*『夢十夜』で漱石を癒す(第五夜~第十夜)

原田広美

 

 夢の中の自分は、運悪く敵の捕虜になり、殺される。だが、捕虜になった後に「殺される」のは、自分自身の選択によるものだった。なぜならこの夢の状況下では、「生きる」のは「降参」する意味で、もし「死」を選べば「屈服しない」意味になる。そして夢の中の自分は、「屈服しないで死ぬ」ことを選択した。
 結局、この夢もまた「死ぬか生きるか」の緊張感を伴っている。そしてこの夢は、漱石の精神構造の「死ぬか生きるか」の問いについて、実に暗示的だ。というのは、夢の中の「よほど古い事」とは幼年期のことで、当時の漱石は子供で、体が小さかったために、夢の中では必然「その頃(ころ)の人はみんな脊(せ)が高かった」のではないか、という可能性があるからだ。そうだとすれば、漱石の「死ぬか生きるか」の緊張感は、やはり成育歴の中での、周囲の大人達との対立に端を発している。第二夜の和尚にも、父親の影が重なっていた。
 夢の中の「自分から戦いを挑んだ」という設定には、何か必然性があったはずで、「運悪く負けて捕えられた」のも、そのまま夢の語り手である漱石の精神的な原風景であろう。人が自分から戦いを挑む必然性といえば、周囲からの無理解や不当な扱いに対しての、我慢のならない「怒り」の自己表現などが考えられる。この夢の「敵の大将」にも、漱石の実父(権力者)のイメージが重なると言えるだろう。
 ここでもう一度、「生きると降参で、死ねば屈服しない」意味だという、夢の中のルールを考察したい。そもそも、周囲から正当に扱われず、「抑圧」や侮蔑を受ける環境で育てば、「生きることは降参」を受け入れたも同然である。さらに、自分が子供という無力な立場であれば、「死ぬより他に、不当な扱いに屈服しない方法はない」、と思い詰めてしまう可能性もあるだろう。
 成育歴の中で形成された深層の原風景は、放っておけば、大人になってもそのまま持ち越されるものだ。だから夢は、それを大前提に進んで行く。しかし、夢の中の自分は「死んで屈服しない」方を選択したとはいえ、いざ命を取られる段になると立ち往生する。これは、第二夜の「和尚に対峙する侍」の夢で、主人公の死が描かれなかったことにも類似する。また実際の漱石も、「そんなことは死ぬほど嫌だ」という言い方はよくしても、本当に死を選ぼうとしたことは生涯なかった。
 今回の夢では、「死んで屈服しない」方を選んだ所で、「恋」が登場した。夢の語り手は死ぬ前に、「思う女」に一目逢いたいと言う。成育歴の中で、親子関係で愛情に飢えを感じた者は、往々にして、異性からの愛情に大きな期待を抱く。それは、どこかに魂の安らぐ場を求めたいという、人間の本能だろう。また『夢十夜』の「第一夜」が、女性との交渉のテーマで始まった理由も、そこに繋がるのではないか。
 夢の後半は、「思う女」が馬に乗って逢いに来るのを待つストーリーである。女が、夜明けの鶏が鳴くまでに間に合えば、逢えることになっている。その女は、「鞍(くら)も鐙(あぶみ)もない裸(はだか)馬(うま)」に乗って髪をなびかせ、長く白い足で馬の腹を蹴り、一目散に男の元に駆けつける。そのイメージは、純真無垢な上にエロティックな魅力も感じさせて美しい。
 女は間に合いそうだった。だが、天探女(あまのじやく)が折悪しく「鶏(とり)の鳴く真似(まね)」をしたため、間に合わなかったことになり、女は馬と共に岩の下の深い淵に落ち、逝ってしまう。それゆえ夢の最後は、「この蹄(ひづめ)の痕(あと)の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵(かたき)である」という、夢の中の自分の恨みの述懐で終わっている。
