原田成志
ゲシュタルトセラピーは、フリッツ・パールズ、ローラ・パールズ、ポール・グッドマンの3人によって形作られた。
K・ホーナイ、W・ライヒに分析を受け、左翼的精神分析家グループとしてベルリンで活動していたフリッツ・パールズは、1934年ナチスの台頭によってドイツを逃れ、アムステルダムを経て南アフリカに渡り、南アフリカ初の精神分析研究所を設立する。そこで精力的に精神分析を行っていたフリッツと妻ローラは、過去に原因を求め患者との個人的な交流を拒否する当時の精神分析の方法に疑問を感じ、分析中の患者の動作やしぐさに注目し、患者と対面して分析する方法を考え出す。同時にフロイトの「抵抗は肛門期にのみに存在する」という理論に対し「乳児に歯が生え始める頃、乳児は母親の乳首を噛むことで抵抗を表現する、抵抗は口唇期にも存在し、乳児の攻撃性を認め統合することで、人間の発達をより自然でバランスのとれたものにすることができる」とする抵抗の新しい理論、攻撃性の理論を確立してゆく。
1936年、「口唇期抵抗」の論文を胸に勇躍、南アフリカからチェコスロヴァキア・マリエンバードでの国際精神分析学会に参加したパールズはフロイトの強い拒絶に合い、やがて精神分析と決別する道を選んでいく。
ゲシュタルトセラピーの成立にあたって妻ローラの果たした役割は非常に大きい。ローラはフランクフルト大学でハイデガー、ブーバーに哲学を学び、ゲシュタルト心理学をウェルトハイマーとゴールドシュタインに、実存哲学をティリッヒに学んでいる。攻撃性の理論はローラの育児経験が元になっている。
しかし、ゲシュタルトセラピーという名称は、周囲の反対を押し切ってパールズが強く主張して名付けた。ゲシュタルトという機能、未完了のゲシュタルトを完成させようとする根源的な働きをフロイトの精神分析におけるリビドーに置き換えたことで、ゲシュタルトセラピーは根本的に精神分析を乗り越える心理療法となった。このアイディアはパールズの世紀の卓見である。
ポール・グッドマンは作家、詩人、批評家であり、アナーキズムの信奉者であり、アメリカの60年代カウンターカルチャーを代表する知識人である。グッドマンは、オットー・ランクの「今、ここ」を重視する精神分析手法に非常な関心を寄せていて、それをゲシュタルトセラピーの中心に持ち込んだ。
1946年、フリッツ・パールズとローラ・パールズはニューヨークに移住する。パールズの依頼によりポール・グッドマンがパールズのメモに自身のアイディアを加えて英語の文章に仕上げ、さらにR・へファーリンは実験的エクササイズの部分を書いて、Gestalt Therapy-Excitement and Growth in the Human Personality (Julian Press,1951)が3人の共著として1951年に出版されると、パールズの周囲にはゲシュタルトセラピーに関心を寄せる人々が集まるようになった。
1952年、フリッツ・パールズ、ローラ・パールズ、ポール・グッドマンらによってニューヨーク・ゲシュタルト研究所が設立される。Gestalt Therapyは着実に売り上げを伸ばし、ゲシュタルトセラピーに対する関心は高まり続けた。
1962年、イサドラ・フロム、ローラ・パールズ、ポール・ワイスなどニューヨーク・ゲシュタルト研究所のメンバーがクリーブランド・ゲシュタルト研究所でトレーニングコースを担当するようになると、複数の講師によるトレーニングを主張するメンバーと個人によるカリスマ的な指導を好むフリッツ・パールズとの溝が深まり、フリッツ・パールズはニューヨークを離れ、西海岸を旅しながらワークショップとトレーニングを行うようになる。
1964年、パールズは、日本、イスラエルなどを巡る世界旅行の後、カリフォルニアのエサレン研究所に居を構え、エンプティ―チェア(空の椅子)の技法に代表されるグループワークとデモンストレーションを数多く行い、全米の注目を集める。
エサレン研究所が人間の潜在能力回復運動の中心地として大きな注目を集めるにつれて、
ゲシュタルトセラピーもエサレンを代表するセラピーとして多くの信奉者を獲得していく。
フリッツ・パールズが用いたエンプティ―チェアや多数の観衆の前でワークするホットシートと呼ばれるやり方は、それまでのニューヨークなど東海岸で行われていた対話と気づき、個人セッションを中心としたゲシュタルトセラピーの技法とは大きく異なっていた。
