それには「感じる」「味わう」ということが大切です。

「夢の中から、こんな変なものが出てきた。さて、どうなっているのだろうか」と楽しめるようになれたら、しめたものです。あまりに場違いなもの、意外なものが出てきて、笑いが起きることもしばしばです。「そんなものとは無縁のように思っていたのに、こんなものが隠れていたんだ、アハハハハ」という具合です。

無意識の深い所に触れていく時には独特の雰囲気があって、集中して吸い込まれていくような感じがします。ロールプレーをした時に浮上するイメージや感じが、次のどれに該当するかに注目するようにして下さい―それは、自分の一部として感じられますか?

それとも自分以外の誰かや、ある物として感じられるのですか? これらに注目することで、夢の提示しているテーマが解けやすくなることでしょう。


*無意識への直面を助けるには
またワークの相手になる人も、夢のテーマがどのように解けていくのかを一緒に味わっていくことになります。ここでは特に、決めつけをしない態度、自分の解釈を押しつけない態度が必要です。オープンな雰囲気を大切にします。

ワークの相手方をしていて、何となく予想がつくような思いになることもあるのですが、それにとらわれるとたいていは「おせっかい」になります。予想を超えた展開があって、ストンと落ちるように解けていく、ということが多いものです。

思いもかけない展開から深い発見が起きてきます。ですから、相手方の人は夢からさまざまな要素を引き出す手伝いに徹していきます。本人が無意識のうちに避けたり、扱っていない夢のモチーフ(人や物)があったら指摘していきます。それが鍵となって、ワークが大きく進展することがよくあります。

夢のワークに入る前に、イメージを使った誘導瞑想や、リラクセーション、比喩を用いたイメージワークなどをウォーミングアップとして行なうと、ワークに入りやすくなります。瞑想やリラクセーションは、日常では眠っている部分が多い右脳を働きやすくさせるからです。比喩は右脳的な表現です。まえがきで紹介したように、自分を食べ物や動物などに例えてみるのも有効です。

夢のモチーフ(人や物)になったつもりで一人称でロールプレーのワークをしても、初めはさっぱり感じなくて、何も出てこないこともよくあります。そういう時は、そのモチーフを通して無意識に触れていく前の、「心理的抵抗の層」にぶつかっているのです。

相手の人がロールプレーをしているときに、「○○すると、どんな感じがしますか?」などと、積極的に質問をしてあげると、答えを通して下にあるものが飛び出してきますから、抵抗の層を通過しやすくなります。

そして抵抗の層には、しっかりと触れて、離れないようにすることが大切です。抵抗の層を無視したり、避けるようにしてそこから離れてしまうと、抵抗の層を開けようとするのを止めてしまうことになります。そこに触れてとどまっていることは、開かない扉を開けてもらえるように交渉し続けるのと同じような効果があります。

抵抗に触れ、抵抗を感じつくすと、扉が開きやすくなります。やがて扉が開き、抵抗の層を通過することができます。その時は急に解放されて、エネルギーもたくさん出てきて楽しめます。

そして、いろいろ工夫しても深く触れることのできないモチーフがあったら、それを認識しておけばよいのです。「触れることができない」ということを発見しておくわけです。


*抵抗の層の通過、解放、癒し
またワークが終わった時に、パワーを感じてきたり、新しい自分の在り方として魅力を感じるモチーフが発見できれば、そのイメージを充分に楽しむことによって統合は進みます。逆に、重たくなったり、悲しくなったり、切なくなったりした時も、それを避けずに充分に感じるようにします。それが統合や癒しのプロセスを進めるいちばんの早道なのです。

それによって、解放が起こりますので、同じ重たさ、悲しさ、切なさが、無意識のうちに日常のあなたを制限することがなくなります。あなたの才能、生命力、良い仕事や人間関係を作っていくためのエネルギーを閉じ込めていたフタになっていたもの、内側からそれらを引き止めていたものが、また一つはずれていくのです。

私の体験では、夢の中に腐りかけたシュウマイが出てきたことがありました。臭みを発していました。ロールプレーでシュウマイになったつもりでイメージしてみました。そして、腐りかけたシュウマイの中の凄まじいばかりの葛藤する重たいエネルギーに触れたのです。

それは、自分の中に抑圧されていたものです。体中がズーンと重たくなり、気持ちも落ち込むような苦しさがありました。こういう時は、ここに触れながら通過させていきます。避けようとしないで、味わっていると、抜けていくのです。また、「高校の教室に、お棺のような箱に入った死体が安置されている」という夢がありました。夢の中では怖くて、教室に入れませんでした。それは私が高校生だった頃の教室のようでした。

これもワークをしていくと、その死体は、なんと当時の自分とイメージが重なっていったのです。思春期は、誰にとっても自我を確立する前の葛藤や不安に満ちた多感な時期ですが、私にとっても、内面的にとても大変な時期でした。外向きはまあ普通だったかもしれませんが、さまざまにつらいことが多くて、内面はボロボロに力を失っている部分がありました。

生活環境が特に悪かったとか、そういうことではないのですが、自我を確立していこうとした時に、親とのことや、それまでにあらかじめ内在していた心の傷がパクッ、と開いてしまって、手に負えないという気持ちでした。

夢の中の死体は、その当時の私の内面の悲惨さと共に力を失い、沈没してしまった、私の「死の部分」だったのです。誰の中にも、生き生きとしている部分と、のっぴきならない抑圧などによって力を失っている部分とがあるのですが、その死体は、まさに当時の自分をある局面から眺めた姿でした。

夢の中では直視できなかった、その死体になって感じていった時、たくさんの悲しみと心の痛みが内面から吹き出してきました。体中を揺さぶられるように、たくさんの感情が込み上げました。しかし、これは少し治まると、とても暖かい気持ちでもありました。当時の自分に共感して、受け入れてあげるような感じです。

これはセラピーに携わって四~五年経ってから、一人でワークをした時のものです。その四~五年の間に、自分の内面の回復(統合)は、だいぶ進んでいました。ですからこの死体に象徴される痛みについては、その構造や、理由も、かなり明らかになっていました。その残りの傷ともいえるものが、思いがけず夢のワークで浮上したようでした。

「まだ、これがあったよ。次のプロセスに進む前に、もう一度、ここをよく受け止めてほしい。ここにもっと鍵になるものがあったんだ。もう充分だと思っていたかもしれないけど、もっともっと直面した方がいいんだよ。まだ直面を避けていた深い痛みがあったんだ」といわれたようなワークでした。最終的には、しみじみと暖かかったのです。自分の中の大きな栓がポカーンと開いて、ゆるんだような感じでした。

これらのワークに伴って浮上した感情は思いがけず抑圧から解放されたものなのですが、夢のワークと、その人が「日常ひんぱんに感じて浸りやすい感情」との関係について、一言、強調しておきたいと思います。

前にも述べましたが、もしも自分にとっておなじみの、日頃よく感じている感情がワークで毎回のように浮上するのなら、それは、その下の層に入る前の抵抗のところにいるということになります。そうした感情の表出は、それだけでは「ストレスがたまった時のテニスの壁打ち」とほとんど変わりがありません。

ストレスや欲求不満とともにため込まれた感情を単純にパッと表出し、また時が経つと同じようにため込んでいく―これも全く役に立たないわけではありませんが、私達のセラピーのワークの狙いとは根本的に異なるものです。

ワークではそのおなじみの感情をよく味わって、そのさらに下に抑圧されている感情に触れていくのです。それによっておなじみのパターンから逃れるために役立つ視点が見い出され、抑圧されていたものが発展的な方向へ変容するための力に生まれ変わります。たとえば落ちこみの下には怒りがあったり、あきめの下には悲しみがあったりなどです。

まずは、そのおなじみの、自分にいつもため込まれる感情の正体と対面し、ため込まれる時の深層心理の構造に直面していくこと。それが統合のプロセスを進めることであり、内面を根元から回復していく道なのです。それによって、表情や、体の健康さ、創造性、積極的に使っていくことのできる感受性や、満足感などによい変化が出てきます。


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夢のワーク実況中継
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では、わかりやすい夢のワークの例を一つ紹介します。この例は私達夫婦が、カウンセリング形式でワークをしたものです。一つ一つの問いに答えていくためには自分の中にあるイメージや感受性を引き出してくることが必要です。ですから、いつもスイスイと答えられるわけではありません。ゆっくりと感じながら答えていきます。

これは比較的軽いワークで、実にスマートに解けた例ですが、三十分以上はかかっています。長いものや複雑なワークは文に起こすとかなり読みづらいのでわかりやすいものを紹介することにしました。

また、ワークに慣れているセラピスト同士ですので、その点を考慮してお読み下さい。夫の成志は、ゲシュタルト療法を基盤に、夢のセラピーや演劇的手法を用いたセラピーなどを行なうセラピストです。


<プクプク金魚と細長金魚の夢>
成志―ではまず、夢を現在形で話して下さい。

広美―夢を話します。私が見た夢では、まず、金魚鉢(水槽)があったんです。すばらしくお天気が良くて、気持ちのよい場所なんですが、野外に水槽が置いてあります。中型のシンプルな水槽で、その中に、金魚が十匹ほど泳いでいました。各々色とりどりの金魚なのですが、その中の一匹を夢の中で私が急に手のひらですくい上げるのです。

そうしたら、そのすくい上げた金魚のしっぽの所から三十センチぐらいの“ひも”のようなものが出ていて、まるで、へその緒のようになっているんです。そしてそれが、もう一つの金魚につながっていたのですが、それは死んでいる金魚だったんです。ですから、その死んでいる金魚まで一緒に持ち上がってしまったんです。それで私が「キャー」と言った、という夢です。

成志―金魚というものはどういうものなのか、知らない人に説明するように、話してみて下さい。

広美―金魚というものは鑑賞用の魚で、人間が改造した、色とりどりのものです。

成志―金魚の入っている水槽は、どれくらいの大きさでしたか。

広美―横が一メートルくらいで、奥行きが四十センチ、高さが六十センチぐらいですね。

成志―場所はどこに置かれていたのですか。

広美―郊外のような、はっきりしないのですが、野外です。まわりに人が、何人かいるようでした。

成志―金魚の種類は何ですか。

広美―いろいろな金魚が水槽の中にはいたのですが、私がすくい上げた金魚は出目金型の金魚です。目が大きくて、顔が立体的で、色はオレンジと黄色で、とても綺麗でした。

成志―なるほど。ではその金魚になってみて、自分を描写してみて下さい。

広美―私は金魚です。私はプクプク金魚です(笑い)。顔とかがプクプクしています。私は、かわいいです。私はチャーミングです。ちょっと小さめなんです。なにしろプクプクしているんです。私はプクプク金魚です。プクプク。こんな感じですね。

成志―死んだ魚がつながっているのはどういう感じですか、プクプク金魚にとっては。

広美―何か、後ろにつながっているようなんですが、自分ではあまり気にしていません。少し重かったりするような気もしますが……。

成志―はい、では、今度は、後ろの金魚になってみて下さい。

広美―私は死んだ方の金魚です。外見とかを言いますと、こちらの金魚はフナのような形です。フナを小さくしたような金魚です。色はやはりオレンジなんですが、ちょっと地味めです。お腹がすいているようで、細長くて、とにかく地味な金魚です。もう、浮いてしまっているんです。死んでいましたから。

成志―それは何か思い当たることはありますか。

広美―
そういえば、昨日は私はとても疲れていました。それが死んでいる感じにはいちばん近く感じられるイメージですね。それから……プクプク金魚は顔が丸くて社交的な感じが私に、もう一つの細長い金魚は成志さんに似ているような感じもします。体形などが。

成志―はい。ではちょっと、その細長い方の金魚になって、自分を描写してみて下さい。

広美―はい。えーと、私は死んでいます。私は浮いています。太陽が熱いです。私はフナ型の金魚です。地味な金魚です。私は静かな金魚です。と、いう感じですね。こっちの金魚は見かけが良いというのではないので、派手とか社交的とか、明るいとかいうイメージではないんです。

この金魚の持ち味としては、水槽の中にじっとしていて、何かを感じてるといったイメージですね。直感などで感じて、「ハッ」としたりすると何か行動するのですが、そうでない時は、じっとしているのだと思います。そういうタイプのようです。

成志―では次に、その二つの金魚をつないでいるひもなんですが、それはどのようなものでしたっけ?