 この夢では第一夜同様、生きて果たされない純愛が描かれている。儚(はかな)いがゆえに、人を酔わせる甘い調べだ。女は男の期待に一図に応えようとして命を落とし、男は天探女を恨むという形で、女への愛情を吐露する。しかし、そのため夢の焦点がそちらへ移ってしまい、自分自身が「死ぬのかどうか」が、再び曖昧になった。その上、自分の語り手の敵対心の対象も、「敵の大将」から「天探女」に移り、こちらも曖昧になってしまった。
 このあたりのすり替わりが、気にかかる夢である。結局「死ぬ」ことまでもがすり替わり、自分ではなく「女」が命を落とす。つまり夢の語り手である漱石は、自分の深層に横たわる「生きるか死ぬか」の深い淵に、自分の代わりに「思う女」を落してしまった。川に身を投げたオフェーリアに魅かれ、「思う女」であったかと思われる楠緒子も早逝するなど、愛する女には死んでその愛を永遠にしてもらいたいという、そのような無意識的で倒錯的な願望を持つ漱石であった、と言えなくもない。
 一方、女にとっては、「男のために死ぬ」ことも本望だったかもしれないが、もともと死を覚悟していたわけではなかった。また夢の中の自分にとっては、そもそも成育歴の中で形成された深層の深い淵を埋めたいがための「思う女」であったのに、その女を「運悪く」「淵に落とし」て、失ってしまった。結局、「自分が軍(いくさ)をして運悪く敗北(まけ)た」運の悪さが、女の側に移行している。
 また漱石の妻の鏡子も、新婚二年目の夏に熊本で入水未遂事件を起こした。それは幸い未遂ですんだが、その時に一度、漱石のこころの「淵」に落ちそうになった、ということになる。また鏡子は、その後そこから立ち直るにあたり、「夫のこころの淵をいっさい相手にしない」という自己防衛策を身に付け、より「勝ち気」な妻になった可能性も考えられる。
 要するに深層に巣くう「淵」は、根本的には自分で埋めておかない限り、男女関係においてもこのように、時によっては相手方に支障を来(きた)すものなのだ。
 ところで夢の中で、自分の側から敵に「軍(いくさ)」をしかけたのは、自らに巣くう「トラウマ」を埋めようとする努力の第一歩であったと思われる。だから、何らかの形で勝たなければ意味がない。
 夢の中の自分は、「生きて降参」することを拒否し、代わりに「死んで屈服しない」方を選び、「負けまい」とした。しかし、それでは結局「死んでしまう」わけで、納得のいく「勝ち」にはなり得ない。夢の語り手である漱石は、実はそれに気がついている。だからこそ、自分は死なないのではないか。第二夜の侍が死ななかったのも、同じ理由になのだろう。  
 「死ねない」のは意気地なしだからではなく、「生きて」自分の深層の「淵」を埋めなければならないという、今生の使命に気づいているからだ。

 

 鎌倉時代の彫刻師である運慶が、夢の語り手の時代である明治にまで生きている理由、それがテーマの夢である。運慶が、大木から仁王を掘り出すのを見て、夢の中の自分も家に帰り、さっそく薪から仁王を掘り出そうと試みる。しかし明治の木(薪)には、仁王は埋まっていない。この夢は、一見、明治に対する絶望がテーマのようでいて、実は漱石が自らの仕事の方向性を見出す夢である。
 夢の中で、自分が運慶を見ているが、見られている側の運慶も、実は夢の語り手である漱石の深層に潜む分身的な存在であろう。つまり漱石も、今や運慶のような仕事ぶりを発揮する時期に差しかかっているのだ。ただしこの運慶のイメージは、まだ漱石の中で、はっきりとした自己イメージとしては自覚されてはいなかった。だから「自分が運慶になった夢」ではなく、「自分が運慶を見ている」夢なのではないか。
 そして、そのように距離があるゆえに、運慶と夢の中の自分の間に入り、運慶の仕事ぶりを解説する若い男が必要だったのだろう。夢の中の自分は、若い男の言葉通りに合点する。運慶の行動と若い男の言により、これまで自分の中で漠然としていたものが、一つ一つ具体的に意識化される。それが、この夢の方向性である。
