原田広美
「弱者」としての自分を、自分に内在するトラウマを「夢の生成」と「冒険心」をもって癒そうとするすべての人々に本書を捧げます。
—また、そうした姿勢を最期まで貫こうとした作家・漱石へ。
あるいは「精神(神経衰弱)」および「肉体(胃潰瘍)」と、人生そのものを含めたクリエイションとの狭間で彷徨し、苦悩し続けた作家・漱石とその愛読者に。
以上、(『漱石の〈夢とトラウマ〉~母に愛された家なき子』新曜社/扉の言葉)
はじめに
私は「フロイトが患者の夢を聞くようにして」漱石を読んだ。テクスト論の時代を経たと言えども、やはり作品は、作者の深層を映している。だから私は、作品から漱石の深層を読み解くようにして漱石を読んだ。その理由として、十代の頃に初めに私が漱石に触れて強い感銘を受けた作品は『こころ』であったが、その後、心理療法家としての私が、評論の対象として、初めに関心を寄せた漱石の作品は『夢十夜』であったということもある。漱石の深層心理に触れてみたくなったのだ。
振り返れば、『夢十夜』についてのこのような発想を最初に私に与えたのは、十代の頃に読んだ江藤淳の「『夢十夜』で吐露された漱石の低音部」などという記述であったと思う。
また、私は精神分析医ではないが、心理療法家として、「夢」について関心を寄せてきた。しかし、私は漱石に会っていないので、漱石の深層に近づこうとする過程で、漱石の「成育歴」や「神経衰弱」の経緯について、また心身一如の視点をも取り入れたいがために、漱石の身体症状であった「胃潰瘍」や「痔」の病歴について、そして漱石の「人生」と「創作物」全般について、できるだけ把握したいと考えた。この時点で、私の評論の対象としての関心も、漱石の作品全般へ拡大した。
漱石については、従来から諸先輩方の研究が多くあり、他の作家に比較して、格段に恵まれた資料が整っている。こうした条件の整った漱石についてであればこそ、私の方法が可能であったと思っている。また、漱石や漱石文学についての研究や評論が絶えずにきたのは、漱石を愛読する者が、現代に至るまで絶えることなく存続し、さらにそれを考察することが、明治以降の近代化を経験し、旧来から持続する日本文化との狭間のなかで、「個」を生きなければならなくなった私たちに、広く長く必要であり続けてきたからなのだと思う。
漱石を作品以外から知る上では、本人による日記や書簡や覚書きなどがあるが、親族や周囲の方々が残した記録とともに、特に荒正人による『増補改定/漱石研究年表』には大いに助けられた。この本によって、漱石の「創作」と、身近な出来事および精神・肉体の病歴(不調)との関係を流れを総合的に捉えることができた。
また初めは、江藤の著作によって漱石の青春期の恋愛についての関心を得た私に、大塚楠(くす)緒子(おこ)についての視点を大きく開いてくれたのは、前述の荒の書物とともに、小坂晋の『漱石の愛と文学』であった。
漱石の「創作」に影を落としているのは、当然のことながら漱石という「個」による幼年期からのすべての体験の総和である。そして、そのなかで形成された感情の「抑圧」や「トラウマ」(これらは誰の中にも各々に存在する)が、作品全体についての発想や、登場人物たちの思考・行動パターンを少なからず左右することにもなる。恋愛体験それ自体についても、そのような要因が自(おの)ずから反映されたというのが私の立場だが、大塚楠緒子に象徴される、結ばれることなく、いわば「幻想のマドンナ」と化した恋愛対象との漱石の心象的な体験は、漱石文学を読み解く上で、興味深い軸の一つであることは確かであろう。そして最近の著作で、大塚楠緒子関連の資料を補い、私論への推測をより明確化することができたのは、河内一郎の『漱石のマドンナ』によってであった。