「デモンストレーションに重点が置かれ、単なるパフォーマンスになっている」などと批判も受けたが、TIME誌、LIFE誌にも大きく取り上げられ、エンプティチェアのデモンストレーションのわかりやすさとドラマ性がフリッツ・パールズのカリスマと相まって、ゲシュタルトセラピーは広くアメリカ社会に認知された。一方で、ゲシュタルトセラピーとはつまりエンプティチェア・テクニックでありインスタントなセラピーであるという浅薄な理解を生み、ゲシュタルトセラピーの哲学的な基盤や革新性、正当に精神分析を批判し乗り越えたホリスティック(全体的)な心理療法であるという事実はあまり注目されなかった。エンプティ―チェアのテクニックはうわべだけ模倣されて自己啓発セミナーなどで使用され、ゲシュタルトセラピーの信頼を傷つけた。フリッツ・パールズとローラ・パールズはゲシュタルトセラピーがテクニックだけを鵜呑み(イントロジェクト)にされることに警鐘を鳴らした。
フリッツ・パールズの死後、ゲシュタルトセラピーに対する一時の熱狂は去ったが、ローラパールズはニューヨークゲシュタルト研究所で精力的に活動を続け、クリーブランド・ゲシュタルト研究所では集団指導性による独自のプログラムで多くの優れたゲシュタルトセラピストを生み出し、ゲシュタルトセラピーを組織や集団、カップルに適応する道を切り開いた。
アーヴィング・ポルスター、ミリアム・ポルスター夫妻は、Gestalt Therapy Integrated
を著わし、自分や他者とのコンタクトとその境界を重視するゲシュタルトセラピーの新たな方向性を示した。ヨーロッパ、オセアニア、中南米、日本、台湾と、ゲシュタルトセラピーは文化の違いを超えて、世界中に広がり続けた。
1990年代に入ると、ゲシュタルトセラピーに対する関心が再び高まり、おびただしい数の学術論文が発表されるようになった。現在では、Gestalt Journal, British Gestalt Journal
など英語の専門雑誌だけで11誌が出版され、フリッツ・パールズ個人の言葉に囚われるのではなく、ゲシュタルトの理論と哲学、世界観をテーマに、ウェルトハイマーやクルト・ゴールドシュタインのゲシュタルト心理学、W・ライヒの性格の鎧理論、クルト・レヴィンの場の理論、フッサールの現象学やハイデッガーの実存主義、ブーバーの対話の哲学など、ゲシュタルトセラピーに影響を与えた要素を再認識しながら新たなアイディアを生み出し続けている。
世界では200を超えるゲシュタルト研究所が個性豊かな活動を展開し、世界最大のゲシュタルトセラピーの国際学会AAGT(The Association for the Advancement of Gestalt Therapy)をはじめ、AGTA(International Gestalt Therapy Association)、ヨーロッパ地域のEAGT(The European Association for Gestalt Therapy)、ニュージーランド、オーストラリアに基盤を置くGANZ(Gestalt Association of Australia and New Zealand)など、多くの会員を要する学会が活動している。
ゲシュタルトセラピーに関するインターネットのサイトの数は、最初のサイトが1995年にウェブ上に現れてから4年間で10倍に増加した。Ancel L. Woldt, Sarah M. Toman, Gestalt Therapy History, Theory and Practice, Sage Publication,2005, p.18)
訳者(原田成志)は2006年のAAGTバンクーバー国際学会に参加し、日本人として初めてプレゼンテーションを行った。2008年AAGTマンチェスター国際学会では企画委員とプレゼンテーションの審査委員を担当した。AAGTは自らをゲシュタルトセラピーを具体化する壮大な実験的コミュニティーと位置づけ、次々とコミュニティーの中で浮き上がってくるゲシュタルト(形態)に忠実に、アメーバのように形を変えながら、生き生きと会員の要求をかなえることを目的としている。日本のゲシュタルトセラピーもオリジナルなアイディアを世界のゲシュタルト・コミュニティーに発信する段階に到達している。フリッツ・パールズが最晩年に目指したゲシュタルトセラピーを基礎とする共同体「ゲシュタルト・キブツ」の夢は、形を変えて世界のゲシュタルト・コミュニティーの中で生き続けている。
本書がゲシュタルトセラピーの源流を理解する助けになり、読者を刺激する触媒になれば幸いである。本書を出版する機会を与えてくださった新曜社の塩浦暉氏に感謝致します。
2009年5月10日
原田成志
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*パールズ自伝『記憶のゴミ箱』(原田成志・訳/新曜社)他、
原田成志の本
https://bit.ly/47dcevW
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