広美―それは自然のものなんですよ。金魚のしっぽの所が、なぜかつながってしまっているんですね。しっぽのひらひらの先の所が、なぜか伸びていて、向こう側の金魚にも、同じように、やはりつながってしまっている、という感じです。

成志―それは誰かが、結んだのですか。

広美―いいえ。そういうことではなく、ただつながっている、ということなんです。

成志―では、血液も流れているんですか。

広美―いや、そういうことはありません。しっぽのひらひらのところですから。

成志―では、そのひもになってみて、自分を描写してみて下さい。

広美―はい。ちょっと難しいですね。―私はひもです。私は自然界のひもです。自然につながっている、ひもです。何かはっきりしない感じなのですが。

成志―あなたはなぜ、二つの金魚に、つながっているのですか。

広美―えーと…。

成志―あなたの目的は何なんでしょうか。

広美―その、セットなんですよ。この二匹の金魚がセットなんだ、ということを、分からせるために、つながっています。社交的な出目金と、直観的なじっとしている金魚が、セットなんだ、ということを、ちゃんと分からせるためにつながっているんです。

成志―それは言ってみて何か、思い当たることがありますか。

広美―たぶん両方が大事ということですね。この二つの要素を自分の中にある二つのものとして考えてみても、両方が大切だ、ということでしょう。

成志―ひもになってみると、何かしてほしいこととかがあるんでしょうか。

広美―ひもとしては……もう切れちゃってもいいみたいですね。へその緒が切れるのと同じように、もう切れてもいい、という感じです。いつまでもつながっているのも、なぜか恨みがましいような気がするし、死んだ方の金魚の恨みかな? 多分死んだほうの金魚は殺されたと思って恨んでいるかもしれない、という気がしてきました。

成志―この夢の中で、避けていることは、どんなことですか。やらずに避けていることとか。

広美―避けていることは……つまり、プクプク金魚の方は、あまり後ろを気にしていないんですよね。だから、もっと気にしてもいいのにな、と思います。それから、ひもが切れてもいいような。

成志―切れると、どうなりそうですか。

広美―つまり、後ろの死んだ金魚はプクプク金魚に振り廻されてしまってそうなったような気がするんですね。振り廻されて、まいってしまったような。だから両方が別々にやった方が、両方が生きるというか。

でもバラバラでいい、ということではなくて、両方が持ちつ持たれつ、という感じがいいのだと思います。この二つの部分は、セットになっているということが大切なんだ、と。

それをプクプク金魚(私の一部)と私自身が実感できたら、二匹を結んでいるひもはあたかもヘソの緒のように切れてしまってもいいのだと思います。とにかく今までのようにこの二つがつながってしまって、たとえば社交的な部分はすごく生かされても、それによって自分の中の直観的な部分がまいってしまう、とか、そういうやり方では、ダメなようですね。

昨日疲れたのも、そういうことが起きていたからなのでしょう。「これについては、こんなふうに社交的に対処しよう」ということがあったとしても、直観的な部分はそれとは別にちゃんと残しておいて、使えるようにしておくことが私にとって大切、そういうことではないかと思います。

成志―では夢の作者になってみると、この夢のメッセージはどういうものでしょうか。

広美―自分の中のプクプク金魚の部分と、細長金魚の部分と、両方の部分を大切にしなさい、ということ。直観的な部分を大切に扱っていないために、その部分が他の部分に振り廻されて疲れ過ぎてしまっているということを示していると思います。特に昨日のようなあり方ではそうなってしまっている、ということです。

また、成志さんと私の組み合わせですと、どちらかと言えば私が実務面を担当し、成志さんが直観的な部分を担当することになりがちであるように感じます。自然とそうなってしまう、ということなのですが。

しかし、私の中にも直観的な部分があることは、本当はよくわかっています。その自分の中の直観的な部分を今まで以上に受容し、もっと確信して使いなさい、もっと意識的に大切にしてあげなさい、そういうことを夢は言っていると思います。

成志―その答えは、自分の中で、ぴったりきていますか。

広美―はい。大変にぴったりときています。

成志―では、ここで終りにしましょう。


この場合は、お互いが夢のワークに慣れているために、いきなり夢を現在形で話すところから始めていますが、普通はノートを見たりしながら、夢を思い出しつつ話すことから始めます。その後で現在形で話します。

始める前にノートに目を通した後は、ワークの最中はノートを見ない方がうまくいきます。というのは、その時その時に浮かんでくる夢のイメージに集中しながら話した方が、ノートに書いていないことも思い出しやすいからです。

ここで紹介した夢は、モチーフとしては、「水槽」「他の金魚」「郊外」「気持ちのよい天気」など、まだ探求できる部分がありそうです。しかし全体的なメッセージが解けた、ということで、この例では、ここでワークをやめています。

この夢は、ほとんど一場面という、短いものなのですが、このように思いがけず、大きな発見があります。この夢を見た時には、どういう意味があるのかが、さっぱり分かりませんでした。どの質問に対しても簡単に答えているわけではなくて、自分の中のイメージを探っていくように充分に感じながら答えています。それによって次第に謎が解けていきました。そして最後には、夢のメッセージが実感できたわけです。

この最後の段階では、「多分、夢のメッセージはこうなんだと思う」という程度の感じ方ではなくて、「ああ、なるほどこうなんだな」と確信し、感じ入った状態なわけです。この夢の場合もそうですが、一場面の夢は比較的シンプルで分かりやすいメッセージを伝えてくるものが多いように思います。


*以下、第4章を省略いたします~~~そのかわり第4~第6章までの掲載ですが、ここせ閑話休題、以下で一つ、書評を入れさせていただきます。
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『やさしさの夢療法』書評 2006 年(甲子園大学・心理学科・安村直己)
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本書の著者は、もとは高校教師をされていたが、職業アイデンティティに悩む中で、夢を用いたゲシュタルト療法(夢のワークやセラピー)に出会い、その後それを自らの人生に実践すべく、教師をやめられて、現在ゲシュタルトセラピストとして開業されている女性心理療法家である。

本書の構成は、そうした著者のパーソナルな人生の変遷が、著者自身の夢のワークやセラピー体験とともに自伝的に語られていく部分と、その後、セラピストとなってからであった多くの人々に、著者が夢のワークを行ったときの実例が紹介される部分、そして、ゲシュタルト療法についての著者のさまざまな技法(ホールネス・ワーク)を紹介した部分に分かれている。

著者自身の幼年期の体験、成人してからの人生の迷いや苦しみの体験、その頃に見たさまざまな夢との関連、そして、そこから得た自分自身への気づきと大きな決断へといたるプロセスは、まさにユングの言う個性化の過程のようにも感じられてくる。

著者が自分の夢に行っているワークでは、夢についての連想を自分自身で深めていく自己分析の手法もとられている。紹介される夢の中には長編の「キリスト像と関取の夢」など興味深いものが多く、評者は読んでいて大いに刺激され、著者の自己理解とはまた異なる連想を抱いたところもあった。

この辺りは、精神分析的に言えば、自己分析で生じる無意識的な抵抗の存在を見ることもできるかもしれないが、そこをゲシュタルト療法では、「知ること」よりもむしろ本人自身が「体験すること」の意義を重視し、夢の中の登場人物や事物になって感じることを通して、今ここでの体験の統合を促進し、結果的に意識と無意識のバランスの取れた状態を目指すのであろう。「体験」は、本人だけのものだからである。

著者が主催するワークショップに参加した人々の夢のワークの実例は、臨床的にも大いに参考になった。両親から特別に可愛がれレたことが他の姉妹からの嫉妬を買い、家族との葛藤が耐えられなくなって家を出た経験のある D さんは、『幼年期に過ごした家が見えていて、孤独や淋しさを感じていたことを再体験し、同時に、自分にも高慢な面もあったことに気づいてゆく。

E さんは「差し歯の夢」を見て、グラグラしている差し歯は、居場所が定まらずにいる自分のことだと感じ、自分が「差し歯」になってワークしてみると、意外と自信が持てている自分を見出してゆく。

これらのワークは「健全な自己愛」(自尊心)を育み、確かめていくことを目的としているように思われる。それは究極的には、すべてのセラピーの目標と言えるかもしれない。

ゲシュタルト療法の夢のワークを自らの人生に取り入れ、「夢」をまさに実現させて
生きてこられた著者の証とも言える本である。
( *『「夢」を知るための 116 冊』 創元社 p64~65)



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ここから再び『やさしさの夢療法』
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第 5 章🌸……夢のワークの舞台裏
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私達は夢のワークを、セラピーの一環として行なっています。その考え方や側面については他の章でも触れていますが、ここでは夢のワークの中に自然と溶け込んでいるセラピーの隠し味的な骨組みを、いくつか簡単に紹介していきましょう。私達は今までに紹介してきた夢のワークのやり方でワークを進めながら、同時にこの章で紹介するような観点にも注意を払っています。

私達は最初、ゲシュタルト療法の一環として夢のワークに出会いましたので、この章の前半ではゲシュタルト療法の骨組みを、また後半では一般に“心の癒し”と呼ばれている内容を中心に、ゲシュタルト療法の骨組み以外で、日頃私達がセラピーの大切な観点として扱っているものを簡単にまとめて紹介しました。皆さんも自分で夢のワークをする時の参考にしてみて下さい。基本的には、他の章と重複する部分は省略しています。


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(Ⅰ)●ゲシュタルト療法●
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ゲシュタルト療法というのはフリッツ・パールズによって確立されたセラピーです。ゲシュタルトというのは「全体性(形態・姿)」という意味です。無意識の抑圧や混乱によってバラバラになったものを元のよい状態に復元(統合)して、自分や他者に対するゲシュタルト(全体性)を完成させることがその目的の一つです。そしてこの療法は、私達が「今ここで、生き生きと生きること」を重要視します。

また、ワークの最中に無意識のうちに表現されてくる言語化されない表現、表情、姿勢、行動などの身体的な表現にも注意を払います。

あなたは今、何を感じていますか。
あなたは今、何をしているのですか。
あなたは今、何をしたいのですか。
あなたは今、何を避けているのですか。
あなたは今、何を予想していますか。

こんな質問を用いたりしながら、自分に直面していきます。夢のワークでもロールプレーをした時に、これらの問いを用いると多くの発見をしやすいかもしれません。

また、ワークを進める上で、まず次の五点を重要視します。
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【1】<五つのとらわれのメカニズム>
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1.投影(プロジェクション)
この言葉は、自分の中にある「要素やイメージ、および思いこみ」を人に「投影する」というように使います。たとえば、年上の男性といると、無意識のうちに父親扱いしてしまうとか、自分が思っていることを他の人も同じように思っていると勘違いする、自分が相手を嫌っているのに相手の方が自分を嫌っていると感じてしまう、などです。

2.融合(コンフルエンス)
無意識のうちに周囲の人に同化してしまい、他人と自分の境界線がぼんやりしている、自分で自分の気持ちが分からない、などの状態。こうした状況では、何事も周囲の状況や相手しだいで進みやすく、無意識のうちに、自分の意志決定や判断、選択に基づく言動をとりにくくなっています。

3.取り入れ・鵜呑み(イントロジェクション)
親や周囲の人の意見や感じ方を自分の一部だと取り違えていて、自分本来の感じ方、考え方が抑圧されているような状態。たとえば、父親、母親、夫、組織、権威のある何か……の考え方を肩代わりして、自分自身の考えだと勘違いしてしまったり、それが自分の存在証明になってしまうなど。

4.反転(リトロフレクション)
他者に向けたい欲求を自分自身に向けてしまう傾向。本来なら自分を理解してくれない両親や他人を拒否したり、攻撃したいと感じるような場合に、無意識のうちに自分自身の方を拒否したり攻撃したりしてしまうなど。

5.自己中心性(エゴイズム)
事実や物事を自分の立場あるいは一つの視点からしか捉えることができないこと。


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【2】<気づきの三領域>
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一人の人の内部で、次に挙げる意識の三つの領域について、バランスの良い気づきがなされているかどうかに注目します。三領域のバランスにはかなり個人差があります。

