【初登場】6月、雨の夜に

ゆきんちょ、(Rosaゆき)

 亡き父からぽろっと出てくる言葉は、 「〇〇○、そんなもん、誰も相手せえへん!」 〇〇○に入る言葉はお金、地位、権威、などの力を象徴するもの。 端金持ってても相手されへん、平平では相手にされへん、ひとりでは相手にされへん、女がゆうても相手されへん‥。

父なりに、世の中は甘いもんやない、わたしがぼろぼろにならんように、氣を引き締めて立ち向かえと、伝えたかったのだろうかとも感じたが、酒を飲んでのいつものそれはそれだけでもなさそうに思えた。

また、お金にならないこと、子供を育てる母親としての働き以外のことは、大概 「っ、しょうもない!」 と父は吐き捨てていた。 いらんことするな! ということだろう。

その延長線に自分が歳を重ねる中で、誰に認められるなんて全くわかりもしないけど、なんとかすれすれで舞台に立つことに挑戦したり、家族に迎えるたまたま人間でなかった犬や猫に蕩けるように同化していく自分のありさまは、父の注意喚起に背くようにそのままに時間を燃やしてきたようにも見えた。


 
 しかし、言葉からの影響による呪縛は、「よかったよ」と父以外のひとから軽く言われても、奥底からはよろこべず、いや、まだまだ欠けているとふんわりと甘んじることはできなかった。



 そこは父に背いている行動をしていても、 いや、わたしには安全に生きていく術はないのだよ という慣れ親しんだ内声がしっかり見張っていて、芯の芯の深いところで沼に足を引きずられるようで、泥がへばりついて、一歩足出すもズブズブ沈んでいきそうだった。

わたしは今日、なにを今書いているのか、行方がわからなくなってきた。  

それでも拠り所にしたことがあった。 俗にいう、メメントモリ。 小学校高学年から、共にあった感覚。人間は必ず、いつかは死ぬという事実、これはわたしを救った清らかな感覚だった。

世の中は力で成り立っているのかもしれないが、この際限というものは平等にくるのだという成り立ち。 これはわたしの果てしない滞りにケリをつける武器だった。

どういう手段で生きて行こうが、それに薄々と判断を下すことはできない。 そのメメントモリの先には、yogaがあった。 瞑想で出遇う時間のない、評価のない、善悪のない、優劣のない、それそのものは、やはり體に入っていく過程にあった。

学生期はメメントモリが支え。 體ごとに入って行き、わたしを救ってくれたのは瞑想。(yogaで核となるところ) その永遠にない世界、永遠に全てがある世界に辿り着くことになった。

それから、何かを成し遂げなくてはとか、何かを成し遂げるとかという呪いもなくなった。 あなたのダルマは?と聞かれたら、 ただ、今日一日をごきげんに過ごすことかな。

一日ごきげん?って、一日やることに無理がなく丁寧に、勝手な負荷を掛けずに向かいあうこと。

わんこと行く散歩や遊びも、仕事も、自炊も、庭のことも、掃除も、そしてまだ踊れる機会があるのなら、怖れの対局にいること。

わたしがごきげんであれば、周りもごきげんで、周りもごきげんであればそれはどんどん限りなく拡がっていく。 まずは平穏であること。  


 父。わたしを守ろうとする、または諸々に立ち向かわない自分を肯定化する、あるいは家族を守るため自分の自由意志を諦めたその父の言葉の描く器は、粉々に叩き潰すことができても、その粉々の一粒一粒をまざまざと観てみると、その粒々に否定という、ものすごいエネルギーが満ち溢れていた。

その父がくれた呪縛があったから、何もないところを体験するところまで行けた。

もちろん、父だけではない、わたし自身の弱さや影響を受けたことは書ききれない。

これからもそこが定着していくように瞑想を続けていく。

お父さん、苦しかったんですよね。

ありがとうございます。

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