四つのファンタジー Ⅰ黒犬 

西武晶

 

 

 「今度の遠足は、火山にしようと思うのだが……。」

 「火山って、あの黒犬のですか!」

 「そうだ。」

 校長の硬い表情が、すこし上気しているのに気づいたが、ペータ教諭はすぐ、

 「それは危険です。校長、あまりに冒険だと思います。あの火山はまだ休火山ですし。それは絶対、あまりに危険が多すぎると思います。」

 「それはわかってる。だが、ペータ君、生徒たちはぜひともマーシン採掘の跡を知っておくべきなんだよ。我々の歴史全体の意味を一度は実感して………」

 ガム校長の言葉の背後に世界の廃虚と荒野を感じて、ペータ教諭はつらく圧迫

された。彼は全責任をかぶる気だ、としても…。

 校長の意識は入り組んでいて、その決断の経路は解き難かった。彼は荒野に立つつむじ風を想った。そこから苦悩が反映してくる。校長の顔は上気していた。それ以上何を言うことがあろう。

 「コースには海洞をいれれば面白いものになるだろう。」

 「ハイ………」

 

 

 生徒たちは大喜びだった。みんな黒犬の伝説はよく知っていたので、少し緊張して興奮しているのだった。可愛いいポックとピコが、何かめくばせを交わして嬉しそうにしているのを見て、Kは少し心配そうな顔をした。

 ペータ先生はみんなの様子を見ながら、

 「みんな、もう黒犬の事はよく知っていると思う。今度のコースはこの図のとおりだが、絶対に……」

 子供たちの冒険は許可されたのだった。するとみんなが自分の生命を重く、しかしはっきりと感じたのだった。

 

 だれも休まなかった。一人、一人と集まったようだった。黒犬の穴には入らないようにということは、何度も言いふくめられた。 

 「この水沼から出発する。大きい子は小さい子に気を配って、自分から危険をおかすことがないように。帰りは近道を通って猪ノ口に出るんだよ。わかってるね。みんなもう充分にわかってるね。じゃあ………それだけだ。」

 

 水沼はエメラルド色に沈んでいた。

 めいめいが色んな格好をした。パンツ一枚になった子が多かったが、すっかり裸になってしまった子もいた。お父さんから借りてきた水中めがねをかけた子もいる。

Kはいちばん最後にとびこんだ。岩陰や草むらに、みんなの下着が、花のように残された。

 水をくぐると洞窟の中に出た。何人もの子供が、おそらくここで、行方不明になっていると言われていた。誰もが一度は子供のうちにタブーを犯すものだ。ペータ教諭もその一人だった。彼は見覚えのある洞窟の中を見渡すと、海の洞の方へ向った。

 

 海は、海獣口の向こうにあった。海獣口とは、洞が海に向って、海獣が遠吠えをしているように、口を開けているのでつけられた名だった。しかし遠い海岸線から、押し寄せ駆け上ってくる荒い波を見ていると、それこそ海獣の舌のように見えたので、口がどちらに向かってついているのかわからないようでもあった。波はちょうど、口のところまでしか来なかった。口の前で子供たちは波をあびて遊ぶのだった。

 

 口のこちら側は落ちこんでいて、底は小さな池になっていた。

 突然、突風が洞の中から起こって海の方へ向った。みんなは吹きとばされてころがった。ペータ先生は叫んだ。

 「あぶない、折り返しが来るぞ、みんな洞の中へ戻れ!」

 早い子はすぐに中に落ちこんだ。遠くで巨きな波が戻って来るのが見えた。あわてて池の中にとびこんだ子もいる。波は凄い音をたてて迫った。

 遠くにとばされておくれた子は、必死にペータ先生のそばで口の縁につかまった。同時に波をかぶって何も見えなくなった。

 

 さいわいだれも波には取られなかった。ペータ先生は、みんなを洞の奥の方へ行かせながら、不安におそわれて黒犬の穴の方を想った。

 

 ポックとピコは黒犬の穴の中にいた。二匹の黒犬を間にして出口に急ぐのだが、そんなに奥まで追っかけたつもりはなかったのに、なかなか出られなかった。穴は狭くて登りの道だった。支柱やはしごの跡がみえ、板きれがちらばっていた。黒犬は伝説によると、坑内で死んで炭化した人間たちが、生まれ変わった姿だと言われていたが、闇のように黒いほかは普通の犬と変わりなかった。とてもおとなしく二人についてくる。だがなかなか出られない。熱くなった。何かたちこめてきた。音がする。

 

 ペータ教諭が暗い中をうかがうと、Kが走って来た。とても真剣な顔をしている。

「先生、ポックとピコが黒犬の穴に入ったらしいんです!」

 

 長い時間に思われた。Kたちはようやく穴をくぐって、踊り場の方へ近づくとあたりはすっかり熱くなっていた。低い靄(もや)の中に黒い人影が、二三ほの見えた。堅くなっているらしく、誰だか見分けがつかない。炭化しはじめたのだ。黒い人形のようになって、もう見知らぬもののように見えた。

 「K、もうだめだ。」

 「先生、捜してきます。」

 止める間もなく、Kは靄の中へ消えた。

 しかしすぐに二人をつれて、Kは戻って来た。ポックとピコは、

 「先生、僕たち本当に黒犬を見つけたんです。それで捕まえようと思って。でも、中にはもう、他の子たちがいたんです。僕たちはただ捕まえたかっただけですから、すぐに帰ろうとしたんですが……」

 弁解は禁じられていたのでポックはそれ以上言わなかった。ピコは泣き出して

 「みんなもう堅くなっちゃってるんです………」

 「先生、どうしましょう!」

その時にはそのあたりまでひどい熱気で、靄につつまれていた。

 「もうだめだ。諦めるんだ。心配しなくてもいい。もう取られてしまったんだからね。僕らは僕らの処へ早く帰るんだ。またいっしょになれたことを喜ぶんだよ。さあ、もう何も心配しなくてもいい。僕らは前だけを向いてゆこう。」

 まわりの壁面はめきめき赤みを帯びて、皮膚が焦げるように熱かった。

 みんなはもう走っていた。

 

 みんなが猪ノ口から吹き出されるように出たころ、誰もいなくなった地下では、踊り場で黒犬たちが、人間の形に戻って、すっかり炭化して固まった新しい仲間を、優しく愛撫してやっていた。すると動きだして、黒い皮膚のものに生まれ変わった人間たちは起き上がった。

まだ、まだらに白いのもいて、新しい者たちは総じて今は黒みが薄かったのだったが、しかし彼らは昔からの兄弟のように仲よく、さらに熱い地底の方へと歩いていった。