1.外部領域
周囲の状況、人の言動などについての気づき。自分の意識が外部に対して開いているかどうか、自分の注意が周囲や人に及んでいるかどうか。また、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚という、いわゆる五感を通して得られる気づき。これらは外部との接触の上に成り立つもので、自分を守ったり、周囲との関係性を構築するために必要な気づきです。


2.中間領域
考え、判断、想像、イメージ、など。「今、ここで、外部と接触して」の気づきというより、自分の中での作業。単純な気づきではなく、自分の考え、判断に基づくもの。たとえば過去の思い出や心配なども、ここに入ります。現代人は、この領域を重要視し過ぎるがための弊害が多いとされ、感覚や感情よりも、考えや概念などが一人歩きしてしまう傾向があります。


3.内部領域
感情、体内感覚、および直観。生き生きとするめに、自分らしさを受容した上で他人との良い関係や自己実現をはかるために基盤となる大切な感覚。しかし、親から受容されない体験、親譲りの自己抑圧的な性質、個人よりも集団の論理を優先する環境や文化などにより、この領域の多くを無意識のうちに閉ざしている人も多い。


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【3】<コミュニケーションの四つの層>
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ところで、人と人とのコミュニケーションには表面的なものから深いレベルのものまで、次の四つの段階で説明ができます。これを知っておくと、人間関係の中で自分や相手を攻め過ぎたり、自信をなくしたりすることが減るでしょう。


1.あいさつの層
一番表面的なレベルでのコミュニケーション。あいさつを交わすだけ、お天気の話など。関係を持つに至らない程度のコミュニケーション。


2.役割の層
先生と生徒、社長と部下、先輩と後輩、男と女、父と娘、兄と弟……など、社会的に期待される態度、行動様式、決まった役割の中でのコミュニケーションのとり方。形式的なので、秩序立ったコミュニケーションとしては便利。しかし、それだけに固定されると味気なく、つまらなくなってしまう。また、型にはまり過ぎて現実に対処し切れなくなることもある。生き生きとした関係を持とうとすれば、危険を承知で役割を飛び越えて行動することが求められる場面に遭遇することになる。


3.死の層
役割の層の範囲に限定されたコミュニケーションは、次第に死んだようになっていきます。この場合の「死」というのは、「生き生きした」関係性とは逆のものという意味です。役割を自分や相手に押しつけると、それがうまくいったとしても物足りなくなります。ですから、役割を押しつけられている側も、時には役割を飛び越えて行動することがよい関係を発展させていくためには大切なのです。


また、役割の層を通過して、さらに親密な関係性を持とうとする時にも「死の層」に突入します。柔軟性のあるコミュニケーションをする場合、本音がぶつかり合う分、気まずくもなります。これは気まずくて対処に困る、動きの取れない状態です。しかしここを通過しなければ、さらに深い関係性を築くことはできません。親密な生き生きとした関係では、長いつき合いの中で何度も死の層に突入しつつ、関係性が深まっていきます。親密な関係性を持とうとするなら、死の層に突入するのを怖れない態度が不可欠です。


4.コア(核)=真実の自己の層
お互いがこれら三領域の気づきを持ってバランス良く純粋に生きた上で、真摯に相手との親密さを深めていくと、一+一が二にとどまらず三にもなるような関係性へと発展することができます。しかし心配から無意識的に相手を支配したり、相手を失うのが怖くて無意識的に自分を相手に合わせたり、相手と関わるのが嫌になってしまったりなど、実際は一+一が二になる関係性さえ、作り上げるには困難さがつきまとうものです。

この層に入って行くには、自分自身を受け入れて真摯に怖れず表現していくことと、自分の中の死の層(無意識中のブロックや傷)の解放と癒しをしていくことが必要です。



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(2)●心の癒し●愛と癒しの心理学
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次に、セラピーで扱う否定的な心のパターンの代表的なものと、それらの癒しについて見ていくことにしましょう。夢の中ではさまざまなモチーフを通して、これらの要素が見られることでしょう。前にも触れましたが、家族関係の中で効果的だったもの、身についたものが、その人の「パターン」になりやすいといえます。


【1】<愛情や評価を得るための、コミュニケーションのパターン>

*引きつける
自分の方からは表面的には相手に関心を払ったり、近づいたりしないで、相手を引きつけようとするパターンです。自分の方から働きかけないで、人から関心を持たれたいというわけです。魅力的にしたり、何らかの成績を上げたり、人と違う特徴を作ったりして、さり気なく、人の方から働きかけてくれるのを待ちます。

自分を安売りしないようにして「あの人には何かあるな」と思わせるやり方です。そうしておきながら意外とこのパターンの人にとっては、実際に引きつけられてくる人のことは自分より下に見えてしまい、物足りなく感じたりします。

事実、相手の方から先に声をかけてきた、ということを逆手に取って、自分が関係をリードできる強みを知っています。このパターンの人は、「自分から働きかけて断られることをいちばん怖れている」ともいえます。自分の気持ちに素直に従って、自由に人に働きかけられない点が不便です。


*犠牲を払って近づく
人に近づこうとする行為自体は人間関係において大切ですが、問題になるのは相手の期待に無理して応えたり、時には、自分に犠牲を強いてまで評価や愛情を得ようとするパターンです。

このパターンの人の怖れは、「ありのまま自分では、働きかけを何もしないと、評価や愛情を得られないのではないか」というものです。根底に「無価値感」があるのかもしれません。実際、自分の方から積極的に努力した分、「本当に愛されているわけではないのだ」と感じて、自信を持てなかったりします。また、結局は自分を生きていないのですから、本当の充実感がないし、自分本来の魅力が出にくい状態です。

良い関係を持てるかどうかは、本来は双方の問題です。また出会いの意義が根本的に感じられる関係と、そうでない関係とがあるでしょう。しかしこのパターンの人は、それは自分次第なのだと思い過ぎる傾向があります。自分の努力次第だ、と思うので、相手を理解しよう、期待に沿おう、と頑張り過ぎてしまいがちなのです。

そして「こんなにあなたを理解したり、協力的な人はいないはずですから、私は大切なはずでしょう? だから、評価や愛情を下さい」というように依存的にもなる人もいます。しかし「便利な人」と思われて、大切にされにくかったりもします。一人の人の中にも、いま述べてきたコミュニケーションのパターンの二つの要素が複雑に絡まり合っている部分があります。それを意識化し、その下にある怖れを癒し解除することで、バランスが取れていきます。



【2】<相手を支配するための、コミュニケーションパターン>

これは、大きな意味においては自分を守ろうとする防衛機能の一つといえるでしょう。このパターンでは、人は相手を支配することによって安心しようとします。これも、「相手を支配していないと逆に支配されてしまう」という怖れに裏打ちされたものだといえます。


・操作する、策略を使う
相手を自分の思い通りにしないと気がすまないようなところがあって、相手を操作しようとするというパターンです。このパターンの人は表面的には心配性だったり、世話好きだったり、過保護だったりします。相手のことを考えるよりも、自分の不安を減らすことを優先してしまったり、あるいは自分の自己実現を棚上げして相手に何かを期待してしまったりするのです。結局は嫌がられたり反発されたり、もしくは相手をつぶしてダメにしてしまうこともあります。

このタイプの人は、フェアに相手と話し合うと自分の押しつけが成功しない可能性あるのが心配なので、相手に知られずにことを運ぶ必要があると考えてしまいます。そして裏で策略を練って、思い通りになるように仕向けようとしてしまいます。ですから、表立って明確に自分の意見を言い、自分の意見に責任をとるのは苦手です。あるいは表立っても相手に意見を言わせないようなポジションを確保して、支配的に振る舞います。

本人としては悪気ではなくて、無意識のうちにそうなってしまう部分が多いのです。しかし無意識的であるだけ、周囲の人は振り回されますし、本人も自分の加害者的な態度への気づきが持てません。そして、支配して不安を減らそうとしても、結局はうまくいきません。支配は荒唐無稽な不安や、コンプレックスの裏返しとしての勝気である場合も多いので、そこを直視していくのが早道です。


自分自身を直接的に表現して生きることは人を巻き込むよりもかえって安心だ、という思いや、自分は自己を表現するにふさわしい人間である、という自己信頼感を持てるとよいのだと思います。そして周囲の誰もが、自己を表現する権利があり、相手にも表現してもらった方が、かえって自分も安心感が持てる状態をつくることができるという理解も必要です。


・引きこもる
これは操作する、策略を使う、というような積極的な働きかけではなく、黙る、無視する、引き延ばす、無意識的に病気になる、などの態度で何かを語ろうとする、あるいは賛成していないのを察してもらおうとするパターンです。

直接的な表現ではなく間接表現である点は、操作や策略とも共通します。このパターンの人も、フェアに話し合う気はあまりないといえます。フェアにやったのでは相手に丸め込まれてしまう、自分を表現しそこなって自分の安全を守り切れない、という怖れがあるようです。

幼年期などに、周りに操作や策略が得意な人がいて、太刀打ちできない、と感じると、このパターンになりやすいといえます。猛烈な相手に対して、引きこもることで自分を守ろうとするわけです。親との関係性の中で、または親ゆずりの傾向として形成されるパターンの一つであることは、他のものと一緒です。引きこもることで何かをさえぎることはできても、積極的に自分を打ち出せないのが難点です。

操作や策略のパターンの人から見ると、引きこもって支配してこられるのは、とてもイライラします。それで何とかしようとして、ますます操作や策略を強めます。すると、このパターンの人は、ますます自分を守ろうとして引きこもることになります。

それぞれのパターンの下にある怖れを解除して癒すこと、相手側のパターンを分も統合していくことなどが、こうした堂々巡りを切り抜けていくヒントになります。


<自分が受け入れたくない感情>

グスグズしてはいけない、緊張してはいけない、怒ってはいけない、落ち込んではいけない、悲しんではいけない、など、その人によって受け入れたくない感情があります。

その感情にとらわれ過ぎて動きが取れないのも困りますが、感情があるのに無理にないものとして避けようとすると困難を引き起こします。その感情のメッセージを聴いてあげると、かえってうまくいくものです。いくつか抑圧されがちなものの例をあげてみましょう。

・グスグズする

これは、今決めようとしているものが、本当に自分に合っているかどうか、警告の信号が出ているのだ、と考えてみて下さい。優柔不断な自分を嫌がらずに、丁寧に感じて検討してみて下さい。その結果、やる・やらないにかかわらず、さらに自信の持てる選択ができるはずです。それが自分に真に必要ならば、自分を受け入れる勇気を出して下さい。頭で考えたことが優先し過ぎたり、何かを守るためだったりして気が進まないようなら、いったん手放すことが自分を助けるかもしれません。

・緊張する
「緊張してはいけない」と思う人ほど失敗します。「自分は人より劣った存在だ」という思い込みがある人ほど緊張しやすいようです。緊張しただけで「ああ、やはり私は劣っている」というように結びついてしまうのです。しかし、「自分は人より劣った存在だ」という思い込みは本当のことなのではなくて後からできたものなのです。たいていは親ゆずりの傾向です。「緊張してはいけない」と思うほど失敗しやすくなり、失敗すると「やはり自分は劣っている」と思ってしまうという悪循環になりがちです。

「自分は劣っている」という思い込みがない人は、緊張する場面では緊張を緊張として冷静に受け止めます。緊張する時というのはたいてい緊張感が必要な場面なのです。緊張を悪いものと見なして抑え込もうとするのではなく、必要なものとして受けいれ、それをよく感じながら行動すると失敗しにくくなります。しかし緊張する場面で冷静でいられない度合いの大きい人は全般的に感情の抑圧が強いので、自分の感情を受け入れられる幅を増やしてあげることを心がけるとよいでしょう。

・怒る
「怒ってはいけない」と思う人とはどんな人でしょうか。「怒ると嫌われる」「怒ると本性があけすけになって、自分のひどさがばれてしまう」と思う人、「少しのことで怒るのは小人物だ」と思っている人などでしょうか。それともそうした人は、本心を出すたびに、誰かの都合で「おまえはダメだ」というメッセージで押さえ込まれ続けて育ったのでしょうか。

しかし「怒ってはいけない」と思っている人は、大事にされません。どこか本気に扱って貰えません。軽んじられてしまいます。また、自分に犠牲を強いねばならなくなります。その結果、人嫌いになったり、人への敵意をため込むか、体を悪くすることもあるでしょう。

