田高孝

懐かしい話題へ
ある芸術家への手紙より
お会いした時より、共通の話題として、「月蝕歌劇団の高取英」氏との話がしたかった。
この話は、秘中の秘で、高取氏本人と私の間でしか、分からないのですが、それに関して、○○さんに、ご報告しようと思っています。病気回復の途中で、笑い話にでもなればと思いまして。
何故、○○様に言いたいかと言うと、共通の話題として、しばしば、シーザーさんが出てくるのが、○○さんのいつもの口癖で、なら、高取さんを知らないわけがないので、この書状+写真をお送りします。
まず、事は、1977年に遡(さかのぼ)ります。私が、大学2年を3回目していた時のこと。週刊朝日に嘱託記者でいた田巻さんと言う人が、私に電話をしてきて、「慶応」に、面白いサークルないか?と聞いて来たのです。私は、その前の年に、アメ横の副会長していた親父の頼みで、お節料理を店頭販売した。その時、親父の部下のコック長、塩田さんが、そのバイト帰りに、私とバイトを頼んだ友人の二人を、キャバレーへ連れて行ってくれた。上野の安いピンク・キャバレーです。そして、生まれて初めて、キャバレーを知った。
これを、思い出して、「慶応に、キャバレー研究しているグループがありますよ」と、電話をかけてきた田宮氏に言った。そうすると、田宮氏は、「それ、面白いね」と言って来た。「是非、紹介して」と。
斯くして、慶応に、ありもしないグループ「キャバクラ研究会」が、生じた。
時に、1977年2月の最終号、週刊朝日に載った。
以後、マスコミ界で、いわゆる業界で、爆発が起こった。
人気者、変わり種スター、大学珍グループで、もてはやされた。
テレビに、6回出た。最初は、12チャン、それから、10チャン2回、あと4チャン、そして、12チャンで終わった。(もう一回は、わすれた)
週刊誌の特集も続いた。平凡パンチの6ページ特集、巻頭だった。
東京スポーツ一面、夕刊フジなど。
マスコミの王様待遇を受けた。
そして、高取氏にあった。
それは、荒野の決闘だった。ディレクターが、いつの間にか、計画した。10チャンネルの夜の番組だった。高取氏は、顔にブルマーを付けて、美人ばかりの団体、ブルマーと名乗る団体でやってきた。
収録中から、ヒートアップした。10名ほどの美人軍団を引き連れ、ブルマーを顔につけた高取氏が、「ブルマ~」と大声で叫びながら、その前を、美人軍団が、ファッション・ショーをした。こちらは、写真(12枚の写真を送っている)にある通り、大きな張りぼてのちんちんを掲げて、フラフープに紙を張って、「ヨーニ(インド語で、女性器の事)」に、見立てて、それを、ペニスが破るというイベントをした。

かくして、テレビは、対決になった。どちらのイベントが、好いか? の私は、自分の企画したイベントが、不十分と思った。
そんなことで、高取氏を知った。まあ、顔は見せなかったが。
さて、ここで、プレミア。
実は、この日のディレクターは、もう一つ、仕掛けて来ていたのだ。それは、私の彼女とそっくりの女優さんを、作って来ていたこと。
ディレクターの作ってきた彼女は、テレビのイベント、札を持って、クイズに答えているシーンの写真3枚にある。
よく、写真を見てください。
稲川淳二と一緒に並んでいる写真。クイズの札を持って、男女が、5人並んでいるもの。
その右端の女の人、ブルーのワンピースを着ている人。
おっとりとした表情で、口を半開きにした女性。
私の彼女に、瓜二つに、作って来た。のです。

これらが、ディレクターの陰謀と知るのは、随分、後だった。
以上が、お伝えしたかったドラマです。
高取氏を用意し、彼女を用意したディレクターの陰謀。
驚いたねえ~。
これが、業界とは?
私の彼女の癖、表情、服の好み、しぐさ。皆、真似てきた。
これが、テレビの魔物さかげん??(彼女の写真はあるが、ここでは割愛させていただく。プライバシー尊重の立場から。)
いい勉強になった。
以上です。ご清聴ありがとうございます。こののちの高取氏との出会いは、今日は、省略します。
もしご興味があれば、追伸しますが。
2021年10月21日 田高 孝
故高取瑛氏の追悼にふさわしくない話題になり、もう仕訳けない。
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