北條立記
芸術活動を継続し、創作をより豊かにできるようにするための、自分の気づきや工夫を書いていきたい。美学とかそういう難解な話としてではなく、日常感覚で捉えた、しかし創作において意味あると思うもろもろの事柄である。高校生くらいの子にも刺激になったら嬉しいと思い書いている。
1 道具の中に身体感覚を伸ばす—料理も大工も絵画もそして楽器も—
人間はよく、道具を使って物を動かしたりする。
裁縫の時は針を、料理の時は包丁を、大工仕事の時はドライバーを、ゴミを掃く時はホウキを、楽器を弾く時は弓を、絵を描くときは筆を。
実は日常と芸術はこのようにつながっている。
その道具に対し、どういう意識を持てばよいのか。
道具の先端まで自分の身体感覚を伸ばし、物と道具の接触点に意識を置いたうえで道具を操作する。
それが道具を使って物を操るコツだろうと思う。
針で縫うときは、針の尖った先端に意識を置かないと細かく縫うことはできない。楽器を弾くときは、弓と弦の接触点に意識を置かないとうまく弦を捉えて弾くことができない。
接触点に意識を置くとは、物と道具との間の摩擦力を捉えるということだ。
その摩擦力を感じながら道具を操作することで、自分のイメージを物の操作に反映することができる。
たとえば、小さく切ったニンジンを鍋で茹でていて、そのニンジンをうまく菜箸で捉えて突き刺して火が通って柔らかくなったかを調べるとき。菜箸の先っぽに意識を集中していないと、思い通りにニンジンを刺すことはできない。
穴が潰れかかったネジを、ドライバーでうまく扱うには、ドライバーの先端に意識を置いて、ネジとの間の摩擦を捉えて、ネジを回す。そうしないと、ドライバーを回すたびにネジ穴を潰してしまい、うまくねじ込むことができなくなる。
そのように道具の中を通って、自分の身体感覚が道具の先まで伸びるようにする。そうすることで、うまく目の前の物を使いたい、操りたいという自分の欲求を叶えられる。これは、日常の作業でも、細筆で繊細な書道を行うときでも、同じである。
さらに楽器を弾くときでいえば、弦と弓の毛の間の摩擦力を、あるときはよく捉え、あるときは捉えず滑らせる、という使い分けもある。
ただ正確には、滑らせるときでも、わずかに摩擦力は感じながらである。まったくそれを感じずに滑らせると、ただスカスカな動作になってしまう。
とにかく道具と物との間の摩擦を捉える身体感覚が、各種の表現行為を助け、創作を助けるのは間違いない。
2 人との関係はどう作るのか
いわゆるコネという話でもある。
私は音楽活動を行なっている。その展開に大きく関わっていて、今後も重視していくのは、この道具と身体感覚という技術の話だけでなく、密な他のアーティストとのやりとりである。
アーティストとの出会いのきっかけの多くはFacebookだ。そして、そのきっかけをもとに、そのミュージシャンのライブを聴きに行って、演奏を聴きながらその人の音楽への思いを感じ取り、どういう感想を述べようかを真面目に考える。そしてそれを演奏後に感想として伝えつつその人と話す。そういうリアルな対面のやりとりが、重要だと思っている。
プロのロックベーシストでも、スタッフに対して丁寧な人もいると聞く。上に立てば、他の人にはぞんざいに接してもいいというのが、多くのイメージかもしれない。
しかし、打ち立てた人でも、若者に対しても尊重の態度を取り、丁寧なやり取りを重ねる人がいる。
メッセージをもらったら、その内容の一つ一つに対し、読み取った上で対応した返事を書く。もらったメールには必ず遅すぎない程度で返す。やり取りを始めたばかりの人とは、自分からの返信が、そのメール交換の最後になるようにするのがいいとも思っている。これはビジネスでもアーティストでもその他多くでも同じだろう。
生身の人間だから、単に音楽などの表現内容に互いに関心を持つだけでは足りない。相手の内的な感覚を感じ取り、シンパシーを持ち合いながら、ときには押し引きも起きるが、思いやってやり取りしていく、というのが、アーティスト関係でも、重要だ。
そのようにして丁寧なやり取りを重ねていくことが、活動を継続するうえで、大事なことだと思っている。
3 すべてが「企画」と考えることもできる
企業において、企画とか事業というのは、10に1つとか、100に1つ成功すればいいという話がある。
有名大企業も、裏では失敗事業が多くあると聞く。
個々の人とのやり取りも、ある種の自分の〈企画〉であると思う。
メールでメッセージを送る、ライブを企画して行う、チラシを作って広報にかける、大型公演を企図する、芸術マネジメントの事業を行おうとする、たとえばそういういろいろなことはどれも「企画」の一種と捉えることができる。
そして理解しておくことが重要な「企画」というもの性質がある。
それは、企画というものは、失敗するのが標準の状態であり、1、2回うまくいかず破談になったとしても、それで自分に才能がないと責めて思い悩む必要はないということである。
このように考えると、人との小さなやり取りも含めた「企画」に対し、力を抜いて余裕をもって捉えることができる。
このように考えることが、企画を行なっていく上での大きな原動力になる。
企画をして人を巻き込むということをやっていると、人から頼られるようにもなり、生産的な関係が増えていく。
多少演奏で失敗することがあっても、企画をやる人間であることで、周りから見捨てられずに済みカバーできるという、心の底の思惑も、実はここにはあるのである。
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