また、ため込まれた怒りや敵意が後になって爆発すると、かえって相手を驚かすことになり、爆発させた時には一歩も引けずに周囲を支配しようとして、「子供っぽい、始末におえない」などの印象を与えてしまう場合もあります。そして、それが自己嫌悪の原因になってしまう人もいます。

ふだんから怒りを感じたら充分に受け入れて、そのパワーを何らかの形で表現していく許可を自分に与えてあげることが必要なのです。怒りを感じるのは、自分が嫌な性格だからなのではないという理解ができるとよいでしょう。


・落ち込む、悲しむ
「落ち込んではいけない、悲しんではいけない」と思ったら、自分に必要なケアができなくなります。人からの必要な援助を貰うこともできません。「落ち込み、悲しみ」は、今のままでは無理があることを知らせてくれる感情です。自分にやさしくしてあげることが必要な時です。無視すれば自分がまいってしまいます。

「落ち込み、悲しみ」は弱い人間の専売特許だ、と思ってしまう人がいます。そういう人は、「自分が他の人とは違った弱い人間なのだ」という怖れがあるのかもしれません。しかしそれは後から植えつけられているものです。

たとえば子供の中の「落ち込み、悲しみ」に必要なケアをしてくれずに、かえってそれによって子供を「ダメなヤツだ」とおとしめる癖のある親からの影響や、親ゆずりの傾向で「落ち込んではいけない、悲しんではいけない」というようになるのです。

そこを癒して解除してあげると、落ち着いて「落ち込み、悲しみ」とつき合えることでしょう。その感情から、今の自分に必要な具体的なメッセージを貰うことができます。「落ち込み、悲しみ」とつき合うということは、その感情の中にずっととどまり続けることが目的なのではありません。

真に強い人とは、自分の落ち込みや悲しみへのケアが上手な人です。自分に暖かく充分なケアを日常的にしていると、いざという場面で強くいられるのです。ケアせずに押し隠そうとすれば、それらの感情はじわじわと下からあなたを弱めていってしまいます。


<感情の癒し>
罪悪感、孤独感、コンプレックス、執着心、恨みなどの感情は自分自身を生きる上の障害になってしまいます。自分自身を生きていない人は、心からの満足や喜びを感じることができません。また、周囲の人のお荷物にもなってしまいます。

・罪悪感
私達は罪悪感をどうして感じるのでしょうか。親が巧妙に操作して、子供が自分らしくしようとした時に罪悪感を感じるように仕向けてきたからでしょうか。それとも、純粋にしたいことをするためではなくて、誰かに仕返しをしたり犠牲を強いたりする目的で何かをしてきてしまったからでしょうか。

罪悪感を解くためにはまず、あなたが罪悪感を感じている過去の出来事、行動を思い浮かべて下さい。そして、自分らしくしようとしたよい目的を確認してください。どんな行ないの中にも、必ずあるはずです。

その時に、わざと誰かに嫌な思いをさせたり、結果として人を傷つけてしまったとしても、その時はそれしかやり方が分からなかった自分を許してあげるようにして下さい。そして次に似たことに出会った際には、どのようにしたいかを考えてみましょう。

罪悪感によって自分を責め続けたり、人生を制限したりしなくても、一度よく内省できたら自分を解放してあげてよいのだと思います。新しいやり方で自分を思い切り生かしてあげるのは、自分を甘やかすことではないし、勇気が必要なチャレンジです。

・孤独感
これも本当の自分を出せなくなっていることから生じていることが多いと思います。本当の自分を出しにくい、と感じる環境で育ったのでしょうか。本当の自分をうまく出せないと、人から分かってもらいにくくなります。また「どうせ人は分かってくれない」「どうせ私は嫌われてしまう」という怖れが内在するので、自分を表現できずに人から遠ざかってしまいがちです。こうした怖れが、孤独感をもたらす原因です。

本当の自分を表現しそこなう分、怒りや悲しみなど、たくさんの気持ちも同様に抑圧されがちです。それらを解放して統合してあげるとよいのです。そして、本当の自分を出しにくく仕向けられてきた被害者的立場から、気持ちの上で自分を解放してあげることも大切だと思います。

孤独を感じているその人が悪い人、価値のない人、だめな人なわけではありません。まず、自分で自分を受け入れて、ホッとさせてあげることが必要です。そうすると他者も、その人に対して、同じように接しやすくなります。

子供の頃によく受け止めてくれる人が周りにいると自然にそれを学べるのですが、学びそこなったとしても、これから自分で自分にそうしていくことでうまくいくようになります。その部分が回復され、周囲とのつながりを持ちながら自分を表現できると、孤独感だけでなく、嫌だと思っていた人への敵意までもが解放されていくでしょう。


・コンプレックス
具体的なコンプレックスの下には必ず、「私はどうせだめだ」「私は人より劣っている価値のない人間だ」という基本的な怖れがあります。これも多くは親との関係性において、または親ゆずりのものとしてでき上がった思いです。

この怖れは、自分をあきらめさせたり制限することと深くつながっています。そして具体的な人との違いや過去の出来事などを引き合いに出して、その怖れの通りなのだ、と自分を納得させてしまうのです。それもたいていは、ものすごく説得力のあるものを引き合いに出してきます。「だから私はダメなのだ」「私には無理なのだ」というように。これを癒していこうとすると、時には家系的な信念や怖れと向き合うことにもなるようです。

しかしそこにいつも横たわっているのは、「どうせダメだ、劣っている」といって人生にあきらめを作ってしまうか、それとも生き生きとチャレンジし続けるか、という選択です。そうした怖れは「自分を生きない人」の言い訳から影響されて、あなたの中に植えつけられたものです。

あなたにそれを教えた人は「ダメだ」と思ったから、ダメだっただけですし、あなた自身も言い訳をしていても、あまりおもしろくないことにも気づいていると思います。チャレンジするのは一見大変にも思えますが、実際は「大変過ぎる」のではなく、生き生きとした楽しみをもたらしてくれるものです。


・執着心
「~でなければならない」という発想は、人生全般において選択の幅を極端に狭めてしまいます。何らかの不安や最悪の出来事を避けるために、「~でなければならない」という執着心が生まれるのでしょう。「~でなければ何かを―結局は自分を―守れない」と考えてしまうわけです。

しかし、私達は何かを避けようとすればするほど意外な形で、避けようとしたはずのものに直面してしまうことがあります。また、何かを必死に守ろうとすればするほど、結局、それがかえって仇になってしまうということもよくあります。

「『~でなければならない』と考えたりしなくても、人生は基本的に安全で大丈夫なものである」という安心感がないと、執着が強まってしまいます。もしも「人生は厳しくて危ないもの」という怖れを信念として抱いているのなら、そういう結果が訪れやすくなることでしょう。また、そうした怖れを解除していけば、逆に人生に「安心さ」がもたらされやすくなるでしょう。

執着心の下には「自分はどこか不足している、ダメな人間だ」という思いも絡まっていそうです。「自分には他の人と同じようにチャンスがたくさんあるわけではない。だから、これに執着しなければならない」というわけです。

しかし執着すれば、うまくいってもそれしか手に入りにくくなるとも言えます。「他に良い方法はない」「~でなければならない」と自分で限定して考えているからです。ですから、執着しないでいる方が、幸せになるためのチャンスは自分にたくさん開いているとも言えそうです。


・恨み
恨みを抱いていると、自分らしく生きることの妨げになります。たとえば恨みを晴らすために相手を引きずり落としたとしても、自分が幸せになれません。また誰かを恨んで、「あんな風にだけはなりたくない」と思えば、その人が持っている幸せや良さを手にしにくくなり、自分の人生が制限されてしまいます。そして「勝って見返そう」として競争すれば、自分が本当にやりたいことをやりそこなってしまいます。

恨みを感じるのは、被害者的な立場に身を置くことと密接な関連がありそうですが、その下には比べる気持ちがありそうです。ある出来事や状況に遭遇した場合とそうではなかった場合を比べたり、人と自分の体験や境遇の違いなどを比べてしまうのではないでしょうか。

しかし何かと比べて自分の価値をおとしめて考えるのは、自分を生きる上で全くナンセンスでもあります。この場合、価値基準が自分の中ではなく外にあるということですから、いつも何かと比べて劣らないように気をつけていなければならなくなります。それはつまり「ありのままの自分など、受容するに値しないものだ。私は本来、無価値な人間だ」と言っているのと同じです。子供の頃にあなたを誰かと比べて、いちいちケチをつけておとしめる癖を持っていた大人がいませんでしたか?

どんな出来事や境遇の違いも、運命を決定するほどの力は持っていないというのが本当だと思います。もしそう感じることができないのならば、あなたは自分をものすごく無力なものと思い込み、本当にしたいことをするよりも恨んでいることの方が楽だ、と判断してしまったのでしょう。何かと比較して自分の価値を考えなくても、自分の本当の力と魅力を発揮するためには、現在の自分の内面へ集中するだけで充分だ、という許可を自分に出してあげるとよいようです。

・嫉妬心
嫉妬する人には勝ち負けにこだわる所があり、自分が勝っていないと自分の価値を認めることが出来ない、負けずぎらいの一面があります。自分の価値と共に、嫉妬の対象である人の努力や才能を認めることも大切です。同時に、これまでにやって来たことや生きて来た条件、自分が持っている状況の豊かさに感謝し、勝ち負けの基準ではなく、自他への愛情を育み、自分が本当にしたいことを発掘して、自分ならではの人生を創る意識への移行が大切です。

パートナーに嫉妬する場合は、相手を自分の付属物と考えて支配的になっている可能性があります。支配のところにも書きましたが、人を支配しないと自分の価値を感じられないというコンプレックスを解消する必要があるでしょう。

パートナーに嫉妬される人は、相手の気持ちを落ち着けてあげよう、相手にあわせるという点にとらわれ過ぎると、どんどん魅力を失ってしまいます。相手は、あなたが魅力的で誰かの目を引いたり、誰かにとられるのを心配して、あなたの行動に対して制限をつけるような干渉をします。

上はパートナーから嫉妬される例として書きましたが、嫉妬して来る相手は、親兄弟や友人・知人などの場合もあるでしょう。いずれにせよ、あなたに嫉妬してくる相手の要望や、あなた自身からの相手との競争心にとらわれ過ぎると、あなたらしさや本来の魅力が失われてしまいます。

嫉妬して来る相手がパートナーである場合には、相手が制限をつけて来る要望を受け入れて、あなたが魅力をすっかり失った後で、パートナーの気持ちが他の異性に移ってしまうことさえあります。そのような犠牲者にならないように気をつけましょう。

(嫉妬心の項についてはこの PDF を製作時に加筆しました。)


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引き続き『やさしさの夢療法』
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第 6 章🌸……Oさんへのインタヴュー
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―夢のワークと自己解放のプロセス

(プロローグ)
次に紹介するのは、私達の毎週のワークショップに約十ヵ月間にわたって参加された0さんと、私と原田成志の三人による対談です。このワークショップは、毎週夜二時間半ずつ行なっていたもので、セラピストは私と原田成志が隔週交替でつとめていました。セラピストをつとめない週もロールプレーの手伝いをするなどしてアシスタント的に参加していましたので、ほとんどの体験は三人共通のものです。

このワークショップの内容は第 8 章で「ホールネスワーク」として紹介するさまざまなワークを含めながらのものでした。ここではその中から、夢のワークに中心を絞って0さんからお話をうかがっています。


0さんの紹介をする前に、ワークショップのことについて触れておきましょう。ワークショップは二~三時間の単位で、一回限りの単発の形で行なうこともありますし、週末を利用して一~三日間などの集中型、また二~三時間を週一回のペースで、たとえば連続十回、通年というように、さまざまな形があります。


私達のワークショップでは、セラピーのワークによって、自分についての発見をしたり、自分への理解を深めたり、抑圧を解放して統合したり、生まれ育ちの中で形作られた自分を無意識のレベルから癒したり、新しい自分と出会うことなどを目的としています。人生のさまざまな時期に無意識的にセラピーの必要性を感じて、関心を持った方が参加されます。