 さて、その運慶の仕事ぶりは、どういうものであったか。若い男は、運慶が見物人には目もくれず、「天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみ」と言いながら、仁王を掘り進めるのを「天晴れ(あつぱれ)」と称した。なるほど運慶は、見物人の評判には無頓着に、ただ集中している。そして、ノミと槌の使い方にも特徴があった。いかにも無遠慮に、少しも疑念を挟んでいないかのような、刀の入れ方をする。若い男によれば、仁王の眉や鼻は、ノミで作るのではなく、それらが「(木に)埋(う)まっているのを……掘り出すまで」なので、「決して間違うはずはない」と言う。
 これは運慶の彫刻の仕事のことのようでいて、実は「創造(創作)」全般について、あるいは「創造的な生き方」にも通じるイメージなのではないか。つまり小手先で作るのではなく、埋まっている「大きな自分」を掘り出す、という生き(創り)方である。もし誰もが、「埋まっている自分」を大木から掘り出すことができたなら、それは各々に見事であるのではないか。問題は、埋まっている自分を上手に掘り出せるかどうかだ。 
 運慶は、大きな赤松を相手に、「仁王と我あるのみ」の意気込みで、埋まっている仁王に集中して掘り進む。「内側」に集中するから、見物人の評判には無頓着でいられる。ここまで分かった夢の中の自分は、急に仁王が彫りたくなり、家に帰って試みる。ただし、家にあった木は大木ではなく、「先達(せんだつ)ての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪(まき)にするつもりで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃(てごろ)な奴(やつ)」ばかりだった。
 それを片っぱしから彫ったが、仁王を隠しているものはなく、一見「明治の木には、到底仁王は埋まっていない」と悟るしかなかったようにも受け取れる。だがその後で、「それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解(わか)った」として、この夢は終わる。
 ここで注目したいのは、「明治には運慶はもういない」のではなく、「こういう時代だからこそ運慶が今日まで生きているのだ」という、夢の中の自分の解釈の仕方だ。この解釈の仕方は、実に前向きである。
 夢の中でする「解釈」には、普段の自分とは無関係に、夢の中で勝手に考えたり思ったりしたものが含まれる。それらは、無意識的に自分が感じている直感的な「解釈」でもあるだろう。つまり夢の語り手である漱石は、深層で「明治にも運慶は必要だ」という直感を得た。だから、この夢を総合的に解釈すれば、漱石自身が明治の運慶となり、大木から仁王を彫り出す気運が見て取れる。
 しかし、家にあるのは薪ばかりで、大木がなく、まだ仁王を掘り出せてはいない。「埋まっているものに集中して彫る」という、彫り方は分かっていても、運慶が彫っていた大きな赤松と比べ、いかにも見劣りのする薪ばかりで、それが明治の木ということになっている。これは、どういう意味なのか。
 夢の中で、薪は「先達ての暴風で倒れた樫」を挽いたもの、とされている。これは要するに、「明治維新という暴風で倒された伝統的な日本文化」という大木を割った薪、というほどの意味ではないか。漱石は、明治になって職業や生き方の細分化が進んだことを嘆いた一人だが、「木を割った薪」というイメージは、そこに重なるだろう。
 おそらく夢の中の自分が「薪」に掘ろうとした仁王は、英語で身を立てようとした教師生活や、文名が上がる前に試みた英文学論などのことではないか。考えれば少年時の漱石は、漢文や落語が好きで、英語は嫌いだった。しかし「明治という時代を生きるために」、英語を選択した。このように「近代化という暴風」によって、あらかじめの志向をねじ曲げた職業選択こそが、この夢を見る(書く)以前に漱石が捉われていた、「明治の生き方」という「薪」の概念であろう。