さらに、柄谷行人の「とくに『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』などを読むと、なにか小説の主題が二重に分裂しており、はなはだしいばあいには、それらが別個に無関係に展開されている、といった感を禁じえない。(中略)漱石がいかに技巧的に習熟し練達した書き手であったとしても避けえなかったにちがいない内在的な条件があると考えるべきである」(「意識と自然」より)という指摘は、「漱石が生育歴の中で培ったトラウマによる深層の抑圧と、創作姿勢および創作物との関係」を考察しようとする私の基本的な考え方に、一致すると言えよう。つまり、そこで指摘された「避けえなかったにちがいない内在的な条件」とは、私の方法論では「漱石が生育歴の中で培ったトラウマによる深層の抑圧」ということになる。
また特に、T・S・エリオットが『ハムレット』に書いた「われわれはシェークスピアが、彼の手にあまる問題を扱おうとしたと結論するしかない」からインスパイヤーされた形で、柄谷が「やはり漱石も『彼の手にあまる問題を扱おうとしたと結論する』ことができると私は思う」(「意識と自然」より)と書いたことについては、さらに下記のことと関連して興味深い点であると考えている。
それはダミアン・フラナガンが指摘した、題名そのものを漱石の弟子の小宮豊隆と森田宗平が、ニーチェの『ツァラトゥストラ』(ドイツ語原典)から無造作にとったという『門』の作中で、漱石が用いた『ツァラトゥストラ』の英語版(トマス・コモン訳)に見られる「冒険者(アドヴエンチユアラー)」(ルビ=漱石)という語から、漱石を捉えようとする試みである。私は、本書の原稿をあらかた書き上げてからフラナガンの著作を読んだ。しかし、私も『門』を考察して以降、この「冒険者(アドヴエンチユアラー)」という語が気にかかり、それを手がかりにして、漱石のその後の作品を追ったと言っても過言ではない。
ただし、私が『門』以降で意識した「冒険」の意味は、フラナガンが『日本人が知らない夏目漱石』で指摘した——『ツァラトゥストラ』のなかで、「門」(永劫回帰への門)という語が登場する第三部冒頭の、二段落目に見られるSucher(探究者、捜索者)およびVersucher(試みる者、挑戦する者)もさることながら、ニーチェの次著『善悪の彼岸』冒頭の、Wagnisse(冒険、リスク)の方が、より近いかもしれない。ちなみにニーチェは、advencherに対応するドイツ語であるAbenteuerを用いたわけではなかった。そして、漱石が英語版の『ツァラトゥストラ』(トマス・コンモン訳)は所蔵していたが、『善悪の彼岸』は所蔵していなかったことも付け加えておきたい。
漱石の「創作」に影を落としているのは、当然のことながら漱石という「個」による幼年期からのすべての体験の総和である。そして、そのなかで形成された感情の「抑圧」や「トラウマ」(これらは誰の中にも各々に存在する)が、作品全体についての発想や、登場人物たちの思考・行動パターンを少なからず左右することにもなる。恋愛体験それ自体についても、そのような要因が自ずから反映されたというのが私の立場だが、大塚楠緒子に象徴される、結ばれることなく、いわば「幻想のマドンナ」と化した恋愛対象との漱石の心象的な体験は、漱石文学を読み解く上で、興味深い軸の一つであることは確かであろう。そして最近の著作で、大塚楠緒子関連の資料を補い、私論への推測をより明確化することができたのは、河内一郎の『漱石のマドンナ』によってであった。
いずれにせよ、『門』に現われた「冒険者(アドヴエンチユアラー)」という語が、ニーチェ由来であったことをフラナガンの著作によって気づかされた私だが、ニーチェこそが、『行人』の一郎が言う「死ぬか、気が違うか、宗教に入(い)るか」の間に抵触する領域を模索した人であったと言えるだろう。そして、その三つの選択肢を筆者の私見により以下に置き換えれば、「生の衝動から発する創造性」をいわば「死の方向」へと去勢する類(たぐ)いの虚無的なニヒリスムへの警告と、実際的な精神の病の発症と、もはやキリスト教の教義だけでは「生」の基盤を担い切れなくなった当時の自ら(人々)の苦悩、ということになる。