心身に不調和が生じていたり、特に乗り越えたいはっきりした課題があったりするような時は、個人セッションの方が適切なことも多いと思います。その状態や課題に関連している無意識中の問題を、集中して直接的に扱えるからです。

また個人セッションでも、たとえば十回ほど連続して定期的に行い、根本的、総合的に自分を見ていくというやり方もあります。個人セッションは、私達の場合は普通一回に二時間かけて行なっています。

またセラピーを受ける側の各人のコミュニケーション・パターンによって、一対一という関係(個人セッション)の方が楽だったり、たくさんいるうちの一人という形(ワークショップ)の方が参加しやすかったりということもあります。たいていの場合、私達のワークショップは四~五人から二十人程度までで行なっています。

Oさんは三十代の女性でOLです。当時はある男性との交際が、今一歩の所で結婚までこぎつけることができない状況で、膠着状態の中で疲れて自信もなくしていました。その時のワークショップは毎回自由参加の形でしたが、Oさんは約十ヵ月間、毎週参加されました。

また月に一回程度、個人セッションにも取り組んでいました。始めの頃はセラピーに対して半信半疑の部分もあったと思います。それでも自分に起きていることを知りたい、自分の内面をケアしたい、という強い動機があったせいか、始めから思い切ってワークに取り組んでおられました。

その後、ワークショップの中でさまざまな発見や、眠っていたエネルギーの解放があったり、と良い体験を重ねていくにつれて、ますます深い関心を持たれるようになりました。そして幼年期からのことも含めて内面の力をだいぶ回復された頃、交際相手の男性とOさんとの関係の“内面で起きていること”がワークの中で明確化になっていきました。

Oさんの内面の傷やコンプレックスは、状況に対処するための力と知恵を閉じ込めてしまっていました。傷やコンプレックスは“その人本来の力”を弱めてしまう厄介なものですが、その部分の解放と癒しが進むにつれ、現実に対処するための心の目も開かれていったように見えました。

それとほぼ同時にOさんは自分を被害者的な立場から解放し、その硬直した交際を自分の方から手放していかれました。そうして心の整理がついていった頃、お互いをより一層大切にできる男性との新しい出会いがあり、その約一年後にゴールインされました。

なお対談は文章に起こすにあたり、読みやすくするために多少の手を加えました。

1.「パンの夢」
広美―今日はOさんが今までに体験された夢のワークについてのお話をうかがっていこうと思います。ワークをされた順番にほぼ沿ってお話しをうかがっていこうと思いますが、初めは順番を変えて、Oさんにとって初期の夢のワークで特に印象的なものになった「パンの夢」のお話からうかがっていくことにしましょう。さて、この夢の内容はどんなものでしたっけ?

Oさん―「評判のパン屋さんで、薄紅色の細長いパンを選ぶ私」という夢です。そしてワークでは、パンを売る人と、それからパンになってみて、各々を味わってみました。

広美―夢の内容をもう少し詳しく話して下さい。

Oさん―階段のような所の下に横に細長いパン屋さんがあって、そこに商品をずらっと並べてあるんですが、その中に一つだけ、ビニールをかけられた特別製のパンがあるんです。それがすごく目立つんです。

「何で、このパンはビニール袋をかけられているのかな」と思いながらパンに近づいていって、パンばさみで取り上げて見るという夢でした。

広美―ワークをしてみてどうでしたか?

Oさん―初めに夢の中の自分を思い出して、パンを買う所を再現してやってみたのですが、その時は特に何も感じませんでした。

広美―その後ロールプレーで、パンを売る人とパンになったんですね。

Oさん―それが、お店の人についてはあまり印象がなくて、とにかくパンがゴチャゴチャあって、他のパンは裸で並べてあるのに、そのパンだけがビニールに包まれて、さも大切そうに置いてある。それで不思議だな、と思ったんです。

成志―初めは売る側になってそのパンを描写してもらったんですよね。

Oさん―ビニールをかけられた特別製のパンで、とびっきりおいしくて見た目もよい、ということで説明しました。とにかく特別なんだ、ということで、それをお客さんにアピールする、そんなセリフが自然に出て来ました。それでそのパンを大推薦したんです。

ところが、次に自分がパンになってみると、「うれしいんだけど、私はそんなに大推薦されるほど価値があるのかな」という疑問が湧いて来て、「でも自分では確かめようがないしな」とブツブツ言っていました。そして次に、「ではパンとしての自分をアピールして下さい」と成志さんに言われたんです。

成志さんと、もう一人の参加者がお客さんの役になってくれて、私の方は「とにかく自分を売り込んで、買わせるようにして下さい」と言われたので最初はどうしようかと思ったのですが、取りあえずパンになってみたら、だんだんと物凄い力が湧いて来て、ぐんぐんパワフルになって……(笑い)

そして最終的にはもう、「こっちを見て! こっちを見て! 私はここにいますよ。絶対に損はさせないから。おいしいから。私を食べれば口もとろけるし、色も桜の花びらみたいに綺麗だし、見て見て!」という感じで、パワーがすごく出てきたんですね。それで自分で驚いてしまいました。

成志―始めは、わりと控え目にしていたのが、僕ともう一人の人が、「こっちのパンの方がうまそうだ」と言って、違うパンの方に行こうとすると、すごく言い返してきたんですよ。二人で「あなたなんてね、ビニールに入っているし、匂いもしないし、向こうのむき出しのパンにしようよ」と言って別のパンの方に行こうとすると、すぐにOさんがまた言い返してくるんですよね。

Oさん―「絶対に損はさせないから、こういう風にビニールかけられているだけでも全然違うのよ」って言って、「だから一度手に取って食べてちょうだい。本当に本当なんだから」という感じで。

成志―そう、そしてそれが止まると、またもう一人の人が、「それもいいけど、やっぱり、あっちのもいいわよね」なんて言ってましたね。

Oさん―そうすると、またすごいパワーが出たんです。とてもしゃくなんですよ、他のパンに目を向けられるのが。何が何でも私の方に目を向けさせてみせよう、絶対に私を売り込もうというパワーが出てきました。私としては、こんなに自分を売り込むような部分が自分にあったのか、とびっくりしました。

広美―今、その時の話をしているだけでも、何かすごくパワフルで、場が楽しくなってきますね。

Oさん―それから後、全部終わってから感じたことなのですが、ワークをしている時は「自分だけ、自分だけ」という気持ちだったのが、結局、「自分だけでなく、そのままむき出しで置かれているパンも各々に同じようにすばらしいんだ」と自然に思って、気持ちが良くなったのを覚えています。

しかし各々にすばらしいんだけど、だけどやっぱりその中でも……(笑い)私がやはり、一番すばらしいのよ、というか、そう信じている感じだったんです。

「他のむき出しのパンも各々にすばらしいんだけど、私だって、私だって」という気持ち、ふだんはこういう部分は、あまり出て来ないだけに、ちょっと驚いたんです。どちらかというと「私なんて」といつも言ってきたのが、「見て! 私は……」という、「他もよいけど私はもっと…」という、なぜか物凄くパワフルな感じになって。

広美―「本当は、私は私のことを、結構いいと思っているんだ」ということの確認になったようですね。

Oさん―そうですね。どこかで、もしかしたら自分のことを高く買っているんだけど、ふだんは意識に上がってこなくて、かなり押し込めているというか、またもしかしたら、「そんなことを本当は思ってはいけないんだ」というふだんの癖が出て、そうは思っていても、知らないうちに自分の中でつぶしている可能性もあったりしたかな、とも思いました。

自分のことを「すばらしい」と認めてはいけないというような。親は悪気はなかったと思いますけど、私は「人前で自慢してはいけない」とか、「自分の才能に自惚れてはいけない」というような育てられ方をしてきたんだと思います。「万事控え目がいいのよ、特に女の子は」というただし書きがついていたんですね。

成志―この夢のワークをやって、日常の変化が何かありました?

Oさん―だんだん気がつかないうちに、自分のパワーを信頼する、ということが根づいて来たんじゃないか、と思います。実際その後、いろいろなことに首を突っ込むというか、これをやりたいな、と思ったら、今までは二の足を踏んでいたものが、その時の直感で「これはよさそうだから」と、パッとやってみたり、ということが増えたので、どこかで、このワークが役立っていると思います。

成志―この夢自体が、そのエネルギーに触れるきっかけになったという感じですか?

Oさん―そうですね。そういう感じです。このワークは特別に印象が強いので、そうではないかと思います。もう半年以上も経っているのに、かなり、はっきり覚えていましたし。

広美―私達から見ると、Oさんというのは自分で考えてらっしゃるよりも、ずっとパワフルな方だなと感じていたのですが、このワークではそれを実感されていったわけですね。



2.「パブの夢」
広美―では少し戻りまして、Oさんが最初に夢のワークにチャレンジされた時の「パブの夢」なんですが、これも夢の内容からお話し下さい。

Oさん―奥行きのある、パブのようなお店のレジの所に、私がいるんです。中に入ろうとして、キャッシャーの所にいる男の人と一言、二言何か話しました。ふと見ると、行列というか、二列縦隊で人が店の奥に向かって歩いていくので、私も加わろうとすると女の子がいて「あなたイヤリングしてる?」って、聞くんです。

「してない」って私が答えると、「あなたはダメ」と言われました。結局、中に入れてもらえなくて、私はイヤリングをしていないから資格がないということで、その女の人は行列の中に入って、行ってしまいました。私は一人取り残されて、その頃、そういう孤独感が強い時期だったので、とても寂しかったのを覚えています。そこで目が覚めました。

広美―ワークの方は?

Oさん―これはかなり前のものなので、詳細はあまり覚えていないのですが、最後に広美さんが、「あなたは資格がないわよ」と言った女の人の役になって、私の方を振り返りながら「私だって他の人に仲間はずれにされるのは不安だし、けっこう強がっているのよ」ということを言われた時に「ああ、そうなんだ」と、肩のこの辺りが、スッと、楽になったのを覚えています。

広美―私としては、この女の人の心の中にある恐れの部分を言葉にした、という感じでした。外見はOさんと随分違ったタイプの人のようでしたが、心の奥の、一番柔らかい部分を共有してみると、「なんだ、同じだったのか」と、ホッとする、ということはよくありますよね。

成志―設定がパンの夢と似てますよね。だけども、こっちの方が暗いですよね。というのは、「私は他の人と違っている、特別だ」というところは共通なんだけれども、それについてのとらえ方が反対になっています。パンの夢の方は他人との違いを肯定的にとらえていますが、こちらの夢は否定的ですよね。

Oさん―あ、本当だ、おもしろい。今まで気づきませんでした。指摘して頂いてありがとうございます。

広美―この夢はOさんの夢のワークではいちばん古くて、パンの夢の四ヶ月ほど前のものですね。


3.「アリの夢」
広美―ここからは「パンの夢」のワーク以降で、その後二~三カ月の間のものということになりますが、では「アリの夢」からいきましょう。

Oさん―これは単純な夢なのですが、今住んでいるアパートの台所に、二メートルほどもありそうな大きなアリがいたんです。見ている私としては驚きのあまり声も出ず、もしかしたら襲われるかな、外見も恐ろしげだし、と思いました。

でもアリの方は、私を脅かしたり襲ったりはしなくて、もう一つの部屋の大きい窓から外に出ていった、というそれだけの夢なんですが。

広美―ワークの中で、アリになってみましたよね。夢の中のアリはどうして外に行ったんでしたっけ?

成志―確か、外に仲間がいるから、ということではなかったでしょうか?