 一たび英文学を学んだ蓄積は、確実に文学者・漱石を大きくしたが、ここに来て、また近代という概念にとどまらず、大らかに赤松から自分を掘り出すような姿勢が大切である、と夢は言うのだ。
 こんな夢を見た漱石は、すぐに『三四郎』を書き始め、やがてその後は『それから』『門』を書き、それらは後に「前期三部作」と呼ばれた。さらに、後に後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こころ』と続いた作品群の執筆を通し、大きな赤松に、丸ごと自分を掘り出していくかのように、壮大な「自我と男女関係の問題」に取り組むことになった。

 

「第六夜」からの続きで、明治という時代を意識した夢である。そして、再び「死ぬか生きるか」がテーマになった。西洋に向かっているように見えて、「何時(いつ)陸(おか)へ上がれる事か/何処(どこ)へ行くのだか知れない」船。夢の中の自分はつまらなくなり、とうとう「死のう」と海に飛び込む。しかし「何処へ行くんだか判(わか)らない船でも、やっぱり乗っている方(はう)がよかった」と「無限の後悔」をする。初めて夢の語り手である漱石が、「死にたくない」と悟った夢である。
 夢の語り手である漱石は、これまで夢の中の自分の正義を通すために、「死ぬ」という選択肢を常に用意していた。この夢でも基本的な部分は変わらないが、「第二夜」や「第五夜」とは違い、「死にたくない」方へと意識が変化した。つまり深層に潜んでいた「死にたくない」気持ちが、ついに意識化されたのだろう。
 夢の中の自分は、「やっぱり(船に)乗っている方がよかったと始めて悟りながら/その悟りを(もはや)利用する事ができずに……黒い波の方へ静かに落ちて行」く。だから一見、遂に自分は海に落ちてしまうが、おそらく現実に対する夢の効果は逆で、夢の中で「命を投げ出すことへの無限の後悔と恐怖」に感じ入った結果、死への関心は薄らいだのではないか。ようやく夢の語り手である漱石の意識は、以前の「死んでやる」から「死にたくない」に到達し、「生きる」方向へと向かい始めた。この変化の下支えになったのが、「第六夜」の「運慶の夢」から得た「生き方」のイメージであろう。 
 ところで、夢の中の「死ぬか生きるか」の問いは、どこへ向かうとも分からない船という、当時の近代化した日本の状況そのものに対するものである。これは西洋事情に触れた最先端のインテリでありながら、無意識的には西洋を必ずしも一概に見習うべきものとはとらえていなかった漱石の、日本の近代化に対する不安であろう。 
 夢の中で、「更紗(さらさ)のような洋服」の、おそらく東洋人の女が泣いているのを見て、夢の中の自分は「悲しいのは自分ばかりではない」と思い、西洋人からは話しかけられても、逆に無頓着にされても気持ちは晴れない。この夢は、漱石の内面の「死ぬか生きるか」がテーマではあるが、直接的な対象者に対する葛藤ではなく、いわば両洋の狭間で悩まざるをえない、「死にたいほどの厭世感」だ。
 結局「厭世感」の下には「トラウマ」があり、「厭世感」から「神経衰弱」へと深化したのだと思われる。このような「トラウマ」にまつわる痛みは、思春期では、家族や周囲の者に対し、反発の形で表現されることも少なくないが、青年期以降、自立を迫られる時期になると、それが漠然とした「厭世感」に変容することがある。それは自らの痛みの責任を周囲に求めて反発しても、もはや自分の身が世間に対して立たない限り、どうにもならない所に追い込まれるからだ。
 洋行中に発病した「神経衰弱」の根底にも、基本的にはまず「東か西か」のジレンマがあったはずだ。英国留学はしたものの、実は「英文学」に失望しており、子規の病状の悪化もあり、身の立ち所を探しあぐねる不安の中で、自信を喪失した上に、英国人に対する体格や容姿、経済力や文化ギャップなどにより、持前の「コンプレックス(劣等感)」を刺激され、漱石のこころの荒廃は進んだのであろう。