誰のなかにも数えきれないほどの「トラウマ」による「抑圧」があるというのが私の見地ではあるが、とりわけ精神の病と隣接していたニーチェや、たびたび神経衰弱に悩まされた漱石は、特に重たい「抑圧」を深層に抱えて追い詰められがちであったために、人生の多くの時間を費やしてその深層を模索し、病から逃れるための努力をするべき必然を持った者たちではなかったか。
漱石は、『門』で「冒険者(アドヴエンチユアラー)」という語を用いた。そして、『門』脱稿後の「修善寺の大患(胃潰瘍の悪化による三十分の仮死)」以降、自らの身体状況としての「死」との隣接と、『門』では子供が育たないというストーリー展開になったことに象徴される、クリエイション上の「死の影」からの脱出を試みようとした結果、次の小説『彼岸過迄』以降、作品中に「冒険」の要素をより意識的に取り込むことになったのではないかと思われる。『こころ』では、「冒険」の要素が少ないために、Kと先生の「死」が、子供が授からない「死の影」とともに現れたように思われるが、その作中にあった小さな「冒険」は、主人公が初めて結婚の申し込みを妻になる人の親にしたことではないだろうか。またKが、養家を飛び出して学問に精進したのも「冒険」であっただろう。
それらは、柄谷が指摘した「やはり漱石も『彼の手にあまる問題を扱おうとした』……」という「冒険」である。そして、私たち各々の「個」の生存につきまとう「手にあまる問題」に、大きくとらえれば初期から作品を追うごとに、順を追うようにして、「冒険的」に肉迫して行こうとした漱石の作風、またそうした執筆態度を携えて積み重ねた創作経緯そのものに「類いまれ」な性質を感じることこそが、漱石が読み継がれてきた最大の理由ではないかと思われる。
ともあれ行き詰まった状況から脱出しようとする時に、言い換えれば創造的に自己を乗り越えていかなければならないような時に、「(リスクを取った)冒険」が必要になることがある。ただし、これは「個」の側からの欲求である。そして、これを「個」を取り囲む社会の側からいえば、「冒険」を抑圧しがちな「社会機構」は、あらかじめそのなかの被抑圧者をなお「抑圧」する方向へ作動するし、安全を第一義としながらも、疲弊・硬直して活力を失い、「死の方向」へ傾きがちになるのではないか。
また、行き詰まりを打破しようとして「冒険」を試みた「個」は、その「冒険」をやり遂げて豊かに実を結んだ分だけ「抑圧」を解放し、「トラウマ」を癒すことも期待できるが、逆に、深層の「トラウマ」を癒して「抑圧」を解放することが、「冒険」を支えて成功に導くことにもつながるというように、その両者は密接な関係にあるだろう。
そして心理的な「抑圧」を多く抱えた者たちが、自らの「全体性(「自然」よりも、おそらく未知なる総合的な可能性への夢想を含む)」を回復しようとして、その「抑圧」を解放する過程を経ようとすることは必然であるが、他者に対して懲罰的あるいは反逆的な姿勢に留まるのでは、「抑圧」を生み出した「トラウマ」を癒すことができず、ニーチェの用語で言えば「ルサンチマンを晴らす」状態なのであり、自らの資源を開花させる方向には導かれ得ない。そこでニーチェの用語を用いれば、「超人」的な発想——一瞬一瞬(今、ここで)を懸命に生きることによる生の全(まっと)うへの努力——が必要となる。
とはいえ、人間である以上、すべてが癒され統合された状態——言い換えれば全能の神のような状態あるいは悟りの境地——に導かれることは不可能である。またニーチェの時代には、「精神・肉体・人生」とクリエイションの関係を「考察・調節」する方法は、現代よりもなお未発達であったために、より形而上学的で観念的な「永劫回帰」という発想へ、帰結する必要があったようにも見える。
**(次回の後半に続く)刊行元の新曜社のご協力を得て、掲載しています。
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