Oさん―ああ、そうでしたね。だんだん思い出してきました。夢の中のアリは、自分ではなぜ部屋の中にいるのか分からないんです。気づいたらそこにいた、そんな感じでした。来たくて来たのではない、本当に気づいたら、そこにいたんです。

ですから「怖い」とか「なぜ、そこにいるんだ」と聞かれても困る、という気持ちでした。ワークの中でアリになりながら、実際問題、私はプンプン怒っていたんです。体が大きいというだけで、いじめられたり……。

成志―確かそれが、Oさんが仕事を始めた時の職場での状況とオーバーラップしたんでしたよね。

Oさん―覚えてないんですよ。

成志―のっそりした感じで、悪気はないのにいじめられてしまう、という。

Oさん―ああ、思い出しました。今の会社に初めはアルバイトで入ったのですが、その頃は、人づき合いがうまくいかなかったんです。自分としては、それなりに一生懸命に仕事をやっていたつもりだったんですけど、何か周りの人からは、うとましく思われていたみたいで、私は全然、口をきかなかったんです。ただ、黙々と仕事をしてい……。

成志―まさにアリのようですね。(笑い)

Oさん―都会に出て来たばかりで、都会の生活に慣れないということもあって、下手に話をしても、同僚の女の子達と世界が違う、という気持ちがしていたんです。たとえば、「どこそこのケーキ屋さんがおいしいわよ、キャー、キャー」とか、今流行している洋服の話とか。

でもその頃の私は洋服なんか買える状態ではなくて、みんなの話に入っていきたくても、入っていけない状況があったんです。そして自然と、みんなから離れて黙々と仕事をする、ということになり、「得体の知れない人」と、周りからは思われていたようなんです。それで、その頃にいた人にはトコトン嫌がられてしまったのですが、「私は一生懸命やっているのに何で嫌がられなくちゃいけないの?」って、ずいぶん思って、恨みがだいぶたまっていました。

その当時の状況と、夢の中のアリが一致して、アリになった時、腹が立ったんです。「別にただここにいるだけなのに、何でこんなにいじめられるの」という思いです。来たくて来たんじゃない、気づいたらここにいただけで、別にみんなに害を加えようとは思っていないのに「怖い」と思われてしまう、冗談じゃない、という感じだったんです。

そして、こういう体をした仲間は他にもいるのだから…(笑い)たまたまここにいるだけだから、怖がらなくていい、すぐに出ていくから、迷惑はかけないから、と、アリになった時思っていました。

広美―アリは周りの人に対して不満で怒っていたんですよね。

Oさん―とにかく周りの人から怖がられてしまって、要するに「異形の物」で、ギョッとするから怖がられているのだ、ということが分かって、では、おとなしくして見せればいいのかな、ということで、ワークの中で、アリの触角を下げたんです。

そうしたら周りで見ていた人が、恐る恐る近づいてきてくれて、私が「どうですか、これで私のことを安心できると信用してくれますか」と尋ねたら、「分かったわ」と言ってくれて、頭を撫でてくれました。初めは、なんで怖がられているのか全然分からなくて。でもそのうち、自分はこれでいいと思っていても、人からは怖がられたりすること分かって、触角を下げたんですね。

広美―このワークは、Oさんにとってはどんな意味を持つワークでしたか?

Oさん―そうですね、ちょうどここに記録があるのですが、「アリは決して悪いものではなく、もっと自分自身を解放して、他の人達に分かってもらいたい、と思う気持ちへと私を導いてくれるものだった。これも実際にワークの中で動いてみた結果です」と書いてあります。

広美―終わったあとの感じは、いかがでしたか?

Oさん―周りにいた人が近寄って来てくれて、とてもホッとした気持ちでした。



4.「高速道路に、飛行機とトラックの夢」
Oさん―次は、高速道路を走る飛行機と、その後ろを加速して走ってくるトラック、という夢です。

広美―この時は夢の絵を描きましたよね。

成志―この飛行機は、しっぽしか見えていないんですか?

Oさん―そうです。尾翼の部分しか見えていなくて、トラックは、はっきり見えるんですよ。飛行機の中(尾翼のあたり)に私がいて、後ろから追ってくるトラックを見ているんです。

滑走路ではないので変なんですが、飛行機が走っているわけです。離陸寸前なのですが、大きなトラックがくるので、「ああっ! ぶつかる」と思っていたんです。

広美―トラックは、ぶつかってきそうだったんですよね。

Oさん―ワークをやる前は、トラックが後ろから追ってくるので、飛行機の中にいる自分は恐怖感がありました。また、焦燥感などもそこに隠されているのかな、と思っていたのですが、ワークの中では飛行機、トラック、高速道路になってみて、全く別の感じを味わいました。

飛行機になってみると、とてものんびりしているんですよ。後ろからせっつかれているのに「今、飛ぶからさ……」「今、離陸するって言っているのに、うるさいなあ」という感じで、全然気にしていないんです。

で、トラックになってみると「どけッ、どけッ、急いでいるんだから変な所にいるんじゃないよ」「ここはお前さんのいるところじゃないよ、いい加減にしろよ、このまま行ったら突っ込むじゃないか」といった、頑固オヤジという感じなんですよ。それに対して飛行機の方は、育ちのよい、お坊っちゃんみたいな感じがしました。

それに対して、支えている高速道路というのは、縁の下の力持ちという感じで、「まったくなあ、なんで飛行機が走っているわけ? お前さんの居る所じゃないよ」と、言っていました。三者が各々におもしろかったんです。

広美―初めは、ぶつかってきそうで怖かったのが、ワークをしてみたら怖くなかったんでしたよね?

Oさん―そうなんです。飛行機は「あと何秒かで離陸するから大丈夫」という様子でした。ぶつからずにすむという展開を感じ取ることができました。

成志―僕が覚えているのは、やってみたら飛行機よりも、トラックの方が怖がっていて、トラックにとっての方が、危険だったんですよね。

Oさん―そうですね、飛行機の方は全然あせっていなくて、「ゴーイング、マイ・ウェイ」という感じでしたし、ぶつからないというのは確実に分かっていたんです。

広美―このワークは、三つのものになってみるというところで終りになったんでしたっけ?

Oさん―私の記録の中に、成志さんからではないかと思われるコメントが書いてありまして、「飛行機は新しくなっていこうとする私の象徴で、トラックの方は古い方の私、もしくは、新しく変わっていこうとする私に戸惑っている自分か、置いてきぼりになりそうな人々だ、と見ることもできるかも知れませんね」と、あります。

成志―確か、このトラックが、まじめに働いているんですよね。

Oさん―(笑い)額に汗して、みたいな感じで。

成志―そして飛行機の方の人には、仕事の人はあまりいないんですよね、遊びに行く人、みたいな感じで。

Oさん―ええ、「マイ・ウェイでね、いいじゃない、楽しければ。走ってたっていいじゃない、すぐ飛ぶんだから」って。

成志―それで高速道路の方は「早く上がってほしい、壊れるから(飛行機が重たくて)」ということだったんですよね。だけど飛行機の方は、「もう少し」と言ってのんきなんですよね。

広美―「前が早く飛び立たないと、もう危ないよ」という感じですね。トラックは全部見えているけれども、飛行機の方は一部だけ、というのは、トラック的な要素の方が、Oさんにとって、おなじみの自分らしいところということなのでしょうか。

Oさん―
確かにそうです。飛行機的な自分の方が、新しく自分の中に出てきた部分ですね。今までは、そういう自分があんまりあっては困るな、という気持ちがあったから。飛行機の方のイメージのように、好きなことばかりやっていたら、社会が荒廃しちゃうじゃない、という感じで。

広美―トラックの方も飛行機の方も、両方の要素が、Oさんにとっては必要なんでしょうね。

Oさん―トラックのイメージの方が、私にとっては「あるまじき社会人の姿」だったんですね。というのは飛行機の方のイメージが、前に会社にいたある人のイメージと重なってしまって。その人は残業時間に別の夜の仕事とかけもちをして、それなのにタイム・レコーダーをそのままにして、お給料を二重取りしたんです。

それが見つかって会社をやめる時も全く悪びれる様子もなく、びっくりしたんですが、その人は年に二回は必ずハワイとかに行っていたんです。好きなことだけする、というイメージの人でした。だから私としては、自分は間違っても飛行機の方ではない、トラックの方だ、という感じがしていたんです。

広美―ところがOさんにも、そういう所もあったというか、出てきたというか、飛行機に乗ってイギリスに行ったりしましたよね。

Oさん―本当に、自分も、そういうこともやってますよね。(笑い)うちの場合は、親の育て方はトラック的で。そう言えば最近、田舎に帰って感じたんですけど、前は、親にも親戚にも、私の中の飛行機的な、楽に好きなことをするというような部分は受け入れてもらえない感じだったのが、変化してきたようなんです。寛大になったような。

広美―自分の方で、自分のその部分を認めて肯定的に見てあげるようになると、周囲の反応も変わるということは、よくありますよね。

Oさん―私が都会でやりたい仕事を続けている、ということ。それから、田舎に帰る、結婚するという考えにとらわれずに、自分の生き方を模索している、というようなこと。前は評判が悪かったのが、「そういう生き方もいいわね」などと、いとこ達にも羨しがられたりしたんです。私にとってはありがたくて、本当に前と比べて変化したな、と思うんです。

広美―よかったですね。

Oさん―「まあ、あの人は変わっているから」と、さじを投げられたようなところもあるのかもしれませんが。(笑い)

広美―いい意味であきらめてもらうことも、大切だったりしますよね。親の側から言えば、親が「こんな形で娘に幸せになってほしい」という期待から子供を解放してあげると、親の方からは思いもかけない方向で、娘がドーンと幸せを創る、というような、ね。

成志―僕が感じたのは、飛行機の方が「トラックのことを忘れないようにしなくちゃ」とか「一緒に走らなくちゃ」とか思っても、トラックにとっては迷惑なんですよね。ぶつかっちゃいますから。「早く、飛んでっちゃってほしい」と言ってましたよね。

Oさん―ああ、そうですね。じゃあ、「もう違う所に行っていいよ」という感じなんだ。この頃、もう芽生えがあったんですね。これ五月頃のワークですよね。自分に実感されてきたのは七月になってからだと思うんですが。五月頃はまだけっこう暗かったんです、自分の感じでは。七月に下地ができてきて、八月にドーンと変わった、という感じだったのですけれど。



5.「駅前の高架線の夢」
Oさん―次の夢です。郷里の私の家の近くの大通りを、家に帰ろうと歩いています。交差点を通りながら駅のある方向を見ると、あるはずのないガードの上を、ゴーと音をたてて電車が走って行きました。その時、電車の向こう側に見える夕焼け空がオレンジ色でした。それを見て「少し、怖い」と思いました。

広美―このワークはどのように覚えていますか。

Oさん―このワークで分かったのは「私の中でスパークしているエネルギッシュな部分を、多少の驚きと不安を持って見つめている私自身の姿だった」と、記録にあります。

広美―この時も、選んでいくつかのものになってみたと思うのですが。

Oさん―夢の中の自分自身と、電車、それから夕焼け空になってみたと思います。自分自身というのは夢の中の自分と同じで、特に発見はなかったと思います。電車になってみたら、とても働き者なんです。「ゴー、ゴー」と音をたてて。

広美―確か、その電車が通っている高架線は本当は、そこにはないはずのものでしたよね。

Oさん―そうですね。JRの山の手線という感じなんです。たくさんの人を詰め込んでそれをまた吐き出す、とても忙しい、という「東京」のイメージでした。皆の役に立っている便利なもの、というイメージもありましたね。

そして確か、電車の「ゴーッ」という音と共に、後ろで、渦巻いているような夕焼けを誰かにパントマイム風にやってもらって、それは楽しい感じだったんです。

成志―その電車のエネルギーも、よかったんですよね。

Oさん―ええ。そして、とてもエネルギッシュなんだけど、あまりにもエネルギッシュすぎて、自分がびっくりしていたんです。

広美―自分の中にあって、今までは無自覚だったエネルギーを見て、自分がとまどってしまったような感じですよね。

Oさん―私は自分のことを、それほどエネルギッシュだと思ったことはなかったのですが、その時にそれを言ったら、周りにいた人に「それは意外ですね」というようなことや、「本当にパワフルな人は、自分ではあまりそう思っていないこともありますよね」などの感想をもらいました。

広美―そうですね、そういう自覚はあまりなかったようですね。

Oさん―どちらかというと、自分のネガティブな部分に意識が行く方ですから。たとえば、胸のこのあたりに慢性的な問題があって呼吸がスムーズではないな、とか。でも問題があったとしても、エネルギッシュでもあり得るわけですよね。だけども、たいていは割り引いて考えてしまいますね。

成志―自分の良い点というのは、自分では当たり前だと思っちゃうんですよね。他の人も同じだろう、と。

Oさん―ワークをやり始めて何か月かして、多分、半年してくらいだと思いますが、周りの人には「あなたはパワフルね」というようなことを言われるようになりました。でも、自分では全然分からないんですよね。