 しかし、この夢で「生きたい」方向に意識が向いた漱石は、それを乗り越えるための力の回復を感じつつあったのではないだろうか。

 

 

 「第九夜」は、父の不在を案じた母は、夜な夜な神社で「御百度」を踏み、父の帰りを待っていたが、「とくの昔に父は、浪士のために殺されていた」、「こんな悲(かなし)い話を、夢の中で母から聞(きい)た」という、入れ子になった夢である。この夢で注意しておくべきは、夢に登場する父母は、漱石の養父母であろう、と言うことだ。漱石が、この夢の中の子供と同じく三歳の時には、養父母を実父母だと思っていた。
 この夢は、実は大変に恐ろしい。ざっと読み流すには、美しく悲しい陶酔に誘われる魅力に包まれる。だが夢の構造としての話は別で、漱石の深層に沈殿していた巧妙なわなが、顔を出しているかのようだ。
 「第六夜」から「第八夜」まで、「明治に生きる」というテーマで夢が展開したのに対し、この夢では一転し、古い時代に戻った。また養母が語る子供の年も、三歳だ。夢十夜の前半で、成育歴の中で培われた原風景を眺めることに一段落し、自己実現の方向へと向かっていた夢の流れが、突然に引き戻される。もともと入子式になった設定からも、この夢の心象風景の深さは伺われるが、夢の配列を考えれば、「いざ自己実現するにあたって、まだこれが奥の方で邪魔をしていた」という、無意識の最底辺に巣喰っていた「トラウマ」が、浮上したのではないか。
 夢の冒頭に「焼け出された裸(はだか)馬(うま)」が暴れ廻り、「足軽(あしがる)供(ども)が犇(ひしめ)きながら追掛(おっか)けているような心持がする。それでいて家のうちは森(しん)として静か」という描写がある。裸馬は、「第五夜」で「思う女」が駆けつけて来た時の乗物で、野生的な恋愛衝動のイメージもある。
 これは、おそらく養父の浮気をめぐる養母との葛藤の心象風景であろう。つまり養父が作った女のせいで、養父母間に争いがあるのに、家の中では二人とも「知らぬふう」を装う。裸馬が焼け出されたのは、養母の焼きもちのためで、要するに焼け出されて暴れ廻る養父と、それを足軽のように追いかける養母の側の「(無)意識」についての夢のようだ。
 この夢には全体に、エロティシズムを感じさせる雰囲気がある。養母が願かに通う八幡宮の額の八の字は、鳩が二羽向かいあった様な書体である。そして八幡宮には、性交や男根的なイメージを伴う、射抜いた的(まと)や太刀(たち)が納められている。
 一方、養父は「月の出ていない夜中……床(とこ)の上で草鞋(わらじ)を穿(は)いて黒い頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、勝手口から」隠れるように、出て行く。これに対し養母は、養父の外出を知りながらも、声をかけずに見送っていたようだ。 
 夢の中の養母には、倒錯がある。何も分からないはずの三つの子供に、養父の行き先を毎日聞く。そして、ようやく子供が「あっち」と答えるようになると、今度は「何日(いつ)御帰(おかえ)り」と聞き、やはり「あっち」と答えると、養母は笑う。そして「今に御帰り」と、何遍も繰返し教える。しかし子供は「今に」、だけしか覚えない。結局、養父は帰って来なかったことを考えると、「御帰り」という言葉を覚えられなかった子供の方が、無意識的に正確な状況判断をしていたことになる。
 養母は願かけに行く時、鮫(さめ)鞘(ざや)の短刀を帯の間に差していく。まずは護身用なのかもしれないが、「願かけが叶わなければ死ぬ」、あるいは相手を「あやめる」という、強迫(脅迫)的な緊張をも感じさせる。短刀といえば、「第二夜の夢の語り手(侍)」も持っていた。漱石の「死ぬか生きるか」のテーマに付随する短刀は、この養母譲りのものであった可能性もあるだろう。血のつながりはないものの、幼年期を一人っ子として育った漱石にとって、養母との密接な母子関係からの影響は、少なくはなかったはずだ。
