田高孝

(この原稿は、執筆者の申し出により2026年2月に削除の希望がございましたが、
編集者・原田広美の判断にて、文章の冒頭部分と懐かしくも貴重な写真を残させていただきます。
そしてタイトルから、「上野フォルマ」の部分を残させていただきました)
田高商店は、かくして、始まった。「銀座フォルマ」として。私は、優秀な売り子だったとは、言ったとおもう。次に、私の手柄。私は、フォルマさん’(銀座の御木本の本店の方)から、ある種の民芸品を委託されたことがある。それは、フォークロアとでも、言うべき、安物だった。これが、本店では売れないのだ。変わったインディアンの細工物風だとか。
この売れない品々を私は、売りさばいた。銀座じゃ売れなくてもアメ横なら売れる。そうかも。いずれにしても、私は、大きなワゴン台の上に、乗せて、「エスノ」と名を打って、売った。これが、売れた。飛ぶように。200も300も売れた。
おかげで、本店は喜んだ。特に、仕入れた係長の女の人は。

さて、そこでだ。
ここで、ユーモアが始まる、
接待を受けたのだ。母さんいわく、「孝、行ってきなさい。社長の仕事」と。
私は、何も知らずに、行った。有楽町へ。

さて、有楽町へ着いて、○○○○と合流。早速、マリオンの正面、ライオンの入っているビルへ。
(後略)
小林秀雄「近代絵画」より、着想。



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