広美―今日の話し方などはずいぶんパワフルですよね。

Oさん―そうですよね。

広美―この夢は、自分の中のエネルギーやパワーを見つけるという点ではパンの夢と似通ったテーマになっていますね。

Oさん―そうですね。それから、これと直接に関わるかどうかわからないのですが、最近は自分が独身である、ということを肯定的に人から言われることがよくあって、うれしいんです。以前は否定的な面ばかりに目が行ってしまっていて、「一人で格好が悪いな」とか。

ところが、もう結婚をしている友達と話してみたら、違うこともいろいろ言ってもらって、初めはお世辞だけだろう、と思ったんですが、そうでもないらしいんです。「ボーイフレンドを作ったりするのも誰に迷惑がかかるわけでもないし、好きなことができるし、遊びにも行けるし、格好いいじゃない」というわけなんです。「ああそうか、いい面もあるんだな」と、私にとっては発想の転換という感じだったんです。

広美―自己肯定と関連することですよね。どんな状況にも良い面と、そうでない面の両面がありますが、その状況の悪い面ばかりが目についているような状況の中で、良い面が見えて来た時というのは解放感がありますよね。


6.「菜の花畑の夢」
広美―この夢は初期のもので、今日初めにおうかがいした「パンの夢」よりもさらに少し前のものですが、夢の中の花畑のイメージが次の「西田敏行の夢」と共通しているようですので、ここで振り返ることにしました。では夢の内容から述べて下さい。

Oさん―周囲は田園風景で、山が近くに見えています。その中をクラシックなオープンカーに乗って走っています。前に運転手がいて、私は後ろの席にいます。そして私の隣に、誰か分からないけれども男性がいます。

三人で乗っているんですが、すごく景色が綺麗で、私はキョロキョロしながら見ています。私は、運転手とも隣の人とも特に一言も口をききませんでした。運転手は中年で、隣の人は若い人でした。

成志―中年の人は、お父さんでしたっけ?

Oさん―いえ、この二人の男性が誰かということは、ワークの中でもピンとこなかったと思います。夢の中では、右の方にちょっと首を向けると、一面に菜の花畑なんですよ。「わー、きれい。菜の花が咲いてる!」と言ったんですが、確か……

成志―その菜の花が、まだ咲く前だったんではないですか?

Oさん―ええ、咲く前なんだけど、菜の花だということが分かって、風が吹いていてとても気持ちがよくて、という、そういう夢でした。その場面はそれだけだったんですが、夢の終わりに、黄色い菜の花のような色の灰皿が、目の前に迫ってきて、びっくりして目が覚めたんです。

広美―その灰皿は実在のものだったんですよね。

Oさん―ええ。何年か前に私のお誕生祝いを友人とレストランでした時に、お店から景品として頂いたものなんです。

広美―この夢は、どのようにワークをしましたっけ?

Oさん―印象的だったのは、菜の花になってみたことです。まだ咲く前だったんで、「これからだ」という感じだったのですが。

成志―確か車の中から見ているOさんは、「咲いてくれないかなあ」って言うんですよね。「菜の花だ、菜の花だ、早く咲いて」というようにね。

Oさん―そして菜の花の方になってみると、「でも、まだ咲いてないなあ」とか言われて、「だって、まだ時期が来てないんだから仕方がないでしょ、まだ菜の花が咲く時期じゃないのよ。咲いていないからって文句言わないでちょうだい」と言い返したりしました。

広美―この菜の花を見ている人と、菜の花との関係性というのは、何かに重なりますか?

Oさん―重なります。結局、自分の中で花が咲くということはあるだろうけれども、今はその時期じゃない、という感じです。だから、「つつかないで、無理に言わないで、自然に咲くから」という、そういうことだと思うんです。

広美―その菜の花を見ている人の方の声も、菜の花側の声も、両方がOさんの中にあって言い合っている、というようにも取れるし、また時には、菜の花を見ているのは、Oさんの周りにいる誰かで、Oさん自身が菜の花と重なって感じられる、ということもありそうですね。

Oさん―
そうですね。あのワークでとにかく印象的だったのは、「無理に急がなくても、いずれ咲く時は咲く」というテーマでした。このワークの少し後になりますが、六月か七月頃、ノートによく書きつけていたアファメーション(自分の助けになる肯定的な確信を表現した言葉)の一つが「一番暗いのは夜明け前」というものなんです。もう一つは、「何事も機が熟すれば容易に起きる」というもので、それらの言葉が頭の中にバーンとあって、その後リフレイン(繰り返し)されていました。

結局、「あがいてもダメな時は仕方がない。機が熟すれば……」ということで、そして、夜明け前が一番暗いんじゃないか、というのは、今になってまた本当に実感されていることなんです。

広美―これは三月のものですから、まだ先が分かりにくいと思っていた頃ということでしょうね。「パンの夢」(四月の初め)よりも前ですからパワーもまだ閉じこもり気味な頃だと思いますし、また「飛行機とトラックの夢」の中での「早く飛んで行って!」「もうすぐ飛ぶよ」というイメージが出てくるのは、これよりも三~四カ月後のことですからね。

Oさん―そうですね。まだ先が分からずにグジャグジャしていて。そしてようやく六月頃になってから「真っ暗なんだけど、夜明け前が一番暗いんだ」という感じになって。

そして、何事も機が熟すれば(内面の力が回復されて開いていくと)、本当に特に何の努力もしなくてもボンボンボン、と物事が起るんだな、というのが、最近の自分についての感想なんです。

広美―「夜明け前が一番暗い」というのは、いろんな人の励みになりそうな、いい言葉ですね。ワークをしていって、一生懸命いろいろやるんだけれども埒があかない、というように感じる時期というのは、ありますよね。

自分の体験を振り返ってみても、大きな問題が抜けていく(解決していく)直前に、「最悪だ」と感じたことがやはりありますね。「今までやってきたことは何だったんだろう」と思ってしまうような時ですね。

成志―結局そういう時って、自分で思っていた「こうなればうまくいく」という可能性が全部つぶれる時なのかもしれませんね。「もう何もない」と思った時には別の方向に行けるんですが、可能性にすがっているうちはそこを抜けられない、というようなことがありますね。

Oさん―「絶望しかけた時に、光がさす」というような思いをしました。「あきらめかけた時に変化が起きる」ということを前に本で読んでいたのですが。つらさというのも人によって違うと思うのですが。

ある人がつらさの中にいて、自分の在り方を変えることによって状況を変えていこうと思っているとします。その人が自分を変えるワークをしていて、簡単には目の前の扉が開かないな、というつらい思いに陥った時、先ほどの「いちばん暗いのは夜明け前」「何事も機が熟すれば容易に起きる」という言葉は、いいんじゃないかなと思います。

「宇宙には何も間違いはない」とか「起きることはすべて必然性がある」などの言葉を本で読んだことはあっても、自分だけは例外だ、とよく思ってしまうわけなんです。それが、やっぱり例外というものはないんじゃないのかな、と思えるようになってきたんです。

大きな変化が出てくるまでに踏んでいく段階というのは人それぞれだと思うんですが、ただ、「すべての人に、そういう機会は訪れる」と思えるんです。一度、扉が開きだすと、すごく早く、自分でも思わぬほどの早さで望む方向に動いていくということがある、と思うんです。



7.「西田敏之の夢」
広美―では最後の夢になりますが、内容からお話し下さい。

Oさん―普通の日本間のような所に、まず、私がいます。私は部屋の隅に、「これは私のもの」と言って、アルバムのようなものを抱えて椅子に座っています。そうしたら、同じ部屋の窓ぎわに西田敏之に似た明治時代の書生風の男の人が立っていて、突然外に向かって銃を撃とうとするんです。マントか何かを羽織っていました。

まずそういう情景があって、その後、ちょうど映画のような場面転換があって、銃が「バーン」と鳴りました。その音を聞いて郵便配達のおじさんが、「ヒェー」とか言いながら、花が咲き乱れている田園風景の中を背中を丸めて自転車で、ワーッと全速力で駆け抜けていくという、わけの分からない夢を見たんです。各々が、バラバラなシチュエーションなんですけど、それでもロールプレーをしました。

広美―初めはやはり、夢の描写から入ったのだと思うのですが。

成志―西田敏之とはどんな人物か、とか。

0さん―そうですね。記録にも書いてあります。「西田敏之というのは俳優。彼は自分の意志で銃を撃ったのではない。ここは映画のセットの中で、銃もニセモノ。『むこうにいる監督の指示通りに演技しているだけだ』と彼は語った」とあります。

広美―映画だというのは始めから分かっていましたか、それともワークの中で分かったんですか。

Oさん―ワークの中です。最初は全然分からなかったんですが、西田敏之になってみたら、口から出て来たんです。

成志―その次に監督を登場させたんですよね。

Oさん―ええ、それで監督になってみると、「どういう台本になっているのか説明してほしい」と言われたんだと思います。監督になる、というワークの中で出てきたのが、今思い出してもとっぴな内容で笑いたくなってしまうんですが……、そのまま出て来たものですので……

成志―どうぞ、話して下さい。(笑い)

Oさん―監督によれば「この映画は明治時代の、大小説家を目指す書生の話で、それがすなわち西田敏之が演じるところの青年である。そして彼が師事するのが夏目漱石のような大作家先生。そういう人になりたいと、たくさん書いたりして、努力をしていた。

しかし、理想と現実のギャップが測り知れないほど大きくあって、知らないうちにどんどん精神を病むようになっていた。そして、ある日突然、ついに切れてしまった」私が見た場面は、その場面だったらしいんです。

「何の前ぶれもなく、下宿していた家にあった銃をいきなり持って来て、彼は自分が何をしているかもよく分からないままに窓の所に来て銃を『バーン』と撃ち放ってしまった。ほとんど無表情のままで」というのが脚本らしいんです。

そこまで出てきてからその後で、監督になっていた私は「その場面の目的は?」と成志さんに聞かれたんですね。そして私が扮する監督の口から自然に出て来たのは、「いかに彼、西田敏之が追い詰められたか、こうなってしまうまでにいかに彼が悩み抜いたか、ということをアピールしたい」ということだったんです。

広美―
あのワークは、今のお話しの最後のところが分かった時に、見ていてとても深い感じがしました。

Oさん―私は、このワークの中でロールプレーで監督になって、その台本のねらいを言った時に、「あっ、この『彼』とはあの人のことだ」と、直観的に「ハッ」としました。

広美―その発見というのは、その時のOさんにとって新鮮な発見でしたよね。

Oさん―そうです。今から思うと本当にそうなんです。それまでは私の方ばかりがすごく苦しくて、彼の方はただ意地悪をしているだけだと思っていました。「私のことなんて全然考えてくれていなくて何なのッ!」という、たぶんそういう見方しかしていなかったと思います。口では「彼だって大変だから」などと言ったりはしていても…。

広美―話題としては出ていましたけどね。

Oさん―でも心底では、そうは思いたくはないというか、要するに私は自分を被害者の側に置きたいという癖がありますから。自分を徹底的に被害者の立場に置けば相手をジクジク非難できますよね。ところが相手の苦しさを認めてしまうとそれが全面的にできなくなってしまうので、どこかで自分を被害者の立場に置きたかったんだと思うんです。

そして、その後すぐに思ったのが、「ではその場に居合わせて、アルバムを持って座っている私は何なんだろう」ということでした。それで、それは何かというと、西田敏之になってみたら、「ああ、あの人はエキストラですよ」ということでした。

それで私としては「ああ、夢の中だけでなく現実の中でも、彼はもう既に自分の中のことだけで手一杯で、私などはもうエキストラの一人に過ぎなくなっているんだな」と思いました。

そして、それと同時に彼がすごく追い詰められて、思い詰めて、悩んで、もう切れそうになっていて、自分のことだけで手一杯で、他の人の存在というのはもう極端に小さくなっている―これは「かもしれない」ということなのですが―それを直感として心に受け止めることができました。

その後、アルバムにもなってみました。そのアルバムの中には、きれいな写真がたくさん貼ってあったのですが、そのアルバムが西田敏之に向かって言うには「あなた、なんでこんなことを?」と。「私はせっかく気持ち良くいたのに、なぜ、こんなに引っかき回すような嫌なことをするんです?あなたのそういう態度は私の調和を乱すんですよ」って言うんですよ。