 このような家族にまつわる凶器(≒狂気/強迫的な緊張)は、どこの家族にも、多かれ少なかれ見られるものだろう。ただ見えやすいものよりも、隠し持たれていたものの方が、より深刻な影響を子供にもたらすことがある。なぜなら隠されていた場合、子供は何がどう自分に影響したのかを自覚しにくいからである。
 この養母は、自分と夫との現実を見つめる力を持ち合わせていない。夫は「色恋沙汰」で出向いたきりなのに、「侍としての任務ゆえの不在」であると、強迫的に思い込もうとする。おそらく養母にとって、夫との現実を直視することは、内在する「死ぬか生きるか」という「トラウマ」の痛みに直接に触れてしまうほどの、大問題であったのだろうと推測される。
 このような養母に育てられた子供の深層には、知らぬ間に わな がかかる。子供は時に、養母が思い込んだ歪んだ現実認識を無防備に、鵜呑(うの)みにせざるを得なかったためである。特に養母との関係において、漱石は一人っ子であった。三つの子供にとって、親の存在は大きいものだ。たとえ養母の方は自分の嘘(うそ)に多少の自覚があったとしても、子供の方は「現実そのもの」を理解することができない。
 また夢では、養母は「夫に帰って来てほしいという願掛け」の御百度を踏む間、子供を拝殿の欄干に細帯で括(くくり)りつけた。細帯の丈のゆるす限りは、子供は這い回れたし、ひいひい泣けば養母はあやしにも来た。だがその場合、養母は御百度を踏み直す。つまり子供は泣いたとて、結局は養母の行為を根本的に変える力を持ちあわせていない。つまり、この細帯での拘束は、あたかも養母から子供にかけられた「現実誤認の わな」という、この夢全体のテーマを象徴するかのようでもある。
 養母は無意識的には、「焼け出された裸馬(夫)」を追いかける、という攻防を繰り返す。しかし子供の前では、美しく悲しい、けなげで一図な母が、演じられる。夫の不在も手伝い、笑いながら倒錯したやり取りを仕掛ける養母には、いわゆる母性としての存在感よりも、子供を恋人がわりにする「妖女的な存在感」さえ感じ取れるほどだ。このような倒錯的な環境の中で、現実を把握できぬまま、養母の妖女性に魅かれ、その分、深層を病まざるを得なくなった可能性もある。
 漱石は、二歳から八歳までを養父母と過ごした。養母は焼きもち焼きだったというから、「焼け出された馬」というのも腑に落ちる。また、夢で「浪士のために殺された」と語られた父は、別の女性(日根野かつ)との関係が発展し、養母と離縁して再婚した。実際に、養父母間に決定的な亀裂が生じたのは漱石が七歳の頃だが、この夢は三歳の心象風景として描かれている。夢によれば、その頃から、父の不在はあったのかもしれない。
 一般に、人格形成には七歳くらいまでの体験が大きく影響し、男児にとって母との関係性は、おおむね後の女性関係の土台になるとも言う。この「第九夜」の養母を介すると、「第一夜」の女も違ったものに見えてくる。自分の命を落とし、男の自由を拘束してまでも、「百年の恋」に男を誘いたい女である。それでいて、やけに美しい印象を醸し出すのだから、相当の妖女である。そして男の無意識には、それをあらかじめ「そのまま分かってあげたい」、という わな も仕組まれていた。

 

 『夢十夜』の最後は、三人称で語られる庄太郎という男が、妖艶な女に「死ぬか生きるか」の憂き目に合わされ、死んでゆく夢だ。ここまで来ると、夢の語り手である漱石の深層に巣喰っていた女は、とうとう表向きにも自己責任をとり、馬脚を現したように見える。庄太郎の命は助からないが、夢の終わりで健さんが、庄太郎の「パナマ帽」を受け継ぎたいと言う。この「パナマ帽」は、女との交渉を仲介する道具であろう。漱石は『夢十夜』を終わるにあたり、ようやく「現実の女と共に生きる」イメージを獲得しようと格闘するかのようだ。
