原田広美
(序)明治四十一年、漱石は高浜虚子宛の手紙に「小生『夢十夜』と題して夢をいくつもかいて見ようと存候」と書いた。英国留学から帰国し、『吾輩は猫である』『草枕』が話題となり、明治四十年には「朝日新聞社」社員として作家となり、『虞美人草』『坑夫』を発表した後のことである。
『坑夫』は、炭坑という地下世界を舞台に、坑夫の「意識の流れ」を描いたもので、当時としては画期的な作品だった。このすぐ後に発表されたのが『夢十夜』であり、これを挟んで後は、『三四郎』『それから』『門』という、近代人の自我をテーマにした漱石の前期三部作へと突入する。それらは『虞美人草』以前の戯作的雰囲気の漂うものとは一線を画すると言われる。『坑夫』と共に、その作風のターニング・ポイントに位置したのが『夢十夜』であった。
「夢をいくつもかいて見よう」とは言うものの、実際には、脚色をし、「夢」の断片から物語を紡ぎ出したには違いない。ただし、夢は日常意識の地下とも言える無意識的世界の産物であるから、そこから紡ぎ出された物語も、やはり漱石の無意識世界を反映したものであるだろう。あるいは漱石の水彩画が自由画であったように、『夢十夜』も自由創作が基本で、やはり無意識の反映を読み取ることが可能であろう。
こうした作品と作者の無意識世界とのつながりを言い出すと、結局はきりがなくなり、フロイトが芸術論として書いた「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の思い出」の中の、『聖母子と聖アンナ』についての考察にまで遡ることになる。
そこで語られたのは、ダ・ヴィンチの無意識下にあったであろう「幼年期における生母と養母についてのイメージ」が、「聖アンナとマリア」に描き分けられながらも、「母としての一体感を伴うイメージ」として描き出された、というものである。
そして、それは究極的に、作者の「深層心理」が「作品」に、どのように投影されたか、についての論である。だが、そのような観点が、どの作家のどの作品についても興味深く成立する、というものでもない。
ここで漱石の『夢十夜』に戻るのだが、この作品は、脚色やフィクション的展開を含むことは予想がつきながらも、ある程度、漱石の無意識世界(深層心理)を意識しながら、「夢」を解くように読み解くことが、成立するものと考えた。また、そのようにして読み解くうちに、かえってその内面的なリアリズムに圧倒された、ということもある。
生真面目な漱石は、自分の「夢」から発展させたこの作品を書きながら、近代自我へのトンネルを突き進んだのではないだろうか。
*第一夜
「こんな夢を見た。/腕組みをして枕元(まくらもと)に坐(すわ)っていると、仰向(あふむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますという。…」
分かり合うことの極限の愛。しかし第一夜で描かれたのは、生きてはいかれない愛の形だ。孤独な者同志が互いに、自らの存在価値を確認し合うような愛。それらは通常、あくまでも美しく描かれるはずのものである。
臨終の場に及んでも、女の真っ白な頬には血の色が程よく差している。赤い唇、うるおいのある真っ黒な瞳。そして「死んだら……大きな真珠(しんじゅ)貝(がひ)で穴を掘って」(私を)埋め、「天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標(はかじるし)に置いて」「百年、私(わたし)の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」と言った。
夢の中の自分は、女の思い切った「謎かけ」に自然と応じてしまう。こんな夢を見ること自体、そんな「謎かけ」を待望する気持ちが、漱石の深層にはあったのだ。また「謎かけ」には、応じるか応じないかしかないものだが、応じる場合には一種の陶酔が伴うものだ。
それは女の側にとっても当然、陶酔できるうれしい出来事である。自分の美しさと「謎かけ」の正当性を分かってもらえた、いう体験である。「百年待っていてほしい」という、甘く悲しいわがままに付き合ってくれる人を得たのだ。根源的な所を受容されずに育った者は、その喪失感を埋めようと、甘く悲しいわがままを言い出すものだ。要するに、この女の美しい容姿は、そのわがままを含めた人間存在の美しさを証明したいがための、漱石の無意識の演出なのだろう。
しかし一見、女の美しさゆえに「謎かけ」に応じたようでありながら、漱石の深層には、この「謎かけ」を断れないだけの、のっぴきならない理由があった。つまり自分の側も深層に、女と同質の「トラウマ」があり、潜在的にやはり自らを美しく絶対化し、どこまでもやさしく受容されたいのだろう。普段は知らずにいても、人のこころの深層の「トラウマ」の形のパズルが合えば、共感の陶酔が訪れる。