そういうことも、私にとってはおもしろい体験でした。また、ここには彼に対する被害者意識が出ています。「調和を作ろうとしてきた私なのに、あなたがそういうことをするおかげで調和が乱れてしまう。どうしてくれるの?」ということなんですね。

でも結局、直感として、「苦しいのは自分だけじゃないんだ」ということが、心底分かったというワークでした。そしてこの時期から、だいぶ自分が変わってきた気がします。今から思えば彼を「手放す」ための準備が、このあたりから出てきているという感じなんです。

相変わらず、実際には毎晩帰ってきたら彼に電話をして、「やっぱりいない」とか、電話に出ても向うが「ウン」とか「スン」とかしか言わないのでがっかりしたり、とかを繰り返していたんです。

でも、「そろそろ手放す時期が来てるんだ」と自分の中の何かが、言っていました。その結果どういうふうになるか分からないけれども、とりあえず本当にこのままの状態ではお互いどうしようもなくなるから、手放して……手放すところからしか、新しい状況は開けない、とどこかで分かっていました。

「一度手放すことの大切さ」というのは、ワークをやっていて広美さんから再三にわたって聞いていたんだけど、怖くてどうしてもできなくて、そんなことをしたら死にそうな気がしたんです。

もちろん理性では死なないのは分かるんだけど、今までずっとその人と七年も八年も一緒に歩いて来た、という気持ちがあって、それをいきなり手放すと死にそうな気がして、つらくてつらくて……。

広美―では、この夢のワークが良いきっかけになった、というような……。

Oさん―そうですね。ここ(ノート)に「直観」とはっきり書いてあります。私にとってかけがえのない人だったんです。困った時に助けてもらった所からつき合いが始まって、趣味も同じで。でも、かけがえのない人でも離れていく時はあるだろうし。

ただそれまでは、決してそうは思わなかったんです。かけがえのない人だから絶対に一緒にいなくちゃ、と思っていて、手放すのはとても怖かったんです。今は、手放していますね。連絡をつけなくても元気でいてくれれば、と思っています。

本当に私の中では大きな存在だったんですね。だから、よくぞ手放す気持ちになったな、と。自分を褒めてあげなきゃ、と最近は時々思っています。一時はその後も葛藤があったりして体調が悪かったりもしたんですが、今はきれいさっぱりなくなっています。

成志―あの時はワークできなかったんですけど、夢の中の郵便屋さんが、とてもコミカルだったんですよね。花畑をキャーとか言いながら……。

Oさん―ああ、そうですね。ヒェーとか言いながら(笑い)、そして、自転車をターッと、とにかく全走力でこいで逃げて行くんですよ。要するに「パーン」と音がしたから「危ない」と思って、まあ、それだけのことなんですが。

成志―でもけっこう印象的でね。西田敏之の場面と全く対照的なんですけど、結構この夢の状況の中での救いになっているというか……。

Oさん―言えますね。なんか全然関係ないというか、シーンとしては続いているんですが。でも、その人が銃の弾に当たって死ぬわけでもなく、ただ逃げるだけですから。きれいな田園風景の中を逃げていく……。「ヒェー」と言って。

成志―「ヒェー」って言いながらね。それが印象的ですね。

Oさん―けっこう、その後の状況を暗示しているのかも。ちょっとこれはうがち過ぎかもしれませんが、もしかしたら「でもこの後、こんなに明るい展開もあるよ、こんな可能性もあるんだよ」というような。

成志―そういう夢の中の雰囲気の転換って大事なんです。どういう雰囲気で夢ができているかというところは夢のメッセージとしては大事なんですね、後半はコミカルな方へ行ってる、ということですね。深刻な「撃たれる」という状況の方から、「ヒェー」という方へ。

広美―そこは夢で見た時もコミカルでしたか。

Oさん―「変な奴だな」と思いました。(笑い)あの横溝正史シリーズの中で、よく金田一さんが、せっせ、せっせと山の道を自転車でこいで行くような。だからコミカルですよね。殺人の場面とかではなくて、のどかな中を彼がフケを落としながら歩いて行く、とか、そういう明るい雰囲気でした。あれは私にとって大きな意味のある夢でしたね。

広美―前にふり返った「菜の花畑の夢」では「まだ時期が来てないんだから仕方がないでしょ、咲いていないからって文句言わないで、自然に咲くから」というテーマだったのが、四ヵ月経ってこの夢で深みへ到達すると、郵便屋さんが自転車で全速力で駆け抜けていったのは、なんと「花が咲き乱れている田園風景の中」だったというのも印象的でした。


<Oさんがセラピーを始めたきっかけ>

Oさん―始めは全然関心がなかったというか、とにかく、こういうものはいかがわしいと思っていました。占い、宗教、自己啓発セミナーなど、全部を一括していかがわしい、として片づけていました。セラピーとそれらとの違いも全く分かりませんでした。

また特に、ずっとつき合って来た人に、私はずいぶんと自分のパワーを預けてしまって来たのですが、その人がまた、「科学的にきちんと証明できないものに没頭するのはとんでもない」という人で、私もそういう考え方で来ていました。

両親も無宗教だったし、心やメンタリティーの面は軽んじてきた部分があります。お遊び程度には星占いや血液型占いなども見ていましたが、どちらかと言えば、そういうものには拒否反応がありました。そしてそういうものに関心を持つ人の頭の中は想像できない、という思いでした。

広美―そしてその後、自分の心を見つめていくワークブック形式の本に出会われたんでしたよね。最近は、この形式のものも何冊か目につくようになりましたね。

Oさん―本当に偶然だったんですけど、行きつけの本屋さんで積まれているのを見つけたんです。『自分を変える何とかメソッド』とかいうように書かれていて、その時は「何これ」という感じでした。

そして、その後ろの本棚は精神世界の本のコーナーだったんですが、ふだんだったら「自分には無縁だ」と思っていたのに、その日は目が吸い寄せられてしまったんです。その頃から、つき合っていた人との仲がうまくいかなくなり出していたので、多分、どこかで感じるものがあったんだと思います。

お金を払って、お払いのようのものをしてもらおうか、とも思ったりしていたのですが、自分にとってはたぶん気休めにしかならないだろうとも分かっていました。だけど何とかしなくちゃ、という気持ちで、いろいろな所へ願掛けなどにも行ってみたんです、実は。ワラにもすがる、みたいな気持ちもあったんです。

ところが皮肉なことに、そのワークブックに目が行って、「自分を変えちゃった方が早いのかな」と、どこかで思ったんです。結局、これがきっかけですね。それで友人と―その時、会社にアルバイトに来ていた人なんですが―話してみたら思ったより簡単にOKが出て、二人でやろうということになりました。そしてその人と、とても仲良くなりました。

結果としては、その本のワークによって、私の方はあまり変化はなかったのですが、友人の方はとても変化がありました。その人も“とどこおってしまった恋愛”のことで悩んでいたんですが、かなり大きい決心をして、つき合ってきた人と、もう一度やり直すことができました。その人は自分でもよく言っていましたが、影響を受けやすい方なので、一挙に思い切ったのだと思います。

私の場合は何でもとりあえず、ちょっと考えてから、というところがあるので、その時もその姿勢が出ていて、「そんなんで簡単に変わったらおかしい」という思いでした。でもその本のおかげで、自分を精神的に掘り下げて見ていくということには抵抗がなくなったんです。だから、やはりあの体験は自分にとっては大きくて、あれがなければセラピーはしていなかったと思います。

広美―初めていらっしゃった日に、偏頭痛を扱ったワークをしたんですが、初めての方だと、少しとまどうかな、と思うような所をスムーズに通過して、自分の内面に入って行かれているな、と感じました。それもワークブックの一つの成果なのではないでしょうか。

Oさん―そうですね、自分の鍵をはずすための一つのきっかけになっていましたから。その後、ワークでお世話になって、回を重ねるごとに少しずつだけど変わっていったと思います。

あまり関係がないかもしれませんが、学生時代にダイエットをした時も、蓄積されたものを初めに消化して、それからが早いんです。体重というよりも、体についているお肉を測っていたのですが、始めの三ヶ月間はその数値が全然動かなかったんです。

毎日、死ぬほど運動して、食事制限もしたんですけど、良い結果が全然出なかったんですよ。そろそろ本当にあきらめかけた頃に、急に大きく減り出して、測るごとに体重も減っていく、ということがあったんです。

ですから、セラピーについてもそのようなイメージがあったのかなと思います。急激に大きな変化がやって来るのではなくて、ネガティブ(否定的)にばかり見てしまうところに、実はポジティブ(積極的)に見ていく土台を作るための時間があって、その後で、何かしらの形がポンと出てくる、というイメージしていたようです。

広美―確かにそういう面はありますよね。Oさんは十ヵ月足らずの間に、小人数のグループワークを中心に、個人セッションも含めて毎週のように熱心にワークをされましたから、その蓄積があって、本当に着実な良い成果を出されたのだと思います。

成志―本当に、大きな良い変化を目に見える形で得ることができて良かったですね。

Oさん―私の場合、自分の気持ちとしては狭い範囲でしか変化を求めていませんでした。つき合っていた人との関係をどうにかしたかったので始めた、ということですから。ただ皮肉なことに、その関係はそれ以上は発展せずに、他のところで自分が目ざましく変わっていきました。

初めに得ようとした変化とは違うんですけど、それも変化ですよね。自分としては、今はとても楽ですから、良かった、と思います。

広美―今日あらためてOさんの夢を振り返ってみますと、自己評価の問題、仕事場や親子関係を含めた人間関係のこと、内面のパワーの解放、自分の中に抑圧されてきた要素の統合など、結局はさまざまな角度からトータルに癒しのプロセスが進んできて、最後にいちばんの懸案事項だった部分が解けていったようですね。

私達の体験では、一人の人の中に存在するさまざまな問題の下に隠れている痛みや抑圧の「核」になるところは一つであり、ある問題を解決しようとしてセラピーを進めていくと、たいていはこのように他のことも連動して良い方へ向かいます。

今のOさんは、より魅力的でパワフルな自分を発揮されていると思いますし、その後、良い方にも出会われ、素敵な関係を手に入れて、おつき合いが進行中ですよね。こんな直接的な素敵な展開が待っていたとは! と思うと、本当にうれしいです。

Oさん―振り返ってみると、あれだけ熱心にワークに取り組めたということは、せっぱ詰まったような、やらざるを得なかった衝動があったと思います。

広美―やり時でしたね。

Oさん―ちょうどタイムリーでしたね。どんなに良いものでも、そういう時でないと、なかなか熱心に取り組めない、ということはあるのではないかと思います。ですから、自分がそんな時期に来ていて、なおかつ関心があって、ということならば没頭できるし、良い変化が早く出てくるという気がします。

広美―そうですね。そういう状況で取り組む方は、ワークの進み具合や変化は確かに早いですね。また、人によって幅に違いはあると思いますが、ある程度自分への取組みが深まると、それ以上進めていくのは動機が持ちにくいというポイントもあるようです。

自分の在り方は、深い所での自己防衛のメカニズムとつながっていますから、現実の方で困った問題が出てきたからこそ、現実での困難を避けるための今までの自己防衛の在り方を検討してもよいな、という自己探求の許可が出やすいという傾向はあると思います。しかし、困った時というのは不調和の状態ですから調和をとり直すのは大変でもあります。

また、人生は各人に、一つの在り方に止まることなく、変化を求め続けてくるもののようにも感じられます。ですから、自己成長へと向かうような変化を自分に促し続けるセラピー的な視点を自分の中に作っておくと、よりスムーズに喜びを伴って人生の状況に対応できるのではないかと思います。

私達の立場としましては、セラピーの視点を、より日常的な場所へも広げていきたいと考えています。誰でもこれを知っておくと、かけがえのない自分の人生をより豊かに自分で創っていくための、内面の力を育てることができますから。

そして一人一人が自分を癒しながら、傷や抑圧の中にしまい込まれている本来の自分らしさを体現していこうとするような在り方は、周囲の人々にも同様に、自分を解放し回復していくインスピレーションを与え得る、豊かな生き方でもあるように私には感じられます。

皆さん、本日はどうもありがとうございました。



*以上🄫原田広美『やさしさの夢療法』

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