 この夢も「第九夜」同様、夢の中に別の語り手がいるという、入子式である。夢の中で話をするのは健さんで、話の主人公は庄太郎だ。実は「第八夜」でも、庄太郎は「パナマ帽」をかぶって登場した。女連れで往来を歩いている姿が、チラッと「床屋」の「鏡」に映っていた。そういうわけで、夢の時間は、「第九夜」の夢の語り手である漱石の幼年期から、「今」の時代に戻っている。要するに、漱石の『夢十夜』執筆当時の、「今」についての夢であろう。
 さて夢の中で、庄太郎の命が助かりそうもないのは、「豚(ぶた)に舐(な)められる」のを避けようとしたためだ。そもそも庄太郎は、水菓子屋で出会った女に魅惑され、付いて行ったあげくに絶壁(きりぎし)に立たされ、「此処(ここ)から飛び込んで御覧(ごらん)なさい」と挑発された。もし「思い切って」飛び込まなければ、「豚に舐められる」と女は言い、本当に次々に豚が向かって来る。庄太郎は「豚に舐められ」るのがイヤで、その鼻頭をステッキで打っては、谷底へ落とし続けた。ところがいくら打っても、数え切れぬほどの豚が、続々と向かってくる。庄太郎は七日六晩、豚を谷底に落とし続けた末に、「とうとう精根(せいこん)が尽きて、しまいに豚に舐められ……倒れた」。
 しかし、ともかく「豚に舐められ」て片が付き、絶壁から飛び込む必要はなくなった。だが帰って来た庄太郎は熱を出し、もはや「死」を待つばかりの状態だ。では、庄太郎が助かる方法は何だったのだろうか。一つにはもっと早めに観念し、疲れぬうちに「豚に舐められ」てしまうことではなかったか。
 そのためには、「舐められたからといって自分本来の価値に変わりはない」、という根本的な「自己受容」が必要である。この庄太郎を漱石の分身と考えると、「コンプレックス(劣等感)」ゆえに、人間関係に丸ごとの受容を望んだ漱石にとって、「下らない豚(人物)に舐められる」のは、絶壁に飛び込むのと同等に、避けたいことであったようだ。
 また根本的には、「舐められても」気にしない自己受容が必要だろうが、ここで二つ目の対策として、もし夢を見ている最中に、これは夢であると分かったならばなおのこと、思い切って飛び込んでしまうのも、案外よい方法であったかもしれない。
 庄太郎は「絶壁の底が見えない」ために、飛び込むのを見合わせたが、これは特に夢であるのだから、「思い切って」飛び込んでしまえば、面白い展開が待っている可能性もあったのではないか。そして「思い切り」の良い行動を取ることにより、「意外な展開」が期待できるというのは、現実においても多かれ少なかれ同様である。
 さらに、ここで注目しておきたのは、庄太は飛び込むのをやめた時、「パナマ帽」を脱いでしまったことだ。つまり庄太郎はその時点で、女との交渉を辞退した。ところが夢の結末では、健さんが「パナマ帽(女性との交渉)」を受け継ぐ方向で終わる。健さんは、夢の中でこの夢を語りながら、「だから余り女を見るのはよくないよ」とは言うものの、庄太郎の「パナマ帽」が欲しいのだ。庄太郎も健さんも、この夢の語り手(書き手)である漱石の分身だと考えられるが、そうだとれば漱石は、無意識のうちに女との交渉道具としての「パナマ帽」に、関心があったことになる。
 そして、この夢の語り手(書き手)である漱石と、庄太郎、健さんとの関係は、ちょうど「第六夜」の夢の語り手である漱石と、運慶と若い男との関係と同様であろう。つまり漱石は、庄太郎的な部分を自分の中に持ってはいても、意識の上では庄太郎と自分は別のタイプだと思っている。それで、漱石と庄太郎との間の橋渡しをする役割として、夢の中での、夢の語り手である健さんがいるのだ。
 また夢の中で、庄太郎はハッとした時には、既に女の術中に捕われていたが、きっかけは「パナマ帽」だった。要するに、庄太郎が一方的に女に関係を「仕かけられた」わけではなく、庄太郎の側も、「パナマ帽」で「仕かけて下さい」というシグナルを女に送っていたのだ。「第一夜」や「第九夜」でも、夢の中の自分は、女から「仕かけられて」いる。養母についての「第九夜」が「女から仕掛けられる」原風景であったとすれば、それにより、「女から仕かけられたい」という「癖(自動装置)」が、自らの内にできたと考えてもいいだろう。