女の「謎かけ」の深層にあるものに触れ、それに応じることで同じ痛みを共に確認し、癒そうとする試み。漱石の無意識はこの夢を見る(書く)ことで、そのような機会を自分に与えようとしたのである。そのような意味において、この女は、漱石のこころの一部から生まれた女であった。また、漱石自身でもあった。そしておそらく漱石も、この夢の女と同様な「謎かけ」を無意識のうちに、周囲の異性や読者に対し、していたのではないか。そうして、とうとう漱石没後百年が過ぎた。
さて、夢の中の自分は女の墓標に置いた星の破片を「長い間大空を落ちている間(ま)に、角(かど)が取れて滑らかになったんだろう」と思い、それを「抱き上げて土の上に置くうちに、自分の胸と手が少し暖く」なる。女が「百年待ってほしい」と言ったように、星の破片も「長い年月をかけて」透明な空間を落ち続けるうち、滑らかな存在へと癒されたのだろう。男は、その星の破片に触れ、暖かみを少し取り戻すことができたのだった。ところで、この「癒された星の破片」というモチーフは、この夢の方向性を示しているようだ。
だいたいにおいて、孤独な性質を持ち合わせた人間は、上とのつながりを持ちたくなるものだ。周囲との、横のつながりで幸福な関係を築きそこなえば、残るのは縦方向の関係だけになるからである。天、神、絶対的な価値観など、人間を超えたものへの憧れ。それらは周囲からの自分に対する評価の善し悪しにかかわらず、自分に価値を与え、価値を感じさせてくれるものである。
そんな内面の孤独を補いたいがための聖なるイメージが、この夢には満ち満ちている。まず夢の中の孤独な女は、誰かに愛されることで自分の存在価値を得ようとした。女の死の直前の「謎かけ」は、それを達成するための最後の聖なる行為であり、それに応じた男(夢の中の自分)にとっても、同じ意味を持っていた。そして二人は横の関係が苦手であったため、星や死や百年という聖なるイメージで、その愛を補わざるを得なかった。また男には、「こんな謎かけに応じられるのは自分だけだ」という自負もあったに違いない。
だからこそ、「女に騙され」るわけにはいかない。ちょうど男が、「騙され」たのではないかと不安を覚えた時、女は男の気持ちに答えて来た。香り高い、真白な「百合の花」の姿で、男の元に逢いに来た。男の胸の所で咲いたのは、胸が愛情の座だからだろう。こうして、女の「謎かけ」に答えた男の試みは、成就する。そして男が白い花びらに接吻し、女の願いも成就した。つまりそれによって、女は星になれたのだ。
夢の雰囲気は、あくまで甘美な陶酔に包まれている。もともと甘美な「謎かけ」に応じる陶酔で始まった夢である。だが陶酔とは、結局は「トラウマ」に溺れたままになることでもあるだろう。よく考えれば、女は「謎かけ」と引き替えに命を失い、男も百年を無為に過ごす。結局は諦めと絶望に裏打ちされた、生きてはいかれない愛の形だ。もし生きていこうとするのなら、まず二人は「お互い」という、苦手な横のつながりの中で学ぶことが必要になるだろう。
夢の女は、男を使って自らを癒そうとした。それに男は応じたかった。しかし他者によって自分を癒そうとする試みも、それに応じようとする行為も、実際にはなかなかに現実的ではないのである。一方通行の癒しの愛は、どちらかが、もしくは両方が、必ずそのうち生気を失わざるを得ない。人は自分で自分を癒そうとする姿勢を持たない限り、「自分も相手をも癒される関係」を生きることは難しい。
ここに漱石の問題が見られるが、このテーマは「十夜の夢」を通し、次第に噛み砕かれていく。漱石が恋慕した女性には、兄嫁や、青春期の失恋の相手でもあるらしい大塚楠緒子を始めとして早世した者が多いが、この第一夜の女も命を落とした。また、少年時の母の死や、長兄・次兄の早世、親友だった正岡子規の若き死もある。そのようなことを照らし合わせるにも、『夢十夜』は漱石が最も気にかけていた、「死者」との共感から始まったということになる。
第一夜は漱石の、たとえばこの二年後に早世する大塚楠緒子への無意識の賛歌であった、とも考えられる。そして、それは漱石の無意識化に巣くう「幻想のマドンナ」への憧れに対する一つの警告でもあった。前年に漱石が『虞美人草』を執筆し始めたのを知るや、楠緒子も「心の華」に同名の小説を発表している。自分の文学が、百年後の評価にも耐え得るものでありたいと願った漱石は、どうやら百年にもわたり、自分を虜にし続けてくれる幻の女性像を求める人でもあった。
しかし漱石が、この夢の女性のように、その死後も、なお自分を魅惑し続けてくれるようなタイプの女性を理想とし、自分も同様に死後も愛され続けているのは、おそらく自分を愛してくれたはずの母をその死後も、自分が思慕し続けたからなのであった。(続く)
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本稿は、2003年に「文の京文芸賞」を受賞後、2018年に拙著『漱石の〈夢とトラウマ〉』新曜社の第4章に組み込まれた原稿です。今回、新曜社様のご協力を得て掲載しています。(漱石による『夢十夜』の本文は、岩波書店「漱石全集」より)
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