 だが、この夢では「パナマ帽」が、そのシグナルを放つ自動装置であると、暗示されている。このような無意識的な自動装置の効用は、それについて自覚を持てば弱まるものだ。この夢では、「パナマ帽」という自動装置を意識した上で、夢の中の語り手である健さんは、それを欲しいと言っている。つまり女を避けずに、女からの「仕掛け」に対し、「何とか付き合う」意欲を示している。また現実世界では、「舐めてくる豚」が、女ばかりではないことも容易に推測できる。
 ところで庄太郎を魅惑した女は、身分があるくせに、ひどく男の気を引くような色の着物を身に付けていた。これは、実は漱石のマドンナだった楠緒子にも共通している。楠緒子は上流の家系の歳媛でありながら、「芸者のようだ」と噂されるほど、粋づくしの身づくろいをしたと言う。実生活での漱石は、たとえば仲の悪かった三番目の兄が、三度目の結婚で芸者を妻に迎えた時など、猛烈に反対したが、実は「自分も芸者のような女が好きだった」ということになる。
 夏目家には、放蕩の血が流れている。町方名主という、町人階級の一番上に位置した家柄を考えれば、それは自然な成りゆきでもあった。祖父は酒の席で頓死し、傾いた家を立て直そうとした父も、若い時には遊女に積夜具(馴染みの客が、遊女に贈った新調の夜具を店先に積んで飾ったもの)などをした。
 また二番目の兄は、父の骨董を売り払って放蕩し、真面目だと思われていた長兄も、学校を出た頃には軟派になった。その上、長兄が独身のまま亡くなった時、以前は芸者をしていたという女が、弔問に来た。ただし漱石自身は、父や生き残った三番目の兄に対する反発が強く、シャイで酒も飲めなかったため、芸者に近寄ることは滅多になかった。
 要するに、漱石の実人生においては、「芸者のような美しい女」とは縁遠く、若き日には、井上眼科で会った女のことなのか、花柳界に通じる黒目がちな女性との結婚も、また楠緒子との結婚も、女の母に「舐められる」かのように阻まれて、思いは成就しなかったと考えることも可能である。
 いずれにせよ失恋を契機に、深層の「トラウマ」がパックリと開き、「神経衰弱」に陥った青春期の漱石は、まさに魅惑された女性により、「死」へと追い詰められたわけで、庄太郎とイメージが重なる。
 言い換えれば、この夢は、漱石が妖艶な美女に近づこうとする際の、性格的な障碍がテーマである。以下には推測的な仮定も含まれるが、若き日に「舐められたくない」という深層の「トラウマ」に発した「自分から頭を下げるのはイヤだ」というプライドが、漱石を女性達との交際や結婚の申し込みへ「思い切りよく」飛び込ませず、かえって漱石は女達から反発をくらい、「舐められる」ように振られてしまったと言うこともあるのではないか。
 庄太郎が助かるためには、「豚に舐められても平気になる」か、「思い切って飛び込むか」であった。要するに、この二点が、漱石が妖艶な美女と交渉を持つための課題であったのだろう。「パナマ帽」の行方を見れば、この夢の語り手(書き手)である漱石は、妖艶な女との交渉にまだ未練を持っている。遅ばせながらも夢の中で、とにかく「豚には舐められた」のだから、次に試してみるべきは「思い切り」である。確かに漱石は、恋愛のみならず、人生全般において、保証のない中で「思い切る」ことは苦手だった。
 ともあれ「第一夜」や「第五夜」とは違い、この「第十夜」で、生きている女との深淵を垣間見ることのできた漱石は、この後、『三四郎』から『明暗』まで、いよいよ自分の分身達と女性達との関係性をテーマに、作品を描いて行くことになった。

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*『漱石の〈夢とトラウマ〉